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ぽかぽか春庭「2003年夏の千羽鶴」

2013-08-03 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/08/03
ぽかぽか春庭・知恵の輪日記>2003年の夏(7)夏の千羽鶴


 2003年の夏日記つづき。
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2003/08/06 水 晴れ
ニッポニアニッポン事情>2チャン千羽鶴

 くらげんは「広島へ送る千羽鶴作り」を友だちとやっているそう。平和記念館の折り鶴が焼かれたあと、2チャンネルに「かわりの鶴を折って送ろう」という板が立ち上がり、くらげんも参加することにしたんだって。

 一人分で千羽はいくという。たぶん、全国規模で、焼かれた折り鶴より多い数が集まるだろう。ちょっと前であるなら若い世代にとって「平和を祈念して鶴を折る」なんて、ダサイ行為の代表のように思われていたのに、2チャンネルが呼びかければ「若者の流行現象」となる。2チャンネルの効用の大きさに、年寄りが気づかないといいのに、と思ってしまう。

 「折り鶴つくって広島に送ろう」に賛同した若者の大多数はこれまで「ヒロシマ?ゲンバク?しらねーよ。平和運動?かったりいよ。運動は、跳び箱も逆上がりもしたくねえ」という人たちだったと思う。だから、今回の折り鶴作りに参加して、ヒロシマやナガサキについて知ることができた人が少しでも増えれば、2チャンネルの有用性を生かすことができる。

 逆もまた真。千羽鶴作りに参加した人の何割かは、まったく何も考えず、ただ「2チャンネルのイベント、楽しめそうなことならとりあえず参加」という者もいる。
  うまい具合に誘導すれば「イラクへの義勇兵募集、平和維持活動に参加しよう」でも、「北朝鮮の不法核兵器を摘発するためのボランティア募集」でも、可能になるだろう。つられる若者は必ずいる。
  
 個人を誹謗中傷した板の存在についての責任をひろゆきがおわされることはあっても、どんな板を立ち上げるか、基本的には自由なのだから。

 古い体質の政治家が多く、いまだに有権者の前で土下座パフォーマンスをしたり、おばさんに握手責めでいけば、当選できると思っているうちはいいけれど、ネット利用の世論操作の方法がもっと巧妙になったとき「思考停止、寄らば大樹、付和雷同」の我が同胞たちは、どのように操作されていくのだろうか。
 ネットはおもしろいけれど、その使い方について、私たちはあまりに無知だ。

本日のwebSurfなみ:ニッポニアニッポンはひろゆきと2チャンネラーを応援しています

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2003/08/07 木 薄曇り
トキの本棚>『4TEEN』

 息子は午後1時に起きてきて、天王州アイルのアートスフィアで、演劇サマーフェスティバルを見るのだと、出かけた。電車の中で読む本用に『4ティーン』を渡す。自分の名前の献辞入り作家直筆サイン本を、気がなさそうに受け取る。

 ゲームの攻略本以外の読書はかったるいと思っているのだ。レポートを提出しなければならない夏休みの課題図書は「数学に関連した本」と、英語の「シャーロックホームズ」だけだ。ホームズはドイルの原作ではなく、中高生対象くらいにリライトされたものだが、息子にとっては「日本語で読めばいい小説をなんでわざわざ英語で」ということになる。英語科の宿題なんだから、しかたあるまい。

 『4TEEN』あまりの健全さにめまい。もうちょっと毒があるかと思ったのに、「ぜってぇアリエネー」という中坊ジュブナイルファンタジー。ま、息子に読ませるには教育上よろしい本である。夏休みの清涼飲料水。毒入りカクテルなんかで酔うことを覚える前に、必要な読書。石田衣良は『スタンドバイミー月島版』をやりたかったのだと思う。そして、それは成功している。ケ~ンゼンなのに面白いというのは、とてもむずかしいことだけど、ちゃんと面白い。

 スタンドバイミー観音寺小学生版が『松が枝町サーガ』月島中学生版が『4ティーン』なのだな。『夏の庭』は3人組だったけど。時と場所を変えれば、バリエーションは無限だ。その中で、飛び抜けるかどうかだけど。で、この話はきっちりとおもしろい。ストーリーテリング、キャラ設定、トポロジーまで全部うまくできている。

