20160402
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2016十六夜さまよい日記4月(1)ただいま!帰国しました
3月31日早朝6時、成田空港に着きました。無事帰国。
31日は、東京の桜、満開です。満開の桜に迎えられて、ほんと、日本の春はいいですねぇ。
ヤンゴンの3月暑季からの帰還、いやはや暑かったです。
ヤンゴン最後の日々も多難でした。3月24日、仕事中にモデムが使えなくなりました。24と25日はボスの留守にモデムを借りて、なんとかメールもできたのですが。土日は日本との連絡もままならず。私の電話、ミャンマー国内専用のガラケーですから、国際電話をかけるには、ボスの持つアイフォンを借りねばならず、、、、日本の自宅に心配事勃発したので、連絡がとれないことはほんとうに困りました。
3月26日、深夜。2時に停電が始まり、冷房が切れて暑いのと、電子蚊取り器がオフになってしまい、蚊に食われてかゆいのとで目が覚めてしまいました。
まず煙の出る蚊取り線香に火をつける。この蚊取り、渦巻きをふたつ組み合わせてあるのは日本のと同じですが、そのふたつを切り離すのがとても難しい。所々が切れていないのです。私のような「イラチ(関西方言?)」だと、急いては事をし損じるのことわざ通り、途中でぼきっと折ってしまいます。
ゴジラマークの蚊取りなのに、効き目はすこしもゴジラではなく「こしら」くらいでした。
26日深夜2時からの停電は、27日朝9時過ぎても解消しないので、これは市の電力事情による停電ではないだろうと思いました。地域全体の停電はたいてい3時間くらいたつと復旧するからです。6時間以上の停電、宿舎の電気系統の故障だろうと思ったところに、管理人が電気技師といっしょに点検にきましたが、技師はすぐに帰ってしまいました。彼の手には負えない故障なのか。
一日中、人が出入りしてあーでもないコーデもないとワイワイして、変圧器の故障ということがわかったみたいですが、玄関でのんびりと待っている電気技師さんに聞いたところ、どこやらに部品をもらいに行っているけれど、いつ戻るのかわからないとのこと。この分では24時間以上の停電になるかと覚悟しました。
最後の週にこれでもかっという長時間停電にみまわれるのも、ヤンゴン事情をよくよく身に染みて帰国せよとの仏様のおぼしめし、、、、って、ミャンマーの仏様は来世専用のはず、、、ま、いいか。
ちゃんと仏様に祈ったおかげで、夜7時すぎ、電気がつきました。18時間の停電で復旧しました。冷蔵庫は温蔵庫になり、生ぬるい水など飲みながら、うちわと水シャワーで対処した18時間。室温32度で何もする気が起きず。ごろごろと。寝ていても汗が落ちる。西日が当たる部屋なので、夕暮れにはいっそう暑くなる。西日避けにカーテン閉めると暗くなる。
冷房つけて20度設定にしておいても、室温30度になってしまう、弱いエアコンに文句たらたらだったけれど、それにしても、冷房があるだけありがたいのだと、わからせてくれる停電。エアコンさん、いつもよく働いてくれますねぇ、という気分になる室温。
断水三日間も停電18時間も、終わってしまえばこっちのもん。桜満開日本に戻って、すぐに文明生活があたりまえの生活に慣れてしまうことでしょう。
いつでもドジでマヌケな春庭、ヤンゴン生活の最後の最後までドジをやらかしました。春庭は、帰国日を「3月末日」と思い、3月31日の便で帰るつもりでいました。29日に、派遣元大学の係員に、お世話になったお礼のメールを送り、31日の便で帰国しますと報告したところ、30日の朝国際電話をもらいました。なんと、「先生の帰国日は今日ですよ」と。
あらら、どうしましょ。衣類のパッキングは半ば終えていたのですが、細々した物を詰め込まなければなりません。大慌ての荷造り。
ほんとうにどうしてこうもドジなんでしょう。
