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ぽかぽか春庭「つゆくさ」

2012-06-16 12:00:00 | エッセイ、コラム

2012/06/16
ぽかぽか春庭十二単日記>つゆに咲く花(1)つゆくさ

 6月、傘を傾けながらの通勤の足は、どうしても重くなりがちです。仕事先まで、少しでも軽やかに足を運ぶために、つゆのあいまの楽しみを見つけて歩きます。
 月曜日と木曜日、仕事先へ向かう人々、電車線路の下の地下道をくぐって、駅前広場を回っていきます。広場の先が大学入り口です。
 私は、駅を出ると通学通勤の人々と反対方向に向かいます。

 私がわざと反対方向へ向かうのは、駅の左手にある地下道ではなく、右手にある踏切を渡り、「朝日町通り」を通って行くためです。(「朝日町通り」って、全国各地にあるみたい。平凡な名前なんですね)大学に着くまでの時間はほとんど変わらないのに、踏切を渡っていく人はほとんどいません。私も、「なんだ、踏切を渡っていっても大学までかかる時間は同じなんだ」と気づくまで何年もかかりましたから。

 この通りの東側、ただぼうぼうと木や草が生えている空き地でしたが、今年はじめに工事が入りました。大きな木を切り倒し、コンクリートの建物の残骸を掘り起こして、何か施設ができるのかなと思っていたのだけれど、このところ、工事も進まず、何の進展もありません。工事が始まったら、うるさい道になるかもしれませんが、今のところ、この空き地沿いの通りは、雑草天国です。春先のたんぽぽ、外来種が野生化したようにみえるポピーに似た花。今はアザミ、ヒメジョオン(ハルジョオンなのかもしれません)ほかにも、私には名前のわからない雑草がぎっしりと生えています。大きな木がなくなって日当たりが良いので、何かの施設ができるまでは雑草たちは思いのままにはびこることでしょう。
 外来種に押されるのか、あまり広い範囲には広がらないものの、露草の一群もひっそり青い花を咲かせています。
朝日通の道ばたのつゆ草2012年6月撮影

 私は、露草が大好きです。私が染め物に心ひかれるのも、子どもの頃、露草をしぼって染め物遊びをしたからだろうと思います。

 古来、つゆ草は、布や紙を染めるのに使われました。青いほのかな染め色。「露草色」という色名もあります。しかし、日の光に晒されたり、水に濡れるとたちまち色あせてしまう、はかない色でもありました。藍などの染料によって青色が染められるようになると、露草での染め物はすたれ、近年には、水ですぐ色落ちすることを利用して下染めの模様を書くのに使われる程度になりました。

 露草の名前、異名がたくさんあります。
 夜明け前の空に月が残るころに咲くから月草、また、色がつく花なので、着き草、付き草。花びらを搗いて色を絞ることから搗草とも呼ばれました。染め物関係の呼び名では、花汁を絞って「青花紙・縹(はなだ)紙」を作ることから、青花・縹草(はなだぐさ)、藍花。花びらの形から帽子花、葉の形から鎌柄(かまつか)。そのほか、空草、ほたる草。

 万葉集では「つきくさ」に「鴨頭草」の表記をあてています。万葉集の中の露草は、「人の心の移ろい易さ」「はかない恋」の象徴として歌われています。
 漢字古名では、鴨頭草のほか、鶏舌草、碧竹子、竹鶏草、竹叶菜、竹叶草、淡竹叶、小青、耳環草、碧蝉花、藍姑草、竹節菜、翠蝴蝶、笪竹花、鼻斫草、翠娥眉、碧蟾蜍、碧風花、鴨脚、倭青草等があります。
 和名でも漢字名でも、さまざまな呼び名があるということは、それだけ露草が人々に親しまれ、利用されてきた身近な花だった、ということでしょう。
 
