春庭Annex カフェらパンセソバージュ~~~~~~~~~春庭の日常茶飯事典

今日のいろいろ
ことばのYa!ちまた
ことばの知恵の輪
春庭ブックスタンド
春庭@アート散歩

ぽかぽか春庭「2013夏・花火」

2013-08-24 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/08/24
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十三里半日記8月(2)花火

 花火を見るのが好きですが、今年はスケジュールがうまくいかず、葛飾区の花火も足立区の花火も見に行くことができませんでした。テレビで見るのもまた良きかな、と思っていた隅田川花火大会は突然の豪雨で中止。
 しかし、息子に「ネットで観覧席応募しておいて」と命じておいたのが当選し、8月10日、東京湾大華火会を見に行くことにしました。

 息子は、歴史の研究会が夜までかかり、7時の開演時間に間に合わないだろうからあきらめる、という。娘と連れ立って晴海ふ頭へ。娘はワンセグで世界陸上を見ながら開演待ち、私は本読んだり昼寝したり、親子でのんびり待ち時間もそれはそれでゆったりした時間がすごせるというつもりで勝どき駅で地下鉄下車。

 地下鉄駅から外に出たとたん、炎熱地獄となりました。前回の東京湾大華火会のときは歩いて晴海埠頭までいきましたが、この暑さじゃ、埠頭につくまでに熱中症になると思い、バスでホテルマリナーズコートまで行くことにしました。

 バスを待っていると、留学生っぽい二人連れのうち、日本語が話せるほうが「お台場はどこですか」とたずねてきました。ひとりは中国人らしく、もうひとりはアメリカ人かなと思っていると、バス停にいたおっちゃんが、ぺらぺらと説明しました。とまどうふたりに、私は、相手の日本語力を推理しつつ「ここからお台場まで、1時間かかります。歩いていきますか」と、教科書文型どおりのビギナーズ日本語に翻訳して伝えました。ふたりはスケボーを持っているので、スケボーにのりながら歩くつもりらしい。

 おっちゃんは、「歩けやしないよ。タクシーならビッグサイトまで2千円ちょっとだよ。ぺらぺら」と説明を続ける。ふたりは、1時間というのを聞いて納得して、お台場方面へ向かいました。おっちゃんは「あいつら、タクシーなんか乗らんからね。中国じゃ1万円もありゃあ一家が一ヶ月くらせるからね。私はねー、台湾生まれだから中国人よく知ってるんだ、韓国人や中国人は、あいつらまったく、ぺらぺら~」と、前都知事の「三国人発言」のようなことをしゃべりだしました。ヘイトスピーチというのをテレビでは耳にしたことがあるけれど、生では初めて聞きました。実に気分が悪い。バスが来たのでおっちゃんのしゃべりを無視して乗りました。
 留学生のおふたりさん、熱中症にならないように日本の夏を楽しんでね。

 帰宅後、娘が「バス停にいた外国人の日本語話さなかったほう、アメリカ人かなって思ったけど、カナダのケベック州出身だって」と、教えてくれました。「え~、どうしてわかったの」と聞くと、「ゲーム機を持っていたので、すれ違った人と情報交換ができる機能がついている。午後すれ違った人で外国人はあの人だけだったから、あのバス停の人がカナダのケベック州に住んでいる人だってわかった」といいます。へぇ、そんなことがすれ違っただけでわかる時代なんだ、と感心しました。

 前回は主会場に当選して、並木道の木陰を選んで並び、会場に入ってからものんびり本を読んだり昼寝して待っていられたので、花火打ち上げまでの時間それほど苦になりませんでした。
 ところが、今年の観覧場所は第二会場。最高気温37度という予報でかんかん照りの中、日陰がひとつもない駐車場のような場所。シートの上にシーツを敷き、凍らせたお茶を飲みながら待ったのですが、本を読む気にもなれない猛烈な暑さ。日傘を用意し日やけどめを塗り「ひんやり感」を出すエアスプレーをふりかけても、眠ることもできない猛烈な暑さです。

 娘は気分が悪くなりかけました。
 「花火はきれいだけれど、母みたいにひとりで見に行くほど好きじゃない。こんなたいへんな思いをして待つくらいなら、見なくてもいい」と、娘は言います。途中、救急車が会場に来ました。おそらく熱中症の人が出たのでしょう。

