野田長藤(小石川植物園2011)
2012/06/30
ぽかぽか春庭十二単日記>つゆに咲く花(11)おしゃべりな花たち
会ってお話を聞きたいという申し出を受け、6月11日に初めて会う方とお話しました。その方の指導教官に参考文献の論文を見せたら、その論文に私の名があるのを見て、「あら、この人、いっしょに仕事している人ですよ」と、教えてくれたのだそうです。その先生に連絡していただいてお会いすることになり、初めての人と会う緊張感を持ったまま、喫茶店でおしゃべりしました。
ホウの木の花(神代植物園2011)
話す内容は、話題が「言語学、日本語学、日本語教育」ということに限定されていたから、話題に困ることもなく、互いの境遇-子どもを育てながら働いてきたこと、年をとってからもう一度大学に入り直したことなどを語り合い、私としては、珍しく気持ちよくおしゃべりができました。長く専門雑誌の編集長を続けてきたけれど、還暦を前に早期退職制度でリタイアし、大学での研究を志した、という女性でした。
私の書いた論文のいくつかは、インターネットで見られるようになっています。でも、私ごときの書いたものなど、誰も読みはしないし、誰かの役に立つなんてことは、まず、ないだろう、と思って、博士論文提出後、指導教官から「出版に向けて、まとめなおしをしなければならない」と言われたことも、遠くに聞いたまま、1年半、ほったらかしにしておきました。
話を聞きたいと言ってくれた方は、「主題優先言語」という言語学のキータームで検索したら、私が書いた論文に行き当たったのだとか。私も「主題優先言語」を検索して、自分の論文が出てくるかどうか試してみましたが、ぜんぜん見つかりませんでした。だから、どなたかが私の論文にめぐり会うっていうことは、神様の思し召しなのだろうと、私は大喜びしたのです。私の書いた論文が誰かの参考になることもある、という事実が、不出来な博士論文を書いてしまい自信喪失していた私を、大いに励ましてくれました。博士号を授与されたのに自信を喪失するってとこが、私のイジケ虫である所以。
しかし、やはりいつもの通り、私のおしゃべりは、相手にとってあまり楽しくやりとりができなかったのではないかと危惧しています。たぶん、論文を読んでもらったうれしさで、調子に乗ってしまったのがいけなかったのです。
私のいつもの癖で「きっとあの人は、私としゃべって不愉快な思いをしたに違いない。私はまた何か余計なこと、言わずもがなのことを言ってしまって、いやがられたのかも知れない」という負のスパイラルに入りました。どうしてこうなるんだろう。
私は若い頃、男の人からは「恐い女」と思われて、それが嫌だから、男の人とはしゃべりたくない、と思っていました。私のしゃべり方が、攻撃的で自己主張が強そうに思える口調だからです。若い頃は「男性に愛嬌を振りまくような女と見られたくない」という、今から思えば過剰防衛心理が働き、防御のために攻撃的口調になっていたみたい。にこにこ作り笑顔で愛想良く話すなんて、こびを売ることのように思っていたのです。
今でも、ただ普通に「単位取得の条件」というのを話しているつもりなのに、学生から「先生はすごく怒っていた」と言われる始末。
もっとおっとりと物静かに、やさしい口調で話せればいいのに。
また、しばらくは、「初めての人と話すのは苦手だ」と思いながら暮らしていくことになりそうです。
タニウツギの花(小石川植物園2011)
23日の午前中、妹から電話。2008年にいっしょに見にいったことのある、清里高原で行われる野外バレエ公演へのお誘いでした。妹は、電話で2時間しゃべり続けました。
妹は、子どもの頃から病弱で、いまもいくつかの病気を抱えながらの生活です。でも、妹は「仮死状態で生まれて、ある子どもはそのまま死んでしまったし、ある子は知的障害や身体障害を持つ子もいたなか、私は病気のいくつかはあっても、命はあるのだから、生んでくれた母に感謝する」と、言います。妹と同じ仮死状態で生まれた私の息子も、不調はありました。とくに私や私の伯母に似て、人間関係を築くことが不得手です。