 すぐに色あせてしまう儚い青色、「はかない恋」の思いを伝える歌が残されています。
 朝開 夕者消流 鴨頭草乃 可消戀毛 吾者為鴨 (万葉集 巻十2291)
 朝咲き 夕は消ぬる 鴨頭草の 消ぬべき恋も 吾はするかも(詠み人しらず)
(あしたさき ゆうべはけぬる つきくさの けぬべきこいも われはするかも)

 朝には花を咲かせているのに、夕方になると花を閉じてしまうつき草のように、朝には恋心ときめかせても、夕べに身も心も消入りそうなとても切ない恋を私はしています

 朝露尓 咲酢左乾垂 鴨頭草之 日斜共 可消所念 (万葉集巻十ー2281)
 朝露に咲きすさびたる鴨頭草の日たくるともに消ぬべく思ほゆ (詠み人知らず)
(あさつゆに さきすさびたる つきくさの ひたくるともに けぬべくおもほゆ
) 
 朝露をうけて咲き盛っていた露草が、日が傾くとともにしぼんでいくように、私の身も消えてしまいそうに思われます

 「万葉集」で露草に「鴨頭草」という漢字があてられたのは、カモの頭が下を向いているように、花がうつむいて咲くから、という解釈があり、花の形からの呼び名のようです。
 月がまだ空に残る頃、妻問い婚の相手が寝屋を出て、帰っていくちょうどそのころに咲き始める「つき草」。朝露の残るあしたには、私の思いのように、心にたくさんの露がしたたっている。しかし、日が上り、日が傾くとともにしぼみ消えてしまうつき草のように、妻を問うたあなたの色が消えてしまう。あなたの色に染められた私の身も心も、日の傾きとともに儚く消えてしまうのか、、、、

 「詠み人知らず」の歌の中には、罪を得た人の名を隠すためにそう記されている場合もありますが、東歌の民謡のように、人々が歌垣のときに寄り集まって、若い男女が思いを告げ合って歌う、そんな歌にも思われます。

 折口信夫は、「副詞表情の発生」という論文において、「可消 けぬべく」という表現が出現するのは、「露」と「雪」「霧」が出てきたときが多い、と述べています。

 「消ぬべく」という副詞的表現に関する折口の説
 朝露に咲きすさびたる「鴨頭草之日斜共可消(ツキクサノヒタクル(?)ナベニケヌベク)」思ほゆ(同巻十)
 これなどは、殊に前述の心理過程を示したものと言へよう。「露」と「消ぬかに」「消ぬべく」との古い関係が低意識の間に隠見する訣なのである。表面に、鴨頭草の消ぬべき様を、自らの心の譬喩としたのである。其は一方、此花の「うつろひ」易き事を、知り悉してゐる心の一展開であつた。さうして更に、新しい技巧は、「日斜共」と言ふ説明を加へさせて来てゐる。さうして、第一句から第四句に亘つて、長い序歌に為立てた訣なのである。だが、かうした形も、単なる類型の追求が、表面の合理性を持つて来たもの、と言ふことが出来るであらう。

(青空文庫 http://www.aozora.gr.jp/cards/000933/files/47200_33642.html)

 折口信夫は、このように「露草」が「はかなく消えてゆく思い」の譬喩となっていく日本語表現の進展について述べています。

 折口信夫の「副詞表情の発生」がなんだかよく理解できずとも、私はわたし、これらの歌を味わい、露草のはかない色がますます好きになります。
 露草の青い花びらの儚い青色を今の季節を楽しみ、そうね、できれば、夕べにはしぼんでしまう儚い恋でもいいから、「消ぬべき思ひ」を知りたいです。
 つゆのあいまのつかのまの恋、消え入りそうな露草色の思い。露草の季語は秋ですが、新編集の季語集では、朝顔とともに夏に入れられるみたいです。新季語集では、従来通りの旧暦による分類ではなく、新暦中心の、現在の季節感による季語を集めるということですが。以下は、秋の歳時記に載っている露草。

・露草を面影にして恋ゆるかな 高浜虚子
・露草の露のちからの花ひらく 飯田蛇笏
・露草や飯噴くまでの門歩き  杉田久女

<つづく>
コメント (10)
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