ゴッホ
2013/08/29
ぽかぽか春庭ブックスタンド>2013年5月~8月の読書メモ
@は図書館本 *は図書館リサイクル本 ¥は定価で買った本 ・はBookoffの定価半額本&100円本。
<日本語・日本言語文化論>
+岡田幸彦『語の意味と文法形式』
<小説 戯曲 ノンフィクション>
・荻原規子『西の善き魔女Ⅰ~Ⅵ』2005中公文庫
・井上ひさし『花石物語』1984
@内澤旬子『世界屠畜紀行』2012角川文庫
<評論 エッセイ>
・吉村昭『街のはなし』1996文藝春秋
・青木玉『小石川の家』1995講談社
・松本健一『真贋ー中居屋重兵衛のまぼろし 』1999幻冬舎アウトロー文庫
・佐野洋子『役に立たない日々』2011朝日文庫
・佐野洋子『私はそうは思わない』1997ちくま文庫
・佐野洋子『友だちは無駄である』2009ちくま文庫
・司馬遼太郎『歴史と視点』1994新潮文庫
・司馬遼太郎『人間というもの』2006PHP文庫
・司馬遼太郎『微光の中の宇宙』1991中公文庫」
・出口保夫『イギリス四季暦秋冬篇』1997中公文庫
・須賀敦子『地図のない旅』1999新潮社
・近藤富枝森まゆみ『一葉のきもの』2005河出書房新社
・草間彌生『無限の網』2012新潮文庫
¥Chim↑Pom『芸術実行犯』2012朝日出版社
@岡本太郎『疾走する自画像』2001みすず書房
@岡本敏子『岡本太郎』2006アートン
@赤坂憲雄『岡本太郎の見た日本』2007岩波書店
* 山本夏彦『最後の波の音』2006文春文庫
* 宮沢章夫『牛乳の作法』2005ちくま文庫
* 李進煕篇『韓国と日本の交流史古代中世篇』1994明石書店
* 本田透『喪男の哲学史』2006講談社
~~~~~~~~~~~^
百円本のいいところは、100円だからついでに買っておいた本のなかに、自分の関心外のジャンルに広がる思いがけない出会いがあるところ。松本健一という著者名だけで買った『真贋』、面白かった。近代史のなかに忽然と現れた資料の真贋をめぐって、緻密な論考と足で確認する作業を積み重ね、近代史大家までが一級資料として扱い始めた文書を「一個人が捏造した偽書」と結論づけるまでが推理小説のように展開する。
絵画の真贋を扱う話も面白いものが多いが、『真贋』も、もっともらしい資料を鵜呑みにしてしまうアカデミズム歴史学に対して、歴史評論家である松本が渾身の力を振り絞って明らかにした痛快な話。菅内閣の参与となって以来あるいはその前の大学教授におさまって以後、「在野の」という冠は消えて久しいのに、やはり歴史学アカデミズム側とは一線画しているなあという気がする。同じ郷里なので贔屓目もあろうが。
『世界屠畜紀行』は、解放出版社から単行本が出たときから読みたいと思い、百円本コーナーに並ぶ日を待っていたのだけれど、なかなか並ばないので図書館で借りてやっと読めた。日本における屠畜に関わる人々への差別を考えつつ世界の屠畜をリポートしています。
私も生きている牛や豚の姿と薄切り肉とを結び付けないようにして食べるほうで、クリスマスなんぞに七面鳥でも鶏でも鳥の丸焼きなんぞを食べるのはまっぴらごめん、という「元の姿見ないよう考えないようにして肉を食べている肉食人種」のひとりであるので、とても興味深く読みました。生きている命をいただいて食べるのは魚でもきゅうりでも同じと思うのだけれど、やはり四足を目の前でつぶして食べるのはできそうにない。魚やエビは生きてピチピチはねているのに包丁をいれることさえするのに。
百円本、前に読んだ本でも好きな作家の本だと何度でも100円だからと思って買ってしまいます。10年くらい前、2002年に新潮文庫で読んだ『地図のない旅』、単行本が100円だったので、家に文庫があるのを承知でジョルジオ・モランディの静物画のカバーがすてきだったので買って、再読。夫の死はどの作品にも影をおとしているけれど、『地図のない旅』のヴェネチアは須賀自身の間近い死を予感しているかのような色に染められていて何度読んでも深い味わいがあります。
『小石川の家』。初代のは勉強のために読み、二代目のは好きで読んだけれど、三代目まで読まなくてもいいんじゃないかと思って今まで読まなかったけれど、三代目もまた近代文章語の達人なのであって、DNA持たぬ家系のひがみ増すばかり。露伴、幸田文、青木玉につづく四代目も書いている。四代目のはまだ読む気がしないが。