 スタンドバイミーも4TEENも、「あの時、ぼくのそばに君がいた」という人生でもっとも貴重なひとときのシーンを与えてくれる。自身の過去にこのひとときを持つことができなかった大勢の大人たちも、いま、現実の中でひざを抱えて壁と向き合っている中学生も、まあ、読んでみてくれ。

 心地よく運ぶストーリー。月島、新宿というスポットの描写、エピソードの数々、どれもすらすらと気分良く読める。たぶん、自分の息子が14歳じゃなかったら、もっと楽しめたのだと思う。

 今現在14歳中3の息子を抱える親として現実と照らし合わせてみると、読み終えたとたんに「夢から覚めた」みたいな気持ちになってしまうのだ。あまりに現実から遠いゆえ。ファンタジーをファンタジーとして楽しめなくて、どうする、とは思うが、これはハリーポッターではなく、1999年から2001年の東京を舞台とする「現代ジュブナイル」として書かれているのだ。2003年ジュブナイルの現実はひりひりと痛い。小学生女の子は1万円につられて監禁されるし、中1男子は4歳の子をビルから突き落とすし。

 PTAママたちから「これは中学生に読ませられない」なんていう文句がでることはない、と保証する。摂食障害不登校生ルミナと主人公テツローの中学生カップルはAで踏みとどまるし、DV人妻を夫から救い出す成績優秀ジュンくんは、その人妻から「男として感じられない」なんてこと言われちゃって、ディープAどまり。
 4人して新宿のストリップ見に行っても、踊り子のつまらん踊りは見ても、生板本番など踊り子と客がからむようなシーンは見なかったようだし。もしかしたら、もぎりのおっちゃんは4人が中坊と気づいて、4人が退席するまでは過激演出をひかえるようにというお達しを踊り子に出したのかもしれない。教育的配慮にとむストリップ演出だ。

 自分では超平凡な中2と信じ込んでいるテツローの語り。ウェルナー症候群という早老病をかかえ、白髪やしわという外見のほか老人性の糖尿病や高血圧も発症している金持ちの坊ちゃんナオト。(ウェルナー症候群患者の平均寿命は30代という)頭がよく機転もきくジュン。大食漢のふとっちょダイ。もう「これ以外の組み合わせはこの世にはない」というくらいに典型的な4人組の中学2年生の1年間。

 住んでいる所はナオトが月島・佃の超高層39階の億ション。ジュンとテツローが中程度のマンション。ダイが古い3軒長屋。月島というロケーションが絶妙。東京で、このように超高級マンションと古長屋が並んでいる設定にするにはちょうどいい場所なのだ。区立月島中学に通う4人の仲間の結束力と行動力。IQでなく、EQではかるなら、これもまた「ぼくは勉強ができない」と同じく、超エリート中学生のお話なのだ。

 この作の中で、ダイの親だけがストーリーにからむ。あとの親はまったくからんでこない、というのも意図してのプロット展開なんだろうけどね。親がからむとファンタジーが成立しなくなる。ナオトの親だけがお茶とおやつを出しにちょこっとだけ顔を見せる。
それにしても、ナオトの病気のことを考えたら、ナオトの親はいくらでも金をつぎ込んで、息子を幼稚園から私立エスカレーターに乗せようとする階層であるが、それをしなかったのはなぜか、という疑問は残る。教育に関して特別な信念でもある親かと思ってしまう。「なにがなんでも地元の公立中」という教育的信念を持っているというナオトの親からのメッセージがないと、現代の東京で、億ションに住む階層の息子が地元公立中に進学するのは不自然な設定になってしまう。首都圏中学受験生5万人という時代なのだ。

 ナオトが小学校受験や中学受験をしたかしないかは書かれていないが、地元の公立中へ進んで、テツロー、ジュン、ダイという希有な友人を得ることができたのは、本当に現代東京では幸運なことである。今の東京でこのような友情が成立するのは『金八』の中だけと思っていたら、月島にも友情ファンタジー成立。

