2013/08/01
ぽかぽか春庭・知恵の輪日記>2003年の夏(6)夏の庭
コピー&ペースト日記、10年前の夏の続きです。「夏の庭」は、何度かセルフコピーしている、自分が書いた「昔の思い出」の中ではお気に入りのエピソードです。50年60年昔のころ過ごした夏の庭の光景がよみがえってきます。
10年前の夏も、2013年の夏も、ぐうたらぐうたらであるのはまったくかわり映えなく。
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2003/08/01 金 曇りときどき小雨
日常茶飯事典>夏の庭
5時すぎ、車で迎えに来てもらい、よう子さん宅へ。
よう子さんのお父さんは東京から移り住んで畑を開いたが、事業の失敗で土地はほとんど人手に渡ってしまった。今では、お母さんが住む母家、よう子さんの仕事用離れと、家庭菜園と果樹の庭だけが残された。仕事用離れと言っても、洋室2室にキッチンがあり、団地2DKの我が家と同じくらいの広さがある。
いつもジャムを分けてもらう庭の木々。ゆず、みかん、キウイ、柿、いちじくなど、木を見たり、タイム、ローズマリー、フェンネル、オレガノなどのハーブについて教わったり。私には、ローズマリーとタイムの区別もよくわからないのだが、野菜や果物やハーブに囲まれている生活、いいなあ。
よう子さんが夕食の準備をしてくれている間、一人で庭を眺めながら、なんだか子どものころを思い出して、胸いっぱいになる。
子どもの頃の庭。縁側のぶどう棚、玄関脇の柿の木、裏庭のいちじく。 口いっぱいにほうばった坪山のユスラゴ。ぼたんきょう(はたんきょう)の木は、アメリカシロヒトリがたかるようになり、お父さんが切ってしまったっけ。(うちのあたりでユスラゴと呼んでいたのは、ゆすら梅のことで、ボタンキョウは牡丹杏のこと)
あんずの木は父が子どものころ食べて育った木を接ぎ木した。ついに実がならないままだったが、切ろうとはしなかったのは、子どもの頃の思い出が実となって、父の目に見えていたからだろう。いま、よう子さんの庭を見て、私がこどものころを思い出したように、父は杏の木を見て、自分の子ども時代を思い出していたのだ。
子どものころは、うちの庭が不満だった。絵本の中にでてくる、天使像のラッパの先から噴水があふれ、白い大理石の泉にそそぐような、珍しい花々の間をお姫様が散歩をするような、洋風の庭のある家だったらどんなにいいだろうか、と我が家の雑草半分の庭を見ていたのだった。
私が幼稚園小学校の頃、庭の西側は夏になるとダリアの花でいっぱいになった。庭の手入れなどしていないが、球根から毎年花が咲いた。ままごとにダリアをつかうときは「花粉に毒があるから、手につけないように気をつけて」と、注意を受けた。ダリアの花は、夏のままごとのごちそうだった。私たちがままごとをしなくなったら、いつのまにか、ダリアは庭から姿を消してしまった。球根にも寿命があったのかもしれない。
夏の庭。お母さんが洗濯物を干している。姉が「料理やさん」で、お料理を作る。私は「やおやさん」で、庭から花や葉っぱを集めて、料理やさんに売る。まだ幼い妹スモモはお店やさんになれないから「しんよきんこ」になってお金をあずかる。
料理屋さんが開店すると、私と妹が食べに行く。何回か食べるうちに、最初に均等にわけたはずのお金は、いつのまにか料理屋の独占になって、お店やさんごっこは終わりになる。
野菜の値段より料理の値段の方が高くなるのは納得できたが、信用金庫はお金を預かって、利子を付けて返したら絶対損をするとおもうのに、なぜお金を集めにくるのか、さっぱりわからなかった。
スクーターで「きんこおじさん」がやってくる。今月の預金を集めに来たのだ。母は洗濯物を干し終えて、信用金庫勤めの弟に麦茶を出す。私たちはままごとをやめて、止めてあるおじさんのスクーターにまたがり、運転ごっこをはじめる。姉と私と妹を乗せて、スクーターは夏の庭から飛び出し、お日様の向こうまで走り回る。夏の陽は、そろそろ西に傾いてくる。