直系親子の関係ではないけれど、伯母(母の姉)と姪という間柄であったことをはじめて知ったのが、近藤富枝と森まゆみの共著『一葉のきもの』一葉の著作を中心に明治時代の着物について考証しています。
じんましんで何もする気になれない間、横たわって『西の善き魔女』シリーズ6巻を再読。細かいところは忘れているから楽しめた。『花石物語』も何回目読むのかわからないけれど、ちゃんと笑える。古典落語の同じ話を何度聞いても笑えると同じなのでしょう。
今期も通勤電車本は、文庫エッセイがほとんど。佐野洋子と司馬遼太郎が電車のお友達。
眠り薬代わりの入眠剤本はさっぱり面白くない厚みのある本が望ましいけれど、『喪男の哲学史』はほんとうに面白くなかった。非モテ男の愚痴哲学は小谷野敦でもうあきている。数行読んで寝てしまうのには役立った。一応読了した私はエライ。
今期読んだ本、並べてみると気づくことに、「日本語のナンタラ」というのが一冊もなかった。消費するためのお楽しみ読書であっても、3ヶ月に一冊くらいは一応「お仕事カンレン」として、日本語文法論やら意味論やらという本を読んできたのに、ついにお楽しみ本としても言語学日本語学関連がなかったことに感慨ひとしお。
専門を問われれば「日本語学、日本語言語文化」と答えてきて、言語文化に関わるといえば、日本語で書かれた何を読んでも専門に関わると言えるのですが、日本語学、日本語文法学からはほんとうに遠くはなれてきたのだなあと感じます。
と、感慨にひたっているとき、出版社から「著者謹呈」の本が送られてきました。友人が博論をまとめた本を送ってくれたのです。1985年に同じ学科に入学して以来、彼の文法オタクぶりを見てきました。修士課程を終了後、私は子育てと食い扶持稼ぎ、彼は相変わらず文法オタク。
08年同じ年に博士課程に入学して、彼は国立大で私は私立大でしたが、2011年私は3月友人は9月に博士号を得ました。
そのあと着々と本にまとめて、この度の出版。ひとつひとつの論述は、博論執筆の過程で「読んで批評せよ」とメール添付で送信されてきているので、読んではきたのですが、まとまった本になったのを見ると、「最後まであきらめずにがんばろうね」と励ましあったことなど思い出して感慨深いです。『語の意味と文法形式』出版おめでとうございます。
<おわり>

2013/08/29
ぽかぽか春庭ブックスタンド>2013年5月~8月の読書メモ
@は図書館本 *は図書館リサイクル本 ¥は定価で買った本 ・はBookoffの定価半額本&100円本。
<日本語・日本言語文化論>
+岡田幸彦『語の意味と文法形式』
<小説 戯曲 ノンフィクション>
・荻原規子『西の善き魔女Ⅰ~Ⅵ』2005中公文庫
・井上ひさし『花石物語』1984
@内澤旬子『世界屠畜紀行』2012角川文庫
<評論 エッセイ>
・吉村昭『街のはなし』1996文藝春秋
・青木玉『小石川の家』1995講談社
・松本健一『真贋ー中居屋重兵衛のまぼろし 』1999幻冬舎アウトロー文庫
・佐野洋子『役に立たない日々』2011朝日文庫
・佐野洋子『私はそうは思わない』1997ちくま文庫
・佐野洋子『友だちは無駄である』2009ちくま文庫
・司馬遼太郎『歴史と視点』1994新潮文庫
・司馬遼太郎『人間というもの』2006PHP文庫
・司馬遼太郎『微光の中の宇宙』1991中公文庫」
・出口保夫『イギリス四季暦秋冬篇』1997中公文庫
・須賀敦子『地図のない旅』1999新潮社
・近藤富枝森まゆみ『一葉のきもの』2005河出書房新社
・草間彌生『無限の網』2012新潮文庫
¥Chim↑Pom『芸術実行犯』2012朝日出版社
@岡本太郎『疾走する自画像』2001みすず書房
@岡本敏子『岡本太郎』2006アートン
@赤坂憲雄『岡本太郎の見た日本』2007岩波書店
* 山本夏彦『最後の波の音』2006文春文庫
* 宮沢章夫『牛乳の作法』2005ちくま文庫
* 李進煕篇『韓国と日本の交流史古代中世篇』1994明石書店
* 本田透『喪男の哲学史』2006講談社
~~~~~~~~~~~^
百円本のいいところは、100円だからついでに買っておいた本のなかに、自分の関心外のジャンルに広がる思いがけない出会いがあるところ。松本健一という著者名だけで買った『真贋』、面白かった。近代史のなかに忽然と現れた資料の真贋をめぐって、緻密な論考と足で確認する作業を積み重ね、近代史大家までが一級資料として扱い始めた文書を「一個人が捏造した偽書」と結論づけるまでが推理小説のように展開する。
