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ぽかぽか春庭「蓮のうてな」

2012-06-29 00:00:01 | エッセイ、コラム

2012/06/29
ぽかぽか春庭十二単日記>つゆに咲く花(10)蓮のうてな

 わが家のペット、真っ黒くろすけのロップイヤ-兎。娘の命名による本名「風信子(ヒヤシンス)」。呼び名は「風(ふう)ちゃん」。2004年3月に、娘が友人から譲り受け、8年間、わが家のベランダで暮らしました。

子兎のころのふうちゃん

 5月中旬、息子と娘が「ふうちゃんがあまりごはんを食べないから、変だ」と言いだしました。うさぎは暑さに弱いので、毎年、夏場は食欲が落ち、秋になると、大食漢になります。心配は心配だけれど「年をとってきたから、夏の食欲不振が早く来たのかしら」と、いつものこと、と思っていました。
 昨年、ふうちゃんは、老化に伴って子宮が悪くなりかけました。うさぎ専門クリニックで子宮摘出の手術をしたあとも、たちまち食欲が回復したくらい、食べるのが大好きな兎です。干し草も大好きでよく食べていました。

 手術後の検診では、「子宮がなくなった分、胃が広がって大食漢になるけれど、食べ過ぎはよくないから」と、獣医さんから注意を受けました。それで、食べ過ぎることを警戒していたのですが、あまり食べないので変だ、と発見したのは息子でした。
 「歩き方が変」と言いだし、娘と二人でうさぎクリニックに連れていきました。ペット病院はあちこちにあるけれど、うさぎ専門クリニックは都内にこの病院くらいしかないので、千葉や神奈川から通ってくる飼い主さんもいます。

 診断はうさぎによくある「斜頸」という病気で、三半規管が調節不能になってしまうのだそうです。首が傾いて見えるのは、体のバランスをとることができないから。そのため、ずっとめまいがして、船酔い状態が続くような気持ちなので、ふらふらして食べ物も食べられない、という症状なのだそうです。斜頸自体は死んでしまうようなびょうきではないけれど、年をとっているので、衰弱してしまわないようにしなければならない、という診断でした。

 娘は、餌を「強制給餌」するためのシリンダーやら、薬を飲ませるスポイトなど看護道具を一式用意し、毎日3回、抱っこしての介護生活がはじまりました。自分で動くことが出来なくなた兎のために、ふんの始末、床づれにならないよう、マッサ-ジ、流動食を食べたがらないので、少しずつだましだまし与え、一回の食事に1時間もかかる。

 最初の1週間で少し体力が持ち直したので、斜頸をなおす薬の投与をはじめたのですが、次の1週間でまた体重が減り、最後の1週間は毎日クリニックに通って点滴をしてもらいましたが、ついに介護うさぎになって4週目に死んでしまいました。


 娘は、最初のうさぎ「あすか」と次の「タイム」も看取りました。あすかは4歳、タイムはわが家に来て1年で死にました。(タイムは、売れ残りがペットショップによって捨てられたらしい兎で、足がわるく、娘と息子が公園で拾ったときにはもう大きかった)。
 私は「兎は寿命が短くて、別れるのがつらいから、もう飼うのはいやだ」と、言ったのですが、娘と息子は、「母は、うさぎの世話をひとつもしなくていいから」という約束で、ふうちゃんがわが家に来たのです。

 ふうちゃんは、病院へ検診に行くにも、餌やりやトイレの始末も、いっさい私はかかわらず、娘と息子が世話をしました。娘は母親のような態度で育てましたし、息子にとっても「家の中に自分より小さい存在がある、世話をしなければひとりで食べることができない命がある」ということで、妹のように大切にしていました。16歳で高校卒業資格認定試験に合格し、大学入学まで2年以上家の中に引きこもっていた間も、何よりの心のなぐさめになっていました。
 
 お葬式をすませて、テーブルの上に出しっぱなしになっていた兎用のスプーンやスポイトを片付けようとしたら、息子はしゃくり上げながら「気がすんだら、あとで、僕が始末するから、今は捨てたりしないで」と訴えました。
 娘も息子も大泣きで、悲しい思いをしてしまいましたが、命ある者との別れを経験し、大切なものと引き裂かれる悲しさを知ることで、よりいっそう心やさしくなれると思います。

 命あるものが、命のかぎりをせいいっぱい生きぬこうとする尊い姿を、ふうちゃんは教えてくれました。
 8年間を共に生きたふうちゃん、娘や息子の心の友になってくれて、ほんとうにありがとう。

 ペットロスというと、「親や子、兄弟と死に別れる立場の人もいるのに、動物が死んだくらいで、、、」と感じる人もいると思うのですが、ペットも同じ家族です。
 私は、子どもの頃、大好きな祖母(母の母)が亡くなったとき、悲しかったけれど、同じ家では暮らさなかった人でしたから、どちらかと比べるのもおかしいけれど、13年間共に暮らした犬のコロが死んだときのほうが、死の悲しみから立ち直るにはずっと長くかかった、ということを思い出します。

 娘は、夫と同じで「宗教大嫌い」という主義なのですが、こういう時ばかりは,私が「ふうちゃんは広い草原の兎の天国で、あすかちゃんやタイちゃんといっしょにいるから」というなぐさめを受け取ってくれました。

 こういうとき、「霊魂を持つのは人間だけで、神は動物には魂を与えなかった。動物は天国に入れない」という宗教ではなく、「一寸の虫にも五分の魂」という仏教徒でよかったと思います。(私のは、アミニズムと習合した仏教ですが)
 
 兎が死んで2週間すぎて、少しずつ娘も息子も日常生活を取り戻してきました。
 「蓮のうてな」にはふうちゃんが大好きだった干し草もあることでしょう。蓮のうてなに、みな仲良く暮らしていると思うことにします。

<つづく>
コメント (8)
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