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ぽかぽか春庭「ヤバいバカラで、人生棒に振る」

2016-04-13 00:00:01 | エッセイ、コラム
20160413
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>春の庭で楽しむことば(2)ヤバいバカラで、人生棒に振る

 野生動物も、生き抜くための餌探しのほかに、「遊び」を楽しむこと時間を持つことが知られています。イルカやチンパンジーなど知能が高いと言われている動物だけでなく、動物の子供同士で取っ組み合ったりする闘争遊び、カワウソが石を使って遊ぶなどの物を使う遊びなど、生き物には遊びが重要な行動になっています。
 古代の日本語では、もともとは「神遊び」。神に近づくための歌や踊り、飲食、儀礼が遊びでした。

 神とは縁遠くなってしまった現代の人間にとっても、「遊び」は、日常から離れて別世界に入り、日常のよどみを払って新しい生き生きとした生を取り戻すために必要です。
 遊びは、心身を開放し、陶酔熱中をするためのもの。

 ホイジンガは「ホモ・ルーデンス」で、大きく分けると3種類ある、と述べています。
 ミミクリ(ものまね遊び、ごっこ遊び。ママゴト、など自己表出)、アゴン(競争、闘争。かけっこ、とっくみあい、などスポーツ全般、自己の能力によって勝ち負けを争うもの)、アレア(偶然。くじ、じゃんけん、パチンコ、競馬などの賭博など、自己の能力ではなく偶然によって勝ち負けを競うもの)

 アレアとアゴンはどちらも勝ち負けを楽しむ要素がありますから、重なり合うところも多く、スポーツ選手が遊ぶことになるとアレアを楽しむことになるのは、野球賭博もバドミントンも同じ。

 有力バドミントン選手が選手生命を棒に振ってしまったバカラ賭博。
 バカラの語源としてネット上では「イタリア語のゼロに由来する」という解説が出まわっているのですが、現代イタリア語では、ゼロは英語由来の「zero」です。イタリア語のもとになっているラテン語では「nihil(虚無)」が「ゼロ」を表すようになったのですし、なぜ「バカラ」がイタリア語のゼロのこと、といわれるようになったのか、知っている方いたら、教えてほしいです。
 インドで発見され、アラビアに伝わった「0」が西欧で「数字、ことば」として使われるようになったのはルネッサンス期以後ということですが、いったいどこから「バカラはイタリア語でゼロのこと」という語源がひろまったのでしょうか。

 バカラにはまって、競技人生を棒に振ってしまった選手。残念なことです。
 「棒に振る(すべて無駄になること)」の語源として、江戸時代の行商、天秤棒の両側に荷をつけて売り歩く「棒手振り」から、というのも、あまり納得のいかない語源解説です。「棒手振りは、棒をふりふり商売しても利益が薄く、財産をなくすから」というのですが、棒手振り商売人が皆、一文無しになってしまうなんて、江戸270年の間にどれだけあったのでしょう。棒手振りは棒手振りなりに、ちゃんと商売したら利益も出ると思うのですが。

 バカラではなく、さいころ賭博から出た慣用句。

・一点張り
 さいころ賭博や花札などで、一カ所に続けて掛けることを一点張りと言う。意味拡大して、ひとつのことにだけ集中し、他のことは顧みない様子を「一点張り」と表現するようになった。例文「私の夫は仕事一点張りで、家庭をかえりみない」「あの人のいうことは、丁寧な説明、一点張りだけれど、ちっとも説明になっていない」など。
・裏目に出る
 さいころ丁半賭博で、掛けた目と反対の目が出て負けることと同様に、予想したことと異なる状態になること。「育児休暇中の浮気を女房に謝ったら、裏目に出て、議員は離職のうえ、離婚するはめになった」
・思うつぼ
 さいころ賭博を行うさい、ふたつのさいころを入れる壺をふり、思い通りの目を出すことから、予想されたことが思い通りに遂行されること。例文「北の三代目がやんちゃをやって、核兵器など開発することは、与党にとっては思う壺で、三代目があばれるたびに内閣支持率が上がり、日本の政権は安泰となる。思うつぼ通りにはちゃめちゃをやる三代目に与党は感謝している」

 言語学のお楽しみのひとつ、語源探索。言語学の先生からは「日本語の起源研究と語源研究は、研究対象としてはいけない。一生やっても成果がでないから。楽しい遊びとしてやりなさい」と、肝に銘じられました。
 専門にしようと思った動詞論も、研究しつくすことはできないまま言語学からは遠ざかってしまったHALですが、語源探索の楽しみは続けています。

 遊びに関わる語の語源探索として、「おもちゃ」を取り上げようとしました。予定稿執筆は3月でした。ところが、4月10日の「たけしの平成教育委員会」のクイズ例題として「おもちゃ」の語源が出題されていたのです。これじゃ、HALが書いたら、絶対後追いのまねっこだと思われるだろうから、掲載やめようと思ったのですが。もともとHALごときが語源について見知るのは、辞書その他の本から知る程度なので、自分で調べるわけではありません。辞書の後追いもテレビの後追いも五十歩百歩なので、書いたものは、以下にUP.

 どうして、子供が遊ぶ道具を「おもちゃ」と呼ぶのか。たいていの古語辞典には語源が載っています。
 「子供が手に持って遊ぶもの」なので、「持ち遊び」が元の語です。
 こどもに話すとき、ていねい語の「お」がつきやすく、「おもちあそび」。日本語は、四音節に短くなることが多い。→「おもちあ」→「おもちぁ」→「おもちゃ」

 ことばの探索、楽しい遊びです。辞書一冊あれば、何時間でも遊べます。
 また、季語をめくって日本の季節を楽しむのも無料の遊び。
 西欧の行事であるクリスマスが冬の季語になっていますが、「イースター(復活祭)」も春の季語になっています。
 
 ミャンマーは4月が新年。水掛祭りの真っ最中。
 水掛祭り、日本の歳時記には載らないでしょうが、みなが水を掛け合って新しい年のめぐりを楽しむミャンマーの人々の「あそび心」を想像しています。
 神も遊ぶ、ほとけも遊ぶ。

<つづく> 
コメント (2)
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