 気温は37度という予報ですが、かんかん照りの駐車場。地表の温度は40度を超えていたでしょう。昼寝もできず、岩盤浴をやっている、と思うことにしました。韓国旅行での岩盤浴室。よく焼けた石の上にタオルしいて暑い中汗を流しました。あのときはお金出して熱い岩の上に寝転んだ、今日はタダでそれをしていると思うことにしました。

 近年娘息子が花火につきあわなくなって、このところひとりで花火を見にいっていました。娘息子には「ひとりで花火見ていてさびしくないの?」と聞かれますが、一人花火にはひとりの楽しみもあります。
 ひとりだと、花火師さんたちの苦心を思ったりして、一瞬で消えていく芸術作品として鑑賞するのも、しみじみします。
 花火映画を思い出してすごしたりします。

 今回日照りのなかで思い出したのは、片貝町の花火『おにいちゃんの花火』という映画、テレビで放映していたので録画し、花火の時期にちょうどいいので、お茶碗洗いながら見ました。「高良健吾主役だから見ておこう」と。

 「病気で死んじゃう妹とひきこもり兄の心の交流」というストーリーを聞いただけで、またキャッチコピーが「この花火をずっと楽しみにしていた、天国の妹へ」というものだと知ると、もうそれだけでおなかいっぱいになった気がするので、映画としては何も期待せずに見はじめました。

 新潟県小千谷市片貝町で祝い事や追善供養のために市民がお金をためて花火を打ち上げるという実話を基にしたということなので、予測したストーリーから一歩もはずれることなくお話は進みます。
 予測はしていても、追善供養の花火が上がると、やっぱり涙ぐんでしまいました。

 8月10日の東京湾花火でも、「東日本大震災の追善供養のための打ち上げを行います」というアナウンスがありました。盆踊りも、花火大会も、日本の夏は死者をしのび、死者の魂とともにあるための行事として始まっています。

 江戸の花火は、1733年が最初だと言われています。1732(享保17)年の大飢餓での餓死者やコレアなどの疫病による死者が出ました。8代将軍吉宗が、慰霊と悪病退散を祈って水神祭を行った際、両国橋周辺の料理屋が幕府公許によっておこなったのが最初、とされています。

 炎熱の地表から見上げる花火を、たくさんのみたまが空高くから見おろしているかもしれない、という気持ちになります。 小千谷市片貝町のほか、花火を奉納行事としてうちあげるという地方も多いそうなので、私は自分では花火のために一円もお金出したりしないけれど、夏のひととき、花火が打ちあがるごとに、父母を思い姉を偲びながら華麗な一瞬の芸術を見てきました。

 6時過ぎ、ようやく海風も吹くようになり、炎熱地獄がやわらぎました。6時50分、まだ明るいけれど、打ち上げ開始。
 花火師さんの名前の紹介と創作花火の打ち上げに拍手がおこったり、パンダ花火や五輪花火に「あれじゃあんまりパンダに見えない」とか批評が出たり、周囲の花火見物客もさまざまに楽しんでいました。

 素人がデジカメで撮った花火、あまりきれいにとれなくて残念。あとで、息子に「花火撮影モード」という機能がついているのだとおそわりました。おそかりし。

               

 前回、晴海で花火見たときは、帰りの道が大渋滞で、地下鉄の駅にたどり着くのも一苦労。駅のホームでは線路に落っこちそうな込み具合、地下鉄の中はラッシュ時以上の込みこみで、帰りがたいへんだったのを教訓として、今年は用意周到。帰宅時間をずらせるように、帰りはホテルマリナーズコートのレストランによって、帰宅時間をずらすことにしました。

 食事と生ビール。ホテルで時間つぶしすること2時間。帰りの地下鉄も座れたし、疲れもとれたし、「次も、ここで時間をつぶしてから帰ろうね」ということになりました。「かんかん照りの中待っていたときはもう二度と来たくないと思ったけれど、始まるまでと、終わってからここのカフェで待っていればいいんだから、これからは花火の前後はホテルカフェだ」と、先の計画もたちました。

<つづく>

 
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする