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ぽかぽか春庭「薔薇を刺す」

2012-06-22 00:00:01 | エッセイ、コラム
2012/06/22
ぽかぽか春庭十二単日記>つゆに咲く花(5)薔薇を刺す

 K子さん宅での、女子会。演劇好きの3美女がおしゃべりしました。演劇話の途中、私の希望で、K子さんが録画しておいた、三島由紀夫の『サド侯爵夫人』を再生して第一幕を見ました。2012年3月に世田谷パブリックシアターで上演された白石加代子と蒼井優とが母娘になる配役です。

 演出の野村萬斎は、「(この劇には)フランス革命というものを下地にしたコスプレショー的なところもある」と語っていましたが、6人の女優の衣装、コスプレっぽくしています。(衣裳:齋藤茂男)
 麻実れい(サン・フォン伯爵夫人)は、Sの女王みたいな乗馬服着て鞭持っているし、白石のモントルイユ夫人は、着物をアレンジしたドレス。日本の着物が西欧貴族社会でもてはやされるようになるのは19世紀からだと思いますが、芝居衣装ですから、フランス革命時のキモノドレスってのもありにしときましょう。世間体と名声名誉欲がたっぷり詰まっているような衣装に見えてよかった。

 ちょうど1年前には、ジャニーズがらみで同じ演目を蜷川幸雄が演出。東がルネで生田斗真が妹のアンヌ。平幹二朗がモントルイユ夫人という、これまたすんごいメンバーでの6人の男優による「6人の女性が登場する劇」を演じて話題になりました。平は王女メディアなどで女性役も納得だったけど、トーマ、女性役こなせるのかしら、と思っていたら、なんのなんの、制作側のもくろみ通り、ジャニーズファンが押しかけ詰めかけ公演は大成功だったとか。

 K子さんに言わせると「昨今の演劇公演は、テレビで売れた人気タレントをひとり配役に入れて、演劇見るんじゃなくて、タレントを見る客がチケットを買えば、それで公演大成功。中年向けも同じ事。たとえば、大竹しのぶがでていれば、それだけで、しのぶちゃんさすが名演だったね、と客は満足するのよ」と、言っていました。演劇を作っていく側になったK子さん、舞台制作の裏側もよくわかっています。

 同じ演目を今度は、6人の女優の競演で、麻実れいは、鞭を振るうのがすごく似合ってS女王のようだし、白石加代子はいつも通り妖怪だか人間だかわからない像を生みだしているし。とにかく、私とK子さん、もう40年も昔、早稲田小劇場で『劇的なるものをめぐって』を見て、「東京の演劇はすんごい」と口をあんぐりあけて、白石のかっ喰らうたくわんを見て以来のおつきあいです。

 K子さんは、「ルネ役の蒼井優は、思ったよりよかった。もっと危なっかしくて見ていられないかと思った」という感想。私は、舞台俳優としての美波を初めてみたので、「美波が思ったよりよかった」と言うと、舞台通のK子さん、美波はずいぶん前からいろいろな舞台を踏んで成功していたと教えてくれました。ルネの妹にしてアルフォンス・サドの逃避行に同行するアンヌ役の美波、私がはじめて見たのはテレビドラマの『有閑倶楽部(2007)』だったから、フランス人ハーフのお人形さんのような容姿から、よくある「モデルがちょっと台詞しゃべるテレビタレント」だと思っていて、久しぶりに美波を見たのは、「運命の人」 最終話の謝花ミチ役。少女時代米兵にレイプされた影のある女性役を演じていて、ちょっと見ない間に、ずいぶんと上手になったこと、と思ったら、舞台で活躍していたんですね。

 背徳の罪により牢につながれ、世間からの指弾を浴びる夫、アルフォンソ。マルキ・ド・サド。三島の描き出したルネは、夫への貞節を貫く日々の姿を、薔薇の刺繍にたとえています。ルネは夫を待ち続け、ひと針ひと針の刺繍の針に思いを込める時間を自らの幸福だと言い聞かせます。

ルネ: 幸福というのは、何と云ったらいいでしょう、肩の凝る女の手仕事で、刺繍をやるようなものなのよ。ひとりぼっち、退屈、不安、寂しさ、物凄い夜「」、恐ろしい朝焼け、そういうものを一目一目、手間暇をかけて織り込んで、平凡な薔薇の花の、小さな一枚の壁掛け作ってほっとする。地獄の苦しみでさえ、女の手と女の忍耐のおかげで、一輪の薔薇の花に変えることができるのよ。
アンヌ:これからアルフォンスは、そのお姉様の丹精の薔薇のジャムを毎朝パンにつけて上がるわけね。
ルネ:皮肉屋ね、アンヌは。

薔薇の刺繍
 ときにはその華麗さが空虚へもつながる三島由紀夫の台詞の氾濫も、華麗な薔薇の刺繍のイメージにより「地獄の苦しみ」さえ一輪の薔薇に変わる。1幕にも3幕にも出てこない薔薇だけれど、2幕のこの台詞により、台詞術はやや単調ながら、蒼井優のルネが、「トゲある薔薇」のイメージになりました。

 『サド侯爵夫人』は、1965(昭和40)年の初演。海外公演も数多く、三島戯曲の最高傑作と評されています。(国内では、新派むきの『鹿鳴館』のほうが上演回数が多いだろうけれど)