 クラスの担任はサラリーマン的で、教え子のことより、趣味のフィギュア集めのほうが大事。リーマンというあだ名が付けられているが、リーマン程度のあだ名なら、まだ教師としてまし。毒にも薬にもならないタイプは、毒よりましと感謝すべき。「命をそまつにしてはいけない」なんていう馬鹿みたいなお題目並べるしか能のない、ありがちな教師。しかし、毒タイプにあたらないという保証はないのだ。
 
 我が娘は、生徒会長の仕事をひきうけ、生徒会を「教師による生徒管理の下請け」としか考えていない生徒指導の教師と対立してしまった。「おまえなんか高校へ行けないようにしてやる」などの言葉の暴力を受け、中学後半の1年半は不登校だった。

 もし、テツローやジュンと仲間になれなかったら、ナオトの小学校中学校生活は悲惨な状態であったことは間違いない。
 「ばいきん」扱いか「完全無視、この場にいない者とみなす」だ。金持ちであるだけ、公立中では始末が悪い。「金がすべて」とインプットされている公立中坊社会の中で、親が金持ちであることに対する嫉妬と、本人が病気であることに対する蔑視がからまって展開する陰湿なイジメが、必ず生じてくる。

 サラリーマン担任には、表向きは平穏な中で進行する陰湿イジメを防止することはできない。そういう子ども社会の構造があるからだ。イジメを生じさせないためには、教師生活すべてを教育に注ぎ込み、自分の家庭は犠牲にするくらいでないと、学級経営はできない。現代の公教育の現実に想像力が及ばなかったとしたら、ナオトの親はのんきすぎる。

 よい友だちと宝くじは、いつもあたるとは限らない。3億円あたりくじがまったく存在しないともいえないのだが、200万分の1の確率だからね。今、中2は全国で100万人くらいだから、確率から行くと、このような友情にめぐりあえるのは1学年100万人の中で0.5人?

 月島中4人組は、1年の間につぎつぎとすごい「人助け」をする。まず、仲間同士。早老症のナオトに対して病気を気遣いながら、病気を苦にしない友情。なまじっかの頭悪い中坊にはとてもできない芸当である。

 父親殺しの汚名を着たダイが不良グループにからめとられそうになっても、機転で友情を取り戻す。仲間に対するこの友情だけで、この4人が、現代中学生の中で、特権的な地位を持つことがわかる。こういう友情を持ち合えないことが、現代中学生にとって一番根の深い問題なのだ。こんな友だちとつるみあえるのなら、あとは全部たいした問題ではなくなる。表面上はワイワイにぎやかに仲間友だちといっしょにいながら、本当に自分の内面や深刻な悩みをうち明ける人がいないというのが、21世紀ジュブナイル共通の問題なのだ。

 DV人妻玲美を暴力夫から救う話。死に際に病院から抜け出した赤坂一真に人間らしい個人の尊厳ある死を迎えさせてやる話。ゲイカミングアウトしたカズヤが「デブ専ゲイ嗜好」であることを理解してやり、カズヤがクラスの女子に受け入れられるようすを見てほっとする話、などなど、これだけ人助けをしたら、表彰モノである。

 「月の草」過食拒食をくりかえすルミナにテツローは「体重25キロから57キロの間をいったりきたりするルミナが好き。ふたりの女の子とつきあっているみたいで、太っているときとやせているときの抱き心地がちがう」と脳天気なことを言っている。
 こういうところは、やっぱり考え足らずの中坊であるからして、許さなければならないのだろう。過食と拒食をエレベーターしているときの女の子がどれほどのダメージをうけているのか、摂食障害についての認識が甘すぎる。
  
 ルミナは体重が増加するところをみると「嘔吐を伴わない過食」であるので、「口内酸化によって歯が全部だめになる」などの症状はないようだが、急激な体重増減に伴う生理停止や女性ホルモン異常などの症状についても中坊は思い至らず、単に「太りすぎとやせすぎの繰り返し」としか思っていないところが問題。