長じて料理好きの姉、柿実さんが開いたレストランは借金を残してたちまちつぶれてしまった。ままごとではいつも一番お金持ちになるのに、実際の経営ではつけを回収することができなかった。食材や内装にお金をかけ、料金設定は低くしたから、少しも儲からない店だった。料理上手だったけど、金儲けの才能が欠如している我が一族のわくを越えることはなかった。
坂下の土地は木も全部切り倒し、庭はコンクリートで固めたアパートにしてしまった。新しく建てた自宅のローンとアパートのローン両方をかかえて、スモモはずっと、ヒィヒィ言っている。
お母さんが死んで30年、母の弟きんこおじさんが死んで2年。姉が死んで1年3ヶ月。夏の庭は瞼の中に遠い。
よう子さんのお母さん丹精の野菜を使ったトマトサラダとグリーンサラダ(ルッコラがおいしい)。自家栽培のジャガイモやハーブを使ったカレーをごちそうになり、最後は「今年のはよくできた」というスイカ。朝収穫して、冷やしておいたのだって。
カレーもスイカも野菜もとてもおいしかったし、お母さんもとてもいい人。1924年の生まれというから、1925年生まれの姑より1歳年上の79歳。足が弱くなって、犬の散歩ができなくなったというが、ほとんどひとりで畑の世話をしていて、お元気。畑や果樹の世話も健康法のひとつなのだろう。野菜をご近所に分けてあげて「おいしかった」と言われるのが楽しみ、と言う。
夏野菜のおみやげまでいただいて、駅行きのバスに乗る。家に10時半についた。
さっそくトマトを冷やして食べた。とてもおいしいので、トマトぎらいの娘にも「すごくおいしいから、トマトじゃないと思ってたべてごらん」と勧めたら、「おいしい、おかわり食べる」と言うので、もうひとつ食べた。「わたしは、トマト嫌いじゃなかったんだ、まずいトマトが嫌いなだけだった」という娘の感想。
本日のねたみ:うらやましいぞ広いお庭
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2003/08/02 土 晴れ
日常茶飯事典>花火
4時出発。ピザや焼鳥を買い、川沿いの土手を歩く。去年より人出が多いが、打ち上げ場所近くにスペースがとれた。5時すぎにはもうぎっしり周囲がうまってきた。小学校のうらのコンビニへ、飲み物を買いに行く。戻ってきて6時。
娘と息子は、かき氷を食べたりして「こうやって待っている分には退屈しないね」と言っている。私も退屈しのぎに宮部みゆきの推理小説を持ってきたが、たいしてページは進まなかった。青空にうかぶ白い雲、夕日に染まる雲、そんな雲の変化をのんびりと親子で眺めているだけで、時間がたつ。
7時から打ち上げ開始。江戸開府400年記念の「和火」の打ち上げも含め、最後のナイアガラ、スターマイン連発まで楽しんだ。
本日のうらみ:ダイエット中につき、缶ビール2本でがまんした
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2003/08/04 月 曇り
日常茶飯事典>ぐうたら夏休みその2
午前中は『東京下町殺人暮色』を読む。花火大会の時間待ちにちょうどいいかと推理小説を持っていったが、結局たいして読めなかった。たいして読み進めなかったけれど、事件がおきて、捜査がはじまったところまでは読んだので、読み始めれば最後まで続けて読んでしまわなければ気がすまない。
だから、推理小説は老後の楽しみにしておいたのに。と、文句を言ってもはじまらない。宮部みゆきの本も、ほとんどを「先の楽しみ」にしてこれまで読まずに我慢してきたのになあ。
「まだ、成績を提出していないのは先生だけ」という、おしかりの電話。「もうしわけありません。明日持参します」と、締め切り日をさらに一日あとまわしに。締め切りがあしたとなれば、もう、今日は勝ったも同然。と、またぐうたら。
本日の負け惜しみ:あしたのことはあした考える
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2003/08/05 火 晴れ
日常茶飯事典>石田衣良にサインをもらう
午前中、なんとか「指導案」のABCをつける。課題レポート、指導案、模擬授業へのコメント、授業中活動ポイントの総合で、最終ABC。