 三島は、この戯曲の登場人物は、サド侯爵夫人・ルネは「貞淑」。厳格な母親モントルイユ夫人は「法・社会・道徳」。敬虔なクリスチャンのシミアーヌ男爵夫人は「神」。性的に奔放なサン・フォン伯爵夫人は「肉欲」。ルネの妹・アンヌは「無邪気、無節操」。家政婦・シャルロットは「民衆」を代表する、と記しています。モントルイユ家の3人はサド侯爵をめぐる実在の人物ですが、あとの3人は、三島の創作。
 三島は、長年獄中の夫を支えた妻、ルネが、夫が釈放されると修道院へ入ってしまうことの不可解さにひかれてこの戯曲を構想したと、執筆動機を書いています。(河出書房新社版→新潮文庫版所収)

 私の受け止め方は、、、、、。
 三島の母・倭文重(しずえ)は、跡継ぎである長男を姑の夏子にとりあげられ、自らの手で育てることがかなわなかった。「母親である自分は、平岡公威を育てるということに関しては、姑の夏子に妨げられてしまったが、文学者三島由紀夫を誰よりも理解出来る人間だ」と自己規定していたと思われます。「私はあなたの理解者よ」と言いながら、三島の「普通の結婚」を望んだ母と、三島の性的嗜好を決して許そうとはしない妻の間にあって、どちらからも逃げ出すことのできない三島によって書かれた戯曲が『サド侯爵夫人』と、私は解釈します。

  三島は1958(昭和33)年に、杉山寧の長女・瑤子と結婚。結婚当初は妻に遠慮していた三島も、やがて、妻の顔色を見つつも、男性との性的関係を復活させました。
 三島は、老年になった侯爵と夫人との離別に触発されてこの戯曲を書いた、と言うのだけれど、「夫のどのような性的嗜好もあまんじて受け入れ、貞淑を尽くしてきたルネ」が夫との別れを決意するまでの心理は、ルネが「私はアルフォンスなのです」という夫への一体感から、夫が描き出した「貞潔であるゆえに不幸続きの女」に自分を同化させ、「私はジュスティーヌなのです」と、言うまでの、すべての軌跡が三島自身なのだ、と思います。三島がこの戯曲を構想したのは、「私こそが、アルフォンスであり、ルネであり、ジュスティーヌなのです」と考えたからだろうと思うのです。

 三島は渋澤達彦の「マルキ・ド・サド」に触発されて戯曲を書きました。最初はアルフォンスを登場させる構想でしたが、侯爵を一度も舞台に上に出さない、というアイディアを思いついてから、一気に戯曲執筆が進展して、と三島は述べています。

 ルネとその母親を主人公とし、「世間体が何より大事な母親とも、世間体に反逆して生きた夫とも決別する女の物語」として書き換えました。三島は、結婚という制度からも、母と息子という逃れられない血縁からも自由になりたかったろうと思います。現実には、三島は最後まで母には孝養を尽くしたし、妻が「夫の男性関係」を許さないことにも恐々として、表向きは「妻とふたりの子のいる世界的な作家」としての自分を崩そうとしなかった。

 ルネが世俗と決別し、修道院へ向かう理由について、三島は「夫の小説の登場人物ジュスティーヌの不幸と自分自身を重ね合わせ、精神の自由を得て創造の世界を天翔る夫と自分は別の世界に住人であるから」と語らせています。

 獄を出て面会に表れたアルフォンス。乞食のような姿で表れたと、女中のシャルロットが言うにも耳をかさず、ルネは、自分の心の中にあるアルフォンスを胸に、修道院へ入るのです。

 夫を捨て、母親の干渉にも決別して修道院へ行くルネ。
 三島は、この戯曲初演の5年後に、妻子を捨て母親も顧みず、市ヶ谷駐屯地へ行って、若い男といっしょに死にました。自らの望むままに、自らの行く手を決めた、という点では、まさに「ルネは私なのです」という三島の声がきこえてくるように思います。

 ルネとアルフォンス・サド侯爵は、フランス革命勃発によって運命を変えていきます。しかし、三島が望んだ、日本の運命を変えるべき革命(天皇による新しい時代をもたらす革命!)は、どこにも顕現しませんでした。三島の願った天皇像は、すでに20年前に滅びさり、1970年の天皇は、三島にとって「出獄し乞食のような姿になった侯爵」さながらであったことでしょう。三島の渇望する天皇がアナクロニズムの道化にしかならないことを、知っていながらの「軍隊ごっこ」だったように思うのですが、死んだ人の心の中は、その人にしかわかりません。今の目から見れば、コスプレにしか思えないので。

 薔薇と三島。
 三島由起夫の写真集『薔薇刑』は、細江英公撮影による、三島由紀夫の裸体写真集です。撮影は1961(昭和36)年9月から1962(昭和37)年)春まで、約半年間。自宅を撮影場所に提供したときは、妻と2歳の娘にはその撮影現場を見せたがらなかったそうです。「娘の教育上よくないから」と、妻を実家に帰らせている間に撮影された裸体像は、三島好みのマゾヒズムに貫かれており、発売時にはスキャンダルめいた人気を呼びました。2008年、税抜き5万で発売された500部もたちまち売り切れたそう。私は写真美術館で見ただけで、もちろん5万出して買うことはできません。

写真集『薔薇刑』より、薔薇を持つ三島由紀夫


 薔薇ほど、多様なイメージ、シンボルとなって言葉にされた花はないかもしれません。華麗な花と鋭い棘と。近年は品種改良で棘のない薔薇というのも売り出されているのだそうですが、美しいものには棘あってこそ、毒あってこそ。
 文壇というものも滅んだ21世紀、文学の世界には、三島ほどの毒と棘をもった作家はもう出現しないかもしれません。西村賢太の棘も、田中慎弥の毒も、私には痛くない。

 わたくし?何の毒も棘もない雑草ですけれど、何か。
 雑草は手折られもせず、踏みしだかれるのみ。
 
<つづく>
コメント (2)
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