絵画の真贋を扱う話も面白いものが多いが、『真贋』も、もっともらしい資料を鵜呑みにしてしまうアカデミズム歴史学に対して、歴史評論家である松本が渾身の力を振り絞って明らかにした痛快な話。菅内閣の参与となって以来あるいはその前の大学教授におさまって以後、「在野の」という冠は消えて久しいのに、やはり歴史学アカデミズム側とは一線画しているなあという気がする。同じ郷里なので贔屓目もあろうが。
『世界屠畜紀行』は、解放出版社から単行本が出たときから読みたいと思い、百円本コーナーに並ぶ日を待っていたのだけれど、なかなか並ばないので図書館で借りてやっと読めた。日本における屠畜に関わる人々への差別を考えつつ世界の屠畜をリポートしています。
私も生きている牛や豚の姿と薄切り肉とを結び付けないようにして食べるほうで、クリスマスなんぞに七面鳥でも鶏でも鳥の丸焼きなんぞを食べるのはまっぴらごめん、という「元の姿見ないよう考えないようにして肉を食べている肉食人種」のひとりであるので、とても興味深く読みました。生きている命をいただいて食べるのは魚でもきゅうりでも同じと思うのだけれど、やはり四足を目の前でつぶして食べるのはできそうにない。魚やエビは生きてピチピチはねているのに包丁をいれることさえするのに。
百円本、前に読んだ本でも好きな作家の本だと何度でも100円だからと思って買ってしまいます。10年くらい前、2002年に新潮文庫で読んだ『地図のない旅』、単行本が100円だったので、家に文庫があるのを承知でジョルジオ・モランディの静物画のカバーがすてきだったので買って、再読。夫の死はどの作品にも影をおとしているけれど、『地図のない旅』のヴェネチアは須賀自身の間近い死を予感しているかのような色に染められていて何度読んでも深い味わいがあります。
『小石川の家』。初代のは勉強のために読み、二代目のは好きで読んだけれど、三代目まで読まなくてもいいんじゃないかと思って今まで読まなかったけれど、三代目もまた近代文章語の達人なのであって、DNA持たぬ家系のひがみ増すばかり。露伴、幸田文、青木玉につづく四代目も書いている。四代目のはまだ読む気がしないが。
直系親子の関係ではないけれど、伯母(母の姉)と姪という間柄であったことをはじめて知ったのが、近藤富枝と森まゆみの共著『一葉のきもの』一葉の著作を中心に明治時代の着物について考証しています。
じんましんで何もする気になれない間、横たわって『西の善き魔女』シリーズ6巻を再読。細かいところは忘れているから楽しめた。『花石物語』も何回目読むのかわからないけれど、ちゃんと笑える。古典落語の同じ話を何度聞いても笑えると同じなのでしょう。
今期も通勤電車本は、文庫エッセイがほとんど。佐野洋子と司馬遼太郎が電車のお友達。
眠り薬代わりの入眠剤本はさっぱり面白くない厚みのある本が望ましいけれど、『喪男の哲学史』はほんとうに面白くなかった。非モテ男の愚痴哲学は小谷野敦でもうあきている。数行読んで寝てしまうのには役立った。一応読了した私はエライ。
今期読んだ本、並べてみると気づくことに、「日本語のナンタラ」というのが一冊もなかった。消費するためのお楽しみ読書であっても、3ヶ月に一冊くらいは一応「お仕事カンレン」として、日本語文法論やら意味論やらという本を読んできたのに、ついにお楽しみ本としても言語学日本語学関連がなかったことに感慨ひとしお。
専門を問われれば「日本語学、日本語言語文化」と答えてきて、言語文化に関わるといえば、日本語で書かれた何を読んでも専門に関わると言えるのですが、日本語学、日本語文法学からはほんとうに遠くはなれてきたのだなあと感じます。
と、感慨にひたっているとき、出版社から「著者謹呈」の本が送られてきました。友人が博論をまとめた本を送ってくれたのです。1985年に同じ学科に入学して以来、彼の文法オタクぶりを見てきました。修士課程を終了後、私は子育てと食い扶持稼ぎ、彼は相変わらず文法オタク。
08年同じ年に博士課程に入学して、彼は国立大で私は私立大でしたが、2011年私は3月友人は9月に博士号を得ました。
そのあと着々と本にまとめて、この度の出版。ひとつひとつの論述は、博論執筆の過程で「読んで批評せよ」とメール添付で送信されてきているので、読んではきたのですが、まとまった本になったのを見ると、「最後まであきらめずにがんばろうね」と励ましあったことなど思い出して感慨深いです。『語の意味と文法形式』出版おめでとうございます。
<おわり>