 摂食障害は病気なのだ。ルミナは「どういう状態であれ君が好き」とテツローに思われることで、「自分が好きになれない症候群」から、一時的には脱皮できるだろうが、リバウンドも激しいだろう。なぜなら、ストーリーの中で、「月の草」以外では、テツローはルミナと行動を共にすることはなく、4人組と行動をともにしているからである。「つきあう」ことに決めたふたりなのに、ガールフレンドより、男グループの仲間を大事にするなんて、女の子として認めがたい。年に一度の「東京湾大華火」なのに、ゆかたを着てボーイフレンドと花火をみたいであろうルミナは、テツローから誘われもしない。
 
 こんな仕打ちを受けて「全く省みられず大事にも思われない自分」を感じたら、ルミナはたちまち、不登校再発で、摂食障害重症化の道をまっしぐら。テツローは「つきあう」ことに決めたのなら、ギャングエイジを抜けて、ルミナに専念すべきだった。

 「ステディな関係になる」というのは、「他のクラスメートその他とは、異なる二人だけの濃密な人間関係を結ぶという約束」をかわすことではないのか。濃密な人間関係というのは、キスをしたとか性交したとかは関係なく、他者を交えない1対1の関係ということ。ルミナとの関係を「おれたち、つきあっているんだ」と宣言するなら、「つきあう」とは、人間関係形成において、「お互いに拘束を伴う1対1関係」を構築するという意味なんだと思うのだけど。これってオバサン思考?

 花火を男グループで見に行きたいなら、ルミナに対して「つきあう」という関係でなく、単純に仲のいいクラスメートとして遇すべき。相手への責任を伴わずにステディになってはいけない、というのが、teenにわかっていないから、問題頻発するんだな。

 塾の帰り道におしゃべりタイムをとるくらいの仲でいいのなら、「1対1のつきあい」には持ち込まない方が賢明だろう。それとも「つきあう=ステディになる」という言葉の意味がすでに変化しているのだろうか。

  ルミナ救済の解決法。章立てを変える。この章は「東京湾大華火」や「15歳への旅」のあとにつけて、ルミナとテツローが仲良く中3、受験へ向けていっしょに塾にでも通うことにするところで終わるべきだったと思うね。

 「飛ぶ少年」のユズルへの関心がこの章以後テツローにあらわれないのは、まあ、仕方がないとしても、ルミナに対しては「この章以後無関心」であることが、どういう結果を引き起こすか、という現実路線を「中学生の母」は考えざるをえない。「不登校」や「自分を好きになれない」ことや「摂食障害」という病を「小説中のすてきなエピソード」と扱っても文句を言われないファンタジーと、現実との間の大きく深い溝。

 ジュンがDV人妻玲美を救う話は、相手が34歳の大人だから、ルミナのエピソードよりは点を甘くして読める。ただし、玲美は、自分をDV夫から救い出してくれたジュンに「男とは感じない」なんて甘ったれたこと言っていないで、さっさと最高級ホテルのスィートにジュンを招いて、一泊二日くらいの礼遇はすべきである。ただし、「離婚が成立したら本気でつきあいたい」なんぞと、中坊に思い詰めさせないように。

 ストーリー全体のクライマックスは「空色の自転車」にもっていきたかったのだろうから、終末におくしかないとして、私が章立て構成をするなら、
1,びっくりプレゼント(中2の春) 2,飛ぶ少年(初夏) 3,ぼくたちがセックスについて話すこと(つゆ~夏) 4,大華火の夜に(8月上旬) 5,15歳への旅→夏休み終了の旅(8月末の三日間。ダイの自転車はママチャリ) 6,14歳の情事(秋) 7,月の草(冬休み) 8,空色の自転車(冬) 9,おまけ(春休み)

 春休みに、ナオトはリカと、ジュンは玲美と、テツローはルミナと一泊二日のお泊まり会挙行です。ダイはどうする。カズヤと?ちょっと展開苦しいか。でも、巨乳から微乳へと趣味をシフトしたダイなら、ヘテロからのシフトもあり?ないか。カズヤの恋はシャボン玉!byモーニング娘。