なんとか午前中に教務課に提出した。「遅れてすみません。ご迷惑をおかけしてしまって」と平謝り。どうしたら公平できちんとした成績がつけられるかなんて悩んでいないで、さっさと適当につけて提出した方が、教務の人からは受けがいいのだろうが、優柔不断な性格だから、人にランクをつけるということがとてもとてもいや。できれば、全員優でも私はかまわない。しかし、「おおむねAは受講学生の2割程度、Bは5割程度Cは2割」などと、割合まで基準があると悩む。
いろいろ悩んで結局最終的にはBが2割で、あとはAという甘い採点。ま、そんなもん。
午後、「これで前期の仕事は全部終わったあ」という開放感をどこで味わおうかと思ったが、映画、美術館、本屋という選択肢しか思いつかない人間だった。
「ブックファースト」へ。
文庫になってから買おうと思っていた『4ティーン』を買った。「本日、石田衣良先生来店。サイン会は6時半から」という店内ポスターを見て、ミーハーの血が騒いだので。
6時15分から列にならんだ。私の整理券番号は56番。いくらミーハーな私でも「ため書き」を自分の名前にするのは気恥ずかしいので「14歳の君へ」として、息子の名前を書いてもらうことにした。
石田衣良は気さくな感じで、ファンのひとりひとりに話しかけていた。私は「今までの作品で好きなのは『娼年』です」と言った。
池袋ウエストゲートパークはテレビドラマで見ただけだし、単行本を読んだのは『娼年』ただ一冊だけだから。読んだ本が一冊だけだもの、その一冊がベストワンに決まっている。
そしたら石田さんは「えっ、珍しいですね。あんなエッチな本を」と言う。男娼の話ではあるけれど、わたしにとって「エロスではなくタナトス死と再生」の香りが強い本だったし、リョウのビルドゥングスとして気分良く読める本だった。でも、そんな感想を述べる余裕はなく、ただ、「ありがとうございました」だけ言って、サイン会場を出る。握手したりいっしょに写真を撮ったりしているファンもいたのだから、もうちょっと話をしてみたかったけれど、まだ、ミーハー道の修行が足りない。
本日のそねみ:私もいっしょに写真とりたかった
<つづく>
ぽかぽか春庭・知恵の輪日記>2003年の夏(6)夏の庭
コピー&ペースト日記、10年前の夏の続きです。「夏の庭」は、何度かセルフコピーしている、自分が書いた「昔の思い出」の中ではお気に入りのエピソードです。50年60年昔のころ過ごした夏の庭の光景がよみがえってきます。
10年前の夏も、2013年の夏も、ぐうたらぐうたらであるのはまったくかわり映えなく。
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2003/08/01 金 曇りときどき小雨
日常茶飯事典>夏の庭
5時すぎ、車で迎えに来てもらい、よう子さん宅へ。
よう子さんのお父さんは東京から移り住んで畑を開いたが、事業の失敗で土地はほとんど人手に渡ってしまった。今では、お母さんが住む母家、よう子さんの仕事用離れと、家庭菜園と果樹の庭だけが残された。仕事用離れと言っても、洋室2室にキッチンがあり、団地2DKの我が家と同じくらいの広さがある。
いつもジャムを分けてもらう庭の木々。ゆず、みかん、キウイ、柿、いちじくなど、木を見たり、タイム、ローズマリー、フェンネル、オレガノなどのハーブについて教わったり。私には、ローズマリーとタイムの区別もよくわからないのだが、野菜や果物やハーブに囲まれている生活、いいなあ。
よう子さんが夕食の準備をしてくれている間、一人で庭を眺めながら、なんだか子どものころを思い出して、胸いっぱいになる。
子どもの頃の庭。縁側のぶどう棚、玄関脇の柿の木、裏庭のいちじく。 口いっぱいにほうばった坪山のユスラゴ。ぼたんきょう(はたんきょう)の木は、アメリカシロヒトリがたかるようになり、お父さんが切ってしまったっけ。(うちのあたりでユスラゴと呼んでいたのは、ゆすら梅のことで、ボタンキョウは牡丹杏のこと)
あんずの木は父が子どものころ食べて育った木を接ぎ木した。ついに実がならないままだったが、切ろうとはしなかったのは、子どもの頃の思い出が実となって、父の目に見えていたからだろう。いま、よう子さんの庭を見て、私がこどものころを思い出したように、父は杏の木を見て、自分の子ども時代を思い出していたのだ。
