2012/06/02
ぽかぽか春庭十二単日記>東京スカイショウ、日・月・空・虹(2)木洩れ日の金環
5月下旬、空のショウタイムで、心が浮き立ちました。日食と二重の虹を見ました。
5月21日月曜日は、日本中の人が同じ時間に空を見上げたという金環日食。私も、通勤途中、乗り換え駅の出口で、大勢の人といっしょに空を見ました。曇り空でしたが、雲をすかして三日月のようになった大陽の像を見ることができました。
90分早く家を出て、7時前にキャンパスに着いていればゆっくり観察出来たのです。でも、普段5時半に起きて6時30分に家を出ている通勤、90分早く出るには5時には家を出なければならず、4時に起きることになる。前夜寝たのは1時すぎでしたから、起きられませんでした。
金環食のさなかは、中央線の中。お日様と反対側の座席に座ってしまったので、どうしようかと迷いました。座席を放棄して反対側に移ろうか。でも、せっかく座れたのだから、座っていたい。仕事に行くまえ、老骨の体力を確保しておきたい。しかし、こちら側からはおひさまが見えない。
ちょっとの間だけ、進行反対側のドアの前に移動して見上げました。電車のドアから「ああ、輪っかになっている」と確認。
その間は、カバンを座席に置いて、「ここは私の席ですよ、座席を放棄したのではなく、また戻りますからね」という主張をしておきました。この主張は日本独特の文化。映画館の座席などにハンカチ一枚、文庫本ひとつ置いておくと、「ここは私の席です」というアピールになる。外国では、ハンカチも本も取られておわり。カバンなんぞ椅子に放置したら、「このカバンはいらないから捨てます。どうぞ、ご自由に持っていってください」というアピールになる。海外旅行の注意として、外国では置き引きが多いというけれど、「公共の場で手元から離れたものは、所有権放棄とみなす」という考え方もあるのです。
日本では、お天道様の日の元にあるものは、みなで守る、という考え方。「大陽の恵みのもとに存続する共同体」での公共感覚です。夜盗が出没するのは、お天道様の見守りがなくなる間は、跳梁跋扈の時間だから。
お日様は、物理的には「大陽」ですが、心の中の存在としては「おてんとうさま」。生きて行く上での道を指し示す存在なのです。初日の出を拝む心は、現代にも生きています。
ほんとうは、駅から外に出てじっと見ていたかったのですが、授業に遅れて「日食観察で遅刻しました」と報告するのもなあ、と断念しました。息子の大学、9時からの1限目、科目によっては、先生が「学生に日食観察させたいから」と休講にしたクラスもあったとか。小中学校の多くも、通学途中で空を見ていて事故にあうのを防ぐため、授業時間を変更して、校庭でみなで観測することにした学校もあったそうです。そうすべきです!
日本全国の広範囲で金環日食が観測できるのは、国立天文台の発表では、前回は平安時代の1080年。次回2030年の金環日食が観測できるのは北海道のみで、全国広範囲で金環日食が観察できるのは、300年後の2312年。2012年は、貴重な機会でした。広範囲での観察記録をもとに、「太陽の正確な大きさを測定する」というプロジェクトが成功したそうです。
世界中に旅行できるなら、日食そのものは、世界のどこかでまた見ることができるけれど、日本中みんなで空を見上げることができるのは、300年後。
仕事先のキャンパス入り口では、学生が集まって、グループでわいわい観察していました。日食観察メガネを借りて見上げると、8時すぎの太陽はもう下弦の月のようになっていました。急いで木陰を探す。
今回の日食で楽しみにしていたことのひとつは、「木の葉が茂っている木を探し、地面に映る影を観察すること」でした。葉と葉の間の隙間からもれる日の光が地面に映る。すると、葉の隙間のひとつひとつが、欠けた太陽の形になっている、というのです。
2009年に小笠原沖で観察会が行われたときの、船上で木の枝をかざし、甲板に影を映す実験しているのをテレビで見ました。確かに、隙間から洩れる陽の光のひとつひとつが、欠けた太陽の形になって見えるのです。
こんな不思議なことって、あるのかしら。5月21日は、絶対に木陰で観察しようと思いました。1980年にケニアで皆既日食を見て、コロナ観察もできたので、金環食は「できたら見るけれど、ちょうど通勤時間だし無理はしない」と決めていたのですが、この木洩れ日日食は見たことのないから、絶対にみたい、と思いました。
キャンパスの中には、木洩れ日観察にちょうどいい桜やポプラの木があります。仕事先の校舎へ向かいながら、木陰を歩きました。
すでに日食は終わりかけていたので、どうかしら、と思っていたのですが、たしかに欠けた太陽が地面に映っているのが見られました。不思議!