 って、いうか、ダイは父親を故意にではないものの死に至らしめるという、オイディプス直系正当派直接法の父親殺しをすませているんだから、お泊まり会をしなくても、イニシエーションは終えている。
 ナオトは、平均寿命30代の病気と死を常に見つめているのだから、お泊まり会をしなくても、死と再生のイニシエーションは通過できる。ジュンとテツローのふたりにこそイニシエーションが必要なんだけど、問題は現代の中学生にとって一泊二日のお泊まり会なんて通過儀礼として機能しないかもしれないというところ。

 童貞あるいは処女喪失が少年少女時代の終わりを意味できるのは、性交が妊娠と直結していたればこそ。現代のお利口な中学生が、避妊を完璧に実行して行うなら、それはディープAよりちょびっと深めのCにすぎない。接触面積の差にすぎないのですな。もしかしたら妊娠、もしかしたら出産と育児を引き受ける社会的人間として踏み出さなければならないかもしれないという可能性を持っていたからこそ、たとえ吉原の筆卸であろうとも、それが少年期からの脱出になったのだ。

 避妊が完璧なら、BとCの差は限りなく小さくなるだろう。だから、ジュンが玲美とどれだけ「大人のプレイ」をしたとしても、斉藤美奈子が『妊娠小説』で笑いとばした程度の「男の子の通過儀礼」にさえならないかもしれない。やれやれ、男の子たちはどうやって男になったらいいんだ。成人式会場で「お子ちゃま丸出し」が増えている今だから、しかたないんだろうね。

 ま、そんなこんなで、ささやかながらお泊まり会で一歩踏み出した春休みが終われば中三。公立中だもの、受験だよね。もちろん、受験などしたくなければしなくてもよろしい。15歳から20歳までいろんな成長の方法があっていい。大検もこれからは「高卒資格認定」に変わるらしいし。働くのもあり。ひきこもりもある。(本音を言えば、20歳すぎたら、自立して自分で稼いで生きていって欲しいよ。親としてはね。細いスネなんだもの)。

 ダイは働きながら定時制へ行くことに決めた。いい結論だ。今時の定時制で、昼間働く高校生は貴重だ。ただし、定時制は統廃合が進んで数が減ってしまった。月島から通えるところはどこだろう。

 ナオトは当然私立を受験するだろうが、都立ならチャレンジスクールがいいと思う。検査入院などによる出席日数不足や体育授業見学オンリーになることを考えると、一般の普通科では単位が不足する可能性がある。単位制高校チャレンジスクール。設立されて最初の卒業生が今春出たと思うから、教育実践報告が出ていたら読もうと思っている。ジュンはもちろん、私立都立のトップ校をねらうでしょう。日比谷ねらい?テツローはどうする?と、頼りないリーマンに変わって受験指導までしてしまう親切な読者なのでした。

本日のいたみ:5年前、私は不登校中学生の親だった

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2003/08/08 金 晴れのち台風
日常茶飯事典>怖いビデオ

 午前中は青空がみえていたのに、お昼から風が強くなり、ときおり強い雨が降ったりやんだり、大気の状態が不安定になった。
 息子も『4ティーン』を読了。ワカは「お母さんには、この本の中に出てくる中学生が使うような言葉、読んでもわかんないでしょう」と言う。残念でした。中坊用語も2チャンネル用語も把握済み。

 夜、ビデオにとっておいた『世にも奇妙な物語・映画版』を見て、「これじゃ怖くて夜中にひとりでトイレにいけない」という状態に。
  第1エピソードの雪山での遭難で、雪の中に頭だけ出して体を埋められた女の首に、シャベルを突き刺すシーンがこわかったのだ。三人して「見なきゃよかった」

 でも、おバカバラエティ番組を見て、いっしょに笑うのも、ホラーを見ていっしょに「トイレに行けない」と連れションするのも、三人で同じ本を回し読みするのも、「同じ時の流れを生きている」家族の貴重な時間と思う。

本日の負け惜しみ:3人よればトイレの友


<つづく>
コメント
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