子どものころは、うちの庭が不満だった。絵本の中にでてくる、天使像のラッパの先から噴水があふれ、白い大理石の泉にそそぐような、珍しい花々の間をお姫様が散歩をするような、洋風の庭のある家だったらどんなにいいだろうか、と我が家の雑草半分の庭を見ていたのだった。
私が幼稚園小学校の頃、庭の西側は夏になるとダリアの花でいっぱいになった。庭の手入れなどしていないが、球根から毎年花が咲いた。ままごとにダリアをつかうときは「花粉に毒があるから、手につけないように気をつけて」と、注意を受けた。ダリアの花は、夏のままごとのごちそうだった。私たちがままごとをしなくなったら、いつのまにか、ダリアは庭から姿を消してしまった。球根にも寿命があったのかもしれない。
夏の庭。お母さんが洗濯物を干している。姉が「料理やさん」で、お料理を作る。私は「やおやさん」で、庭から花や葉っぱを集めて、料理やさんに売る。まだ幼い妹スモモはお店やさんになれないから「しんよきんこ」になってお金をあずかる。
料理屋さんが開店すると、私と妹が食べに行く。何回か食べるうちに、最初に均等にわけたはずのお金は、いつのまにか料理屋の独占になって、お店やさんごっこは終わりになる。
野菜の値段より料理の値段の方が高くなるのは納得できたが、信用金庫はお金を預かって、利子を付けて返したら絶対損をするとおもうのに、なぜお金を集めにくるのか、さっぱりわからなかった。
スクーターで「きんこおじさん」がやってくる。今月の預金を集めに来たのだ。母は洗濯物を干し終えて、信用金庫勤めの弟に麦茶を出す。私たちはままごとをやめて、止めてあるおじさんのスクーターにまたがり、運転ごっこをはじめる。姉と私と妹を乗せて、スクーターは夏の庭から飛び出し、お日様の向こうまで走り回る。夏の陽は、そろそろ西に傾いてくる。
長じて料理好きの姉、柿実さんが開いたレストランは借金を残してたちまちつぶれてしまった。ままごとではいつも一番お金持ちになるのに、実際の経営ではつけを回収することができなかった。食材や内装にお金をかけ、料金設定は低くしたから、少しも儲からない店だった。料理上手だったけど、金儲けの才能が欠如している我が一族のわくを越えることはなかった。
坂下の土地は木も全部切り倒し、庭はコンクリートで固めたアパートにしてしまった。新しく建てた自宅のローンとアパートのローン両方をかかえて、スモモはずっと、ヒィヒィ言っている。
お母さんが死んで30年、母の弟きんこおじさんが死んで2年。姉が死んで1年3ヶ月。夏の庭は瞼の中に遠い。
よう子さんのお母さん丹精の野菜を使ったトマトサラダとグリーンサラダ(ルッコラがおいしい)。自家栽培のジャガイモやハーブを使ったカレーをごちそうになり、最後は「今年のはよくできた」というスイカ。朝収穫して、冷やしておいたのだって。
カレーもスイカも野菜もとてもおいしかったし、お母さんもとてもいい人。1924年の生まれというから、1925年生まれの姑より1歳年上の79歳。足が弱くなって、犬の散歩ができなくなったというが、ほとんどひとりで畑の世話をしていて、お元気。畑や果樹の世話も健康法のひとつなのだろう。野菜をご近所に分けてあげて「おいしかった」と言われるのが楽しみ、と言う。
夏野菜のおみやげまでいただいて、駅行きのバスに乗る。家に10時半についた。
さっそくトマトを冷やして食べた。とてもおいしいので、トマトぎらいの娘にも「すごくおいしいから、トマトじゃないと思ってたべてごらん」と勧めたら、「おいしい、おかわり食べる」と言うので、もうひとつ食べた。「わたしは、トマト嫌いじゃなかったんだ、まずいトマトが嫌いなだけだった」という娘の感想。
本日のねたみ:うらやましいぞ広いお庭
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2003/08/02 土 晴れ
日常茶飯事典>花火
4時出発。ピザや焼鳥を買い、川沿いの土手を歩く。去年より人出が多いが、打ち上げ場所近くにスペースがとれた。5時すぎにはもうぎっしり周囲がうまってきた。小学校のうらのコンビニへ、飲み物を買いに行く。戻ってきて6時。