「3月30日の帰国便」が「三月末日」と脳内変換されてしまい、3月31日に置き換わってしまったのでした。電話をもらわなければ、のりすごし、31日の夜に途方にくれるところでした。
家族にも友人にも「帰国は4月1日朝」と伝えてしまったので、とりあえず、家族には帰国は31日朝」とメールしました。
そんなこんなのドタバタを経て、おみやげを買う時間もなく帰国しました。せめて、みやげ話でも、、、、まあ、いつものヨタ話ですが。
なにはともあれ、皆々様のコメント、ありがとうございました。だれかがこのしがない生活の記録を見ていてくださるということを励みにして、勤務全うすることができました。感謝、感謝。春庭が学生から礼拝を受けたように、みなさまに礼拝をささげます。仏像になった気分で、春庭の礼拝をお受け取りくださいませ。ありがとうございました。
<おわり>
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2016十六夜さまよい日記4月(1)ただいま!帰国しました
3月31日早朝6時、成田空港に着きました。無事帰国。
31日は、東京の桜、満開です。満開の桜に迎えられて、ほんと、日本の春はいいですねぇ。
ヤンゴンの3月暑季からの帰還、いやはや暑かったです。
ヤンゴン最後の日々も多難でした。3月24日、仕事中にモデムが使えなくなりました。24と25日はボスの留守にモデムを借りて、なんとかメールもできたのですが。土日は日本との連絡もままならず。私の電話、ミャンマー国内専用のガラケーですから、国際電話をかけるには、ボスの持つアイフォンを借りねばならず、、、、日本の自宅に心配事勃発したので、連絡がとれないことはほんとうに困りました。
3月26日、深夜。2時に停電が始まり、冷房が切れて暑いのと、電子蚊取り器がオフになってしまい、蚊に食われてかゆいのとで目が覚めてしまいました。
まず煙の出る蚊取り線香に火をつける。この蚊取り、渦巻きをふたつ組み合わせてあるのは日本のと同じですが、そのふたつを切り離すのがとても難しい。所々が切れていないのです。私のような「イラチ(関西方言?)」だと、急いては事をし損じるのことわざ通り、途中でぼきっと折ってしまいます。
ゴジラマークの蚊取りなのに、効き目はすこしもゴジラではなく「こしら」くらいでした。
26日深夜2時からの停電は、27日朝9時過ぎても解消しないので、これは市の電力事情による停電ではないだろうと思いました。地域全体の停電はたいてい3時間くらいたつと復旧するからです。6時間以上の停電、宿舎の電気系統の故障だろうと思ったところに、管理人が電気技師といっしょに点検にきましたが、技師はすぐに帰ってしまいました。彼の手には負えない故障なのか。
一日中、人が出入りしてあーでもないコーデもないとワイワイして、変圧器の故障ということがわかったみたいですが、玄関でのんびりと待っている電気技師さんに聞いたところ、どこやらに部品をもらいに行っているけれど、いつ戻るのかわからないとのこと。この分では24時間以上の停電になるかと覚悟しました。
最後の週にこれでもかっという長時間停電にみまわれるのも、ヤンゴン事情をよくよく身に染みて帰国せよとの仏様のおぼしめし、、、、って、ミャンマーの仏様は来世専用のはず、、、ま、いいか。
ちゃんと仏様に祈ったおかげで、夜7時すぎ、電気がつきました。18時間の停電で復旧しました。冷蔵庫は温蔵庫になり、生ぬるい水など飲みながら、うちわと水シャワーで対処した18時間。室温32度で何もする気が起きず。ごろごろと。寝ていても汗が落ちる。西日が当たる部屋なので、夕暮れにはいっそう暑くなる。西日避けにカーテン閉めると暗くなる。
冷房つけて20度設定にしておいても、室温30度になってしまう、弱いエアコンに文句たらたらだったけれど、それにしても、冷房があるだけありがたいのだと、わからせてくれる停電。エアコンさん、いつもよく働いてくれますねぇ、という気