スリットやピンホールから見える景色について、ピンホールカメラなどの原理を知っている人にとっては、不思議でもなんでもない、当然の物理現象なのだそうです。が、なにせ、高校の物理の成績は、自慢じゃないが通知表の「2」を取ったこともある!って、自慢にはならないことなんですけど、私にとっては物理現象なんて不思議世界そのものです。
国立科学博物館に行って、フーコーの振り子を見て、毎回、不思議だあと思う。
ピンホールの原理と、木の葉と木の葉の間にできるスリットから洩れる光は、同じことらしい。隙間から落ちる日の光、ふだんは、太陽の光が強すぎるので、隙間からみても、太陽の形はわからない。しかし、日食時は、地球に届く光が弱くなるので、隙間やピンホールが、光源の形を映し出す原理により、欠けた太陽や金環太陽がくっきりと地面に映るのです。
木洩れ日、ほんとうに、太陽が欠けた形を撮していました。物理学のむずかしい原理はわからずとも、ただ、日の光が太陽の形を表しているということに感激。よい日食観測ができました。
「木洩れ日、日食」で検索すると、21日に撮影されたさまざまな「隙間から映し出された日食」の写真がUPされていました。
最も秀逸だと思った「京都駅」tami0607さんの撮影。人のシルエットと金環食が美しい、芸術的な写真だと思います。

もとのtami0607サイトはhttp://instagr.am/p/K3Z0kvhs9b/
domdom117さん撮影ピンホールに映し出された日食

もとのサイトdomdom117はhttp://photozou.jp/photo/show/2007468/135983325
JAXAの「みんなで木洩れ日を撮ろう」キャンペーンのHP
https://edu.jaxa.jp/komorebi/
ぽかぽか春庭十二単日記>東京スカイショウ、日・月・空・虹(2)木洩れ日の金環
5月下旬、空のショウタイムで、心が浮き立ちました。日食と二重の虹を見ました。
5月21日月曜日は、日本中の人が同じ時間に空を見上げたという金環日食。私も、通勤途中、乗り換え駅の出口で、大勢の人といっしょに空を見ました。曇り空でしたが、雲をすかして三日月のようになった大陽の像を見ることができました。
90分早く家を出て、7時前にキャンパスに着いていればゆっくり観察出来たのです。でも、普段5時半に起きて6時30分に家を出ている通勤、90分早く出るには5時には家を出なければならず、4時に起きることになる。前夜寝たのは1時すぎでしたから、起きられませんでした。
金環食のさなかは、中央線の中。お日様と反対側の座席に座ってしまったので、どうしようかと迷いました。座席を放棄して反対側に移ろうか。でも、せっかく座れたのだから、座っていたい。仕事に行くまえ、老骨の体力を確保しておきたい。しかし、こちら側からはおひさまが見えない。
ちょっとの間だけ、進行反対側のドアの前に移動して見上げました。電車のドアから「ああ、輪っかになっている」と確認。
その間は、カバンを座席に置いて、「ここは私の席ですよ、座席を放棄したのではなく、また戻りますからね」という主張をしておきました。この主張は日本独特の文化。映画館の座席などにハンカチ一枚、文庫本ひとつ置いておくと、「ここは私の席です」というアピールになる。外国では、ハンカチも本も取られておわり。カバンなんぞ椅子に放置したら、「このカバンはいらないから捨てます。どうぞ、ご自由に持っていってください」というアピールになる。海外旅行の注意として、外国では置き引きが多いというけれど、「公共の場で手元から離れたものは、所有権放棄とみなす」という考え方もあるのです。
日本では、お天道様の日の元にあるものは、みなで守る、という考え方。「大陽の恵みのもとに存続する共同体」での公共感覚です。夜盗が出没するのは、お天道様の見守りがなくなる間は、跳梁跋扈の時間だから。
お日様は、物理的には「大陽」ですが、心の中の存在としては「おてんとうさま」。生きて行く上での道を指し示す存在なのです。初日の出を拝む心は、現代にも生きています。
ほんとうは、駅から外に出てじっと見ていたかったのですが、授業に遅れて「日食観察で遅刻しました」と報告するのもなあ、と断念しました。息子の大学、9時からの1限目、科目によっては、先生が「学生に日食観察させたいから」と休講にしたクラスもあったとか。小中学校の多くも、通学途中で空を見ていて事故にあうのを防ぐため、授業時間を変更して、校庭でみなで観測することにした学校もあったそうです。そうすべきです!