伯母(母の姉)は、子どもの頃、場面緘黙症でした。家の中ではしゃべれるけれど、家から一歩外にでるとひとことも話せない子どもだったのです。私や息子は、伯母に似てはいるものの症状は軽くて、なにか緩衝剤となるようなものがあれば、「ひとこともしゃべれない」というのではなかったことを感謝しようということになりました。私も息子も、「ひきこもり」な性質ですが、社会の一員として仕事ができないほどではないから。
私は、妹のように自分から一方的にしゃべりまくる人に相づちをうつだけなら、いくらでも聞いていられるし、逆に、自分に関心のあることを一方的にしゃべりまくるなら、何十分でも喋っていられる。
私にできないのは、コミュニケーション。キャッチボールのように、テニスや卓球の気持ちのよいラリーのように、相手のことばを受け止め、推し量りながら、気持ちよくことばを交わしていく、そのやりとりができないのです。
たぶん、人間関係の距離の取り方やことばの選択が適切でなく、適切でないことによって人間関係が破綻してしまうと、その経験に恐れをなして、今まで以上に閉じこもる、そんなくり返し。
同じ三人姉妹でも、姉と妹は母に似て、人とおしゃべりするのが大好きで、世話好きな性格になったし、私は伯母に似て、ひきこもりの偏屈になった、性格それぞれ、人生いろいろです。
ネモフィラ(錦糸町公園2012)
三人姉妹のうち、下のほうでいじけて、葉っぱにかくれようとしているのが私。
23日の夜は、大阪から出てきて、ひとりで東京の演劇鑑賞をしてきたアコさんと待ち合わせて、夕食をいっしょに食べました。アコさんは「視覚障害者がもっと演劇を楽しめるような社会を作る」という主旨の会を主宰し、積極的に演劇鑑賞をしています。「JRの駅員さんは、ちゃんとホームまで案内してくれるし、公共の場所ではだれかしらが助けてくれるから、心配ない」というのですが、東京から大阪に引っ越して2年。それでも、「演劇は東京のほうが見やすい」と、お芝居を見るために、ときどき東京へ出てきます。
23日に見たのは、シェークスピアの『じゃじゃ馬ならし』を土台にした朗読劇で、朗読と歌を取り入れた、面白い試みだったそうです。こんなふうに、「演劇」という話題が決まっていて、アコさんが話してくれることを聞いている分には、おそばを食べながらのおしゃべり、とても楽しかったです。自分でおろし金でわさびをすり下ろす薬味がついたおそばも、アシタバのおひたしもおいしかった。
しゃくなげ(小石川植物園2011)
アコさんが「ビールをもうちょっと飲んでおしゃべりしましょう」というので、コンビニで缶ビールを買って、アコさんがネットで予約しておいたホテルまで行きました。
部屋までフロント係に案内してもらいました。前回東京に出てきたとき、アコさんは、このホテルのとなりのホテルに予約したのだそうです。そうしたら、フロント係はひとりだけで、係員は「目が不自由なのに、どうして一人で宿泊するんだ、介護者がいっしょに来て世話をするべきだろう」と言わんばかりの態度をとった。とても感じが悪かったので、そちらのホテルは二度と予約しない、と言っていました。
ホテル競争に勝ち抜くために、人件費を減らし、夜など、フロントをひとりで受け持たざるを得ないこともあるかと思います。しかし、人手が足りないときこそ、言葉のサービスには気をつけるべき。自分がサービスできないとき、ことばでていねいに説明し、相手を不愉快にさせない態度をとる。それができないようなホテルマンは、石ノ森章太郎のマンガ『ホテル』全巻を読んで勉強し直してほしい。
アコさんの話を聞いて、そういうサービスしかできないホテルは、私も予約しない、と思いました。口コミは恐いんだよ、ホテルメ○ツさん。
部屋の中の案内は、私からざっとしました。「ここに電話、ここにテレビのリモコンがあります」などの説明をして、さて、部屋の中で、くつろいでビールとおつまみでおしゃべり、と思ったのに、「ちゃんとしたコミュニケーションが取れない隣のホテルのフロント」のことを考えたら、急に息苦しくなりました。私だって、まともなコミュニケーションがとれない「コミュニケーション不全症候群」の一人なのに、と思って。
それで、あわてて「駅前区民会館の自転車駐車場に自転車が止めてあって、夜遅くなると自転車が綱で縛られてしまうので」と、アコさんに言って、帰り支度。ほんとうは10時までアコさんとおしゃべりするつもりで缶ビールを買ったのに、一口二口飲んだだけで、おいとましてしまいました。アコさん、こめんなさい。
