馬ひでの助

街道歩き&城廻りの記録、
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近江の奇祭、『鍋冠祭り』

2019-05-04 22:08:34 | 日記
"2019年5月3日(祝日)

JRハイキングに参加した。
本日は春祭りの見学です。

米原駅到着。

参加者は11名。
駅西口前には花壇がある。

この花壇にバラが植えられた。
*この画像の花はバラではない、念のため。

発起人は、米原市出身の尾木ママ氏。
「マイバラ」にちなんでバラを植えたそうです。
おやじギャグかい!
来月に来ると綺麗にバラが咲いてるだろうな。

最初に立ち寄ったのが、
『大谷刑部の首塚』

関ヶ原の合戦では、不本意ながらも石田三成との友情にかられて味方し、自刃した。

大谷刑部の居城の敦賀城に首を持ち帰る途中で、甥がこの地に埋めた。
その後、地元の人が供養するための塚をつくったそうです。
大谷刑部に関しては毎度のことながら感じいります。
合掌!

そして、湖岸にある磯崎神社に移動。

背後の磯山は、彦根城築城の候補になった。
もし、ここに築城していたら、彦根城じゃなくて磯山城と呼ばれたかも?
周囲を湖に囲まれた岬になっていて天然の要害。
お城としてはうってつけだが、城下町をつくる広い土地が無かったので、家康が彦根山に築城することを命じたのである。

ここで、昼食した。

午後は、『筑摩神社』、


筑摩港へ。

朝妻筑摩は古代から栄えた港で、朝廷の御厨であった。
近江の食べ物が船で積み出されて朝廷に献上された。
人が集まる港なので、遊郭もあった。
その関係で、鍋冠祭りが始まった。

かなりきわどい内容なので、とても説明はできない。
ともかく、女性の貞操を見極めるために始まった、と言われる。

だから、日本三大奇祭りの1つとも呼ばれる。

が、そんなこと言えないので、
一般的には、この地が鍋の産地で、鍋を頭の上に乗せて神社に食べ物を捧げたのが始まり、と説明されてます。

で、昔は嫁入り前の若い女性がナベやカマを頭に被せて練り歩いたそうです。
祭りの由来を知ってるだけに、若い女の子は嫌なのでしょうね。

現在は、7歳の女の子がその役を担わされてます。

ちなみに、鍋冠祭りは、ナベカマ祭でもある。
ナベとカマの違いは、
底が平たいのがナベ、
底に突起の足があるのがカマ。
なんか意味深ですね。





男の子は井伊家の赤備えの鎧を着てます。
顔を恐い形相のようにしてる。

なかなか微笑ましない。

行列は湖岸を練り歩く。

車が邪魔して近くで見られないのが残念。
通行止めにしてほしいものですわ。


ともかく、
長年の念願がかなってこの奇祭を見ることができました。

ようやくですわ。


帰りに駅前の鳩のマークのスーパーの店頭に


ありがとう平成、
こんにちは令和、
これからも平和堂

↘️にも平和堂と繋がる

うまいこと考えましたな。


馬《●▲●》助ヒヒーン♪"
コメント
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