娘と息子は、かき氷を食べたりして「こうやって待っている分には退屈しないね」と言っている。私も退屈しのぎに宮部みゆきの推理小説を持ってきたが、たいしてページは進まなかった。青空にうかぶ白い雲、夕日に染まる雲、そんな雲の変化をのんびりと親子で眺めているだけで、時間がたつ。
7時から打ち上げ開始。江戸開府400年記念の「和火」の打ち上げも含め、最後のナイアガラ、スターマイン連発まで楽しんだ。
本日のうらみ:ダイエット中につき、缶ビール2本でがまんした
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2003/08/04 月 曇り
日常茶飯事典>ぐうたら夏休みその2
午前中は『東京下町殺人暮色』を読む。花火大会の時間待ちにちょうどいいかと推理小説を持っていったが、結局たいして読めなかった。たいして読み進めなかったけれど、事件がおきて、捜査がはじまったところまでは読んだので、読み始めれば最後まで続けて読んでしまわなければ気がすまない。
だから、推理小説は老後の楽しみにしておいたのに。と、文句を言ってもはじまらない。宮部みゆきの本も、ほとんどを「先の楽しみ」にしてこれまで読まずに我慢してきたのになあ。
「まだ、成績を提出していないのは先生だけ」という、おしかりの電話。「もうしわけありません。明日持参します」と、締め切り日をさらに一日あとまわしに。締め切りがあしたとなれば、もう、今日は勝ったも同然。と、またぐうたら。
本日の負け惜しみ:あしたのことはあした考える
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2003/08/05 火 晴れ
日常茶飯事典>石田衣良にサインをもらう
午前中、なんとか「指導案」のABCをつける。課題レポート、指導案、模擬授業へのコメント、授業中活動ポイントの総合で、最終ABC。
なんとか午前中に教務課に提出した。「遅れてすみません。ご迷惑をおかけしてしまって」と平謝り。どうしたら公平できちんとした成績がつけられるかなんて悩んでいないで、さっさと適当につけて提出した方が、教務の人からは受けがいいのだろうが、優柔不断な性格だから、人にランクをつけるということがとてもとてもいや。できれば、全員優でも私はかまわない。しかし、「おおむねAは受講学生の2割程度、Bは5割程度Cは2割」などと、割合まで基準があると悩む。
いろいろ悩んで結局最終的にはBが2割で、あとはAという甘い採点。ま、そんなもん。
午後、「これで前期の仕事は全部終わったあ」という開放感をどこで味わおうかと思ったが、映画、美術館、本屋という選択肢しか思いつかない人間だった。
「ブックファースト」へ。
文庫になってから買おうと思っていた『4ティーン』を買った。「本日、石田衣良先生来店。サイン会は6時半から」という店内ポスターを見て、ミーハーの血が騒いだので。
6時15分から列にならんだ。私の整理券番号は56番。いくらミーハーな私でも「ため書き」を自分の名前にするのは気恥ずかしいので「14歳の君へ」として、息子の名前を書いてもらうことにした。
石田衣良は気さくな感じで、ファンのひとりひとりに話しかけていた。私は「今までの作品で好きなのは『娼年』です」と言った。
池袋ウエストゲートパークはテレビドラマで見ただけだし、単行本を読んだのは『娼年』ただ一冊だけだから。読んだ本が一冊だけだもの、その一冊がベストワンに決まっている。
そしたら石田さんは「えっ、珍しいですね。あんなエッチな本を」と言う。男娼の話ではあるけれど、わたしにとって「エロスではなくタナトス死と再生」の香りが強い本だったし、リョウのビルドゥングスとして気分良く読める本だった。でも、そんな感想を述べる余裕はなく、ただ、「ありがとうございました」だけ言って、サイン会場を出る。握手したりいっしょに写真を撮ったりしているファンもいたのだから、もうちょっと話をしてみたかったけれど、まだ、ミーハー道の修行が足りない。
本日のそねみ:私もいっしょに写真とりたかった
<つづく>