ヒトツバタゴの花(小石川植物園2011)
おしゃべりは、重要なストレス解消手段、またアンチエイジングの方法であることが、医学的にも検証されてきました。ひとり寂しく暮らしている人は、病気になりがち、寿命が短くなる傾向にあること、つきあいが幅広く、いろんな人とおしゃべりを楽しめる人は、健康で長生きできることが、さまざまな調査で証明されているのだそうです。
ミツマタの花(東御苑2012)
私がネットを始めたのは、2002年の姉の死後、ますますおしゃべり相手が少なくなり、ますます引きこもりそうな自分を感じて、せめてネットの中ではおしゃべりしようと思ったからなのです。思った通り、ネットの中で一方的に文章を綴るのは、いくらでもできるのです。一日中キーボードに向かっていても大丈夫。ところが、顔と顔を合わせて、声を出しておしゃべりするのは、相変わらず苦手。
「私と話すと、みんな私のことを嫌いになってしまうだろう」という強迫観念は相変わらずですが、これから仕事も先細りになり、ますますしゃべる相手は限定されてくる老後ですから、なんとかもっと気軽に心地よくおしゃべりができるようになりたいです。
ロドデンドロン・アウストリヌムRhododendron austrinum(ツツジ科) (小石川植物園2011)
最後に、もうひとつ。
6月30日は、「茅の輪くぐり」の日。一年の半分がすぎたことに思いをいたし、輪をくぐることで半年間のケガレを吹き払い、これからの半年間の無病息災を祈る行事です。神社のPRサイトを見たら、当日お参りできない人は、郵送で「カタシロ」になるものを送れば、神社のほうでその人の代わりになるカタシロをくぐらせて、厄災を祓うのだそうです。
カタシロでいいのだったら、バーチャルでもよかろうて。茅の輪をUPしますので、よしなに「くぐったつもり」になって、厄災を祓って下さいませ。
これも、顔を合わせると、よいこと気の利いたことのひとつも言えない春庭からの「バーチャルサービス」です。
(おわり)
i find a rose named Chiyo.
2012/06/30
ぽかぽか春庭十二単日記>つゆに咲く花(11)おしゃべりな花たち
会ってお話を聞きたいという申し出を受け、6月11日に初めて会う方とお話しました。その方の指導教官に参考文献の論文を見せたら、その論文に私の名があるのを見て、「あら、この人、いっしょに仕事している人ですよ」と、教えてくれたのだそうです。その先生に連絡していただいてお会いすることになり、初めての人と会う緊張感を持ったまま、喫茶店でおしゃべりしました。
ホウの木の花(神代植物園2011)
話す内容は、話題が「言語学、日本語学、日本語教育」ということに限定されていたから、話題に困ることもなく、互いの境遇-子どもを育てながら働いてきたこと、年をとってからもう一度大学に入り直したことなどを語り合い、私としては、珍しく気持ちよくおしゃべりができました。長く専門雑誌の編集長を続けてきたけれど、還暦を前に早期退職制度でリタイアし、大学での研究を志した、という女性でした。
私の書いた論文のいくつかは、インターネットで見られるようになっています。でも、私ごときの書いたものなど、誰も読みはしないし、誰かの役に立つなんてことは、まず、ないだろう、と思って、博士論文提出後、指導教官から「出版に向けて、まとめなおしをしなければならない」と言われたことも、遠くに聞いたまま、1年半、ほったらかしにしておきました。
話を聞きたいと言ってくれた方は、「主題優先言語」という言語学のキータームで検索したら、私が書いた論文に行き当たったのだとか。私も「主題優先言語」を検索して、自分の論文が出てくるかどうか試してみましたが、ぜんぜん見つかりませんでした。だから、どなたかが私の論文にめぐり会うっていうことは、神様の思し召しなのだろうと、私は大喜びしたのです。私の書いた論文が誰かの参考になることもある、という事実が、不出来な博士論文を書いてしまい自信喪失していた私を、大いに励ましてくれました。博士号を授与されたのに自信を喪失するってとこが、私のイジケ虫である所以。
