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ぽかぽか春庭「東京ノーヴィレパートリーシアター:白痴」

2013-08-18 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/08/18
ぽかぽか春庭感激観劇日記>芝居は地球を回っている(2)東京ノーヴィレパートリーシアター「白痴」

 東京ノーヴィーレパートリーシアターは、下北沢にある席数26席のミニミニ劇場を本拠地としています。
 昨年、両国にあるシアターX(カイ)で上演された『コーカサスの白墨の輪』と『白痴』が高く評価され、シアターカイの「千円で演劇を見る」企画の上演団体に選ばれました。
 上質の演劇を低料金で提供するという劇場側の企画です。

 私は『コーカサスの白墨の輪』をこの劇団の「第二スタジオ」に所属する友人K子さんといっしょに見ました。
 『白痴』は、仕事かえりに両国へ立ち寄り、2回みました。千円だから、2回見るのもそう負担にはなりません。
 一回目、開演に間に合わず、最初のシーンを見逃しました。おまけに一番うしろの席で前に「座高リッチ」な方が座っていたために、おちびの私は右に左に頭をめぐらせて舞台を見たのですが、「ええい、座高がこんなに高いやつは、遠慮して一番うしろに座るべきだろうよ」と心のなかで文句を言うに忙しく、肝心の劇に没頭できなかったのでした。

 2度目は、6月11日、6時半の開場と同時に入場し、一番前の席に荷物をおいて「ここ、私の席とってあるんだからね」という主張をしておいてから、外に出て、スパゲッティをかっこんで腹ごしらえ。19時の開演には一番前の席に戻って、今度は気分よく見ることができたのでした。

 『白痴』は、タイトルが一発では変換できません。差別用語になっちまったので、「白い痴人」と打ってから、「い」と「人」を消さなければならないのです。
 ドストエフスキーの有名な小説のタイトルで、坂口安吾の『白痴』もあるのに、出てこないのは理不尽です。

 私は、1946年のフランス映画を場末の名画座のようなところで見た気がするのだけれど、1958年のソビエト映画だったのかもしれません。1951年の黒澤明監督作品、ムイシュキン=亀田欽司が森雅之、ナスターシャ=那須妙子が原節子の『白痴』を見たことがないので、見てみたい。

 お話は、「世界文学あらすじ集」でも見ていただければ、私がヘタな要約をするよりもよくわかるとは思うし、何度も映画化されているので、ご存じの方も多いことでしょう。ロシア語の原題「Идиот」英語「Idiot」。現代日本語なら「おバカさん」あたりの訳になったと思うのですが、なにせ明治時代の初訳時代以来「白痴」で固定されており、白痴が差別用語として禁止語になってのちもタイトルだけは「白痴」のまま。

 超要約!すれば。
無垢な心をもったムイシュキン公爵。重度てんかんの治療を終えて、サンクトペテルブルクに戻ってくる帰途、パルヒョン・ロゴージンと知り合いになります。パルヒョンと語りあううち、パルヒョンが恋するナスターシャ・フィリポヴナの名を知ります。ナスターシャは「金持ちの情婦」として知られている存在でしたが、純な気持ちをもっています。
 パルヒョン・ロゴージン、ナスターシャ、ムイシュキン、ムイシュキンの遠縁エパンチン将軍の娘アグラーヤなどがぐるぐると入り乱れて恋し恋され、もつれあって、最後は、、、、

 文庫本だと、2巻本、3巻本になっている長いお話なので、2時間の映画や演劇にするといろいろなところをはしょるため、「ムイシュキンの静かで純粋な愛情」より、ロゴージンの「なにがなんでもナスターシャ」と突き進む猪突猛進、現代ならストーカーに扱われる愛情のほうが際だって見えました。

 役者は、役柄への理解も深くてそれぞれ熱演だったので、秋にシアターカイで再々演されるというので、今度は「視覚障害者が演劇を楽しむ運動」を続けているアコさんをさそって、もう一度見てみたいと思っています。

<つづく>
コメント (2)
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