日本全国の広範囲で金環日食が観測できるのは、国立天文台の発表では、前回は平安時代の1080年。次回2030年の金環日食が観測できるのは北海道のみで、全国広範囲で金環日食が観察できるのは、300年後の2312年。2012年は、貴重な機会でした。広範囲での観察記録をもとに、「太陽の正確な大きさを測定する」というプロジェクトが成功したそうです。
世界中に旅行できるなら、日食そのものは、世界のどこかでまた見ることができるけれど、日本中みんなで空を見上げることができるのは、300年後。
仕事先のキャンパス入り口では、学生が集まって、グループでわいわい観察していました。日食観察メガネを借りて見上げると、8時すぎの太陽はもう下弦の月のようになっていました。急いで木陰を探す。
今回の日食で楽しみにしていたことのひとつは、「木の葉が茂っている木を探し、地面に映る影を観察すること」でした。葉と葉の間の隙間からもれる日の光が地面に映る。すると、葉の隙間のひとつひとつが、欠けた太陽の形になっている、というのです。
2009年に小笠原沖で観察会が行われたときの、船上で木の枝をかざし、甲板に影を映す実験しているのをテレビで見ました。確かに、隙間から洩れる陽の光のひとつひとつが、欠けた太陽の形になって見えるのです。
こんな不思議なことって、あるのかしら。5月21日は、絶対に木陰で観察しようと思いました。1980年にケニアで皆既日食を見て、コロナ観察もできたので、金環食は「できたら見るけれど、ちょうど通勤時間だし無理はしない」と決めていたのですが、この木洩れ日日食は見たことのないから、絶対にみたい、と思いました。
キャンパスの中には、木洩れ日観察にちょうどいい桜やポプラの木があります。仕事先の校舎へ向かいながら、木陰を歩きました。
すでに日食は終わりかけていたので、どうかしら、と思っていたのですが、たしかに欠けた太陽が地面に映っているのが見られました。不思議!
スリットやピンホールから見える景色について、ピンホールカメラなどの原理を知っている人にとっては、不思議でもなんでもない、当然の物理現象なのだそうです。が、なにせ、高校の物理の成績は、自慢じゃないが通知表の「2」を取ったこともある!って、自慢にはならないことなんですけど、私にとっては物理現象なんて不思議世界そのものです。
国立科学博物館に行って、フーコーの振り子を見て、毎回、不思議だあと思う。
ピンホールの原理と、木の葉と木の葉の間にできるスリットから洩れる光は、同じことらしい。隙間から落ちる日の光、ふだんは、太陽の光が強すぎるので、隙間からみても、太陽の形はわからない。しかし、日食時は、地球に届く光が弱くなるので、隙間やピンホールが、光源の形を映し出す原理により、欠けた太陽や金環太陽がくっきりと地面に映るのです。
木洩れ日、ほんとうに、太陽が欠けた形を撮していました。物理学のむずかしい原理はわからずとも、ただ、日の光が太陽の形を表しているということに感激。よい日食観測ができました。
「木洩れ日、日食」で検索すると、21日に撮影されたさまざまな「隙間から映し出された日食」の写真がUPされていました。
最も秀逸だと思った「京都駅」tami0607さんの撮影。人のシルエットと金環食が美しい、芸術的な写真だと思います。

もとのtami0607サイトはhttp://instagr.am/p/K3Z0kvhs9b/
domdom117さん撮影ピンホールに映し出された日食

もとのサイトdomdom117はhttp://photozou.jp/photo/show/2007468/135983325
JAXAの「みんなで木洩れ日を撮ろう」キャンペーンのHP
https://edu.jaxa.jp/komorebi/