しかし、やはりいつもの通り、私のおしゃべりは、相手にとってあまり楽しくやりとりができなかったのではないかと危惧しています。たぶん、論文を読んでもらったうれしさで、調子に乗ってしまったのがいけなかったのです。
私のいつもの癖で「きっとあの人は、私としゃべって不愉快な思いをしたに違いない。私はまた何か余計なこと、言わずもがなのことを言ってしまって、いやがられたのかも知れない」という負のスパイラルに入りました。どうしてこうなるんだろう。
私は若い頃、男の人からは「恐い女」と思われて、それが嫌だから、男の人とはしゃべりたくない、と思っていました。私のしゃべり方が、攻撃的で自己主張が強そうに思える口調だからです。若い頃は「男性に愛嬌を振りまくような女と見られたくない」という、今から思えば過剰防衛心理が働き、防御のために攻撃的口調になっていたみたい。にこにこ作り笑顔で愛想良く話すなんて、こびを売ることのように思っていたのです。
今でも、ただ普通に「単位取得の条件」というのを話しているつもりなのに、学生から「先生はすごく怒っていた」と言われる始末。
もっとおっとりと物静かに、やさしい口調で話せればいいのに。
また、しばらくは、「初めての人と話すのは苦手だ」と思いながら暮らしていくことになりそうです。
タニウツギの花(小石川植物園2011)
23日の午前中、妹から電話。2008年にいっしょに見にいったことのある、清里高原で行われる野外バレエ公演へのお誘いでした。妹は、電話で2時間しゃべり続けました。
妹は、子どもの頃から病弱で、いまもいくつかの病気を抱えながらの生活です。でも、妹は「仮死状態で生まれて、ある子どもはそのまま死んでしまったし、ある子は知的障害や身体障害を持つ子もいたなか、私は病気のいくつかはあっても、命はあるのだから、生んでくれた母に感謝する」と、言います。妹と同じ仮死状態で生まれた私の息子も、不調はありました。とくに私や私の伯母に似て、人間関係を築くことが不得手です。
伯母(母の姉)は、子どもの頃、場面緘黙症でした。家の中ではしゃべれるけれど、家から一歩外にでるとひとことも話せない子どもだったのです。私や息子は、伯母に似てはいるものの症状は軽くて、なにか緩衝剤となるようなものがあれば、「ひとこともしゃべれない」というのではなかったことを感謝しようということになりました。私も息子も、「ひきこもり」な性質ですが、社会の一員として仕事ができないほどではないから。
私は、妹のように自分から一方的にしゃべりまくる人に相づちをうつだけなら、いくらでも聞いていられるし、逆に、自分に関心のあることを一方的にしゃべりまくるなら、何十分でも喋っていられる。
私にできないのは、コミュニケーション。キャッチボールのように、テニスや卓球の気持ちのよいラリーのように、相手のことばを受け止め、推し量りながら、気持ちよくことばを交わしていく、そのやりとりができないのです。
たぶん、人間関係の距離の取り方やことばの選択が適切でなく、適切でないことによって人間関係が破綻してしまうと、その経験に恐れをなして、今まで以上に閉じこもる、そんなくり返し。
同じ三人姉妹でも、姉と妹は母に似て、人とおしゃべりするのが大好きで、世話好きな性格になったし、私は伯母に似て、ひきこもりの偏屈になった、性格それぞれ、人生いろいろです。
ネモフィラ(錦糸町公園2012)
三人姉妹のうち、下のほうでいじけて、葉っぱにかくれようとしているのが私。
23日の夜は、大阪から出てきて、ひとりで東京の演劇鑑賞をしてきたアコさんと待ち合わせて、夕食をいっしょに食べました。アコさんは「視覚障害者がもっと演劇を楽しめるような社会を作る」という主旨の会を主宰し、積極的に演劇鑑賞をしています。「JRの駅員さんは、ちゃんとホームまで案内してくれるし、公共の場所ではだれかしらが助けてくれるから、心配ない」というのですが、東京から大阪に引っ越して2年。それでも、「演劇は東京のほうが見やすい」と、お芝居を見るために、ときどき東京へ出てきます。
23日に見たのは、シェークスピアの『じゃじゃ馬ならし』を土台にした朗読劇で、朗読と歌を取り入れた、面白い試みだったそうです。こんなふうに、「演劇」という話題が決まっていて、アコさんが話してくれることを聞いている分には、おそばを食べながらのおしゃべり、とても楽しかったです。自分でおろし金でわさびをすり下ろす薬味がついたおそばも、アシタバのおひたしもおいしかった。
しゃくなげ(小石川植物園2011)
アコさんが「ビールをもうちょっと飲んでおしゃべりしましょう」というので、コンビニで缶ビールを買って、アコさんがネットで予約しておいたホテルまで行きました。
部屋までフロント係に案内してもらいました。前回東京に出てきたとき、アコさんは、このホテルのとなりのホテルに予約したのだそうです。そうしたら、フロント係はひとりだけで、係員は「目が不自由なのに、どうして一人で宿泊するんだ、介護者がいっしょに来て世話をするべきだろう」と言わんばかりの態度をとった。とても感じが悪かったので、そちらのホテルは二度と予約しない、と言っていました。
ホテル競争に勝ち抜くために、人件費を減らし、夜など、フロントをひとりで受け持たざるを得ないこともあるかと思います。しかし、人手が足りないときこそ、言葉のサービスには気をつけるべき。自分がサービスできないとき、ことばでていねいに説明し、相手を不愉快にさせない態度をとる。それができないようなホテルマンは、石ノ森章太郎のマンガ『ホテル』全巻を読んで勉強し直してほしい。
アコさんの話を聞いて、そういうサービスしかできないホテルは、私も予約しない、と思いました。口コミは恐いんだよ、ホテルメ○ツさん。
部屋の中の案内は、私からざっとしました。「ここに電話、ここにテレビのリモコンがあります」などの説明をして、さて、部屋の中で、くつろいでビールとおつまみでおしゃべり、と思ったのに、「ちゃんとしたコミュニケーションが取れない隣のホテルのフロント」のことを考えたら、急に息苦しくなりました。私だって、まともなコミュニケーションがとれない「コミュニケーション不全症候群」の一人なのに、と思って。
それで、あわてて「駅前区民会館の自転車駐車場に自転車が止めてあって、夜遅くなると自転車が綱で縛られてしまうので」と、アコさんに言って、帰り支度。ほんとうは10時までアコさんとおしゃべりするつもりで缶ビールを買ったのに、一口二口飲んだだけで、おいとましてしまいました。アコさん、こめんなさい。
ヒトツバタゴの花(小石川植物園2011)
おしゃべりは、重要なストレス解消手段、またアンチエイジングの方法であることが、医学的にも検証されてきました。ひとり寂しく暮らしている人は、病気になりがち、寿命が短くなる傾向にあること、つきあいが幅広く、いろんな人とおしゃべりを楽しめる人は、健康で長生きできることが、さまざまな調査で証明されているのだそうです。
ミツマタの花(東御苑2012)
私がネットを始めたのは、2002年の姉の死後、ますますおしゃべり相手が少なくなり、ますます引きこもりそうな自分を感じて、せめてネットの中ではおしゃべりしようと思ったからなのです。思った通り、ネットの中で一方的に文章を綴るのは、いくらでもできるのです。一日中キーボードに向かっていても大丈夫。ところが、顔と顔を合わせて、声を出しておしゃべりするのは、相変わらず苦手。
「私と話すと、みんな私のことを嫌いになってしまうだろう」という強迫観念は相変わらずですが、これから仕事も先細りになり、ますますしゃべる相手は限定されてくる老後ですから、なんとかもっと気軽に心地よくおしゃべりができるようになりたいです。
ロドデンドロン・アウストリヌムRhododendron austrinum(ツツジ科) (小石川植物園2011)
最後に、もうひとつ。
6月30日は、「茅の輪くぐり」の日。一年の半分がすぎたことに思いをいたし、輪をくぐることで半年間のケガレを吹き払い、これからの半年間の無病息災を祈る行事です。神社のPRサイトを見たら、当日お参りできない人は、郵送で「カタシロ」になるものを送れば、神社のほうでその人の代わりになるカタシロをくぐらせて、厄災を祓うのだそうです。
カタシロでいいのだったら、バーチャルでもよかろうて。茅の輪をUPしますので、よしなに「くぐったつもり」になって、厄災を祓って下さいませ。
これも、顔を合わせると、よいこと気の利いたことのひとつも言えない春庭からの「バーチャルサービス」です。
(おわり)
i find a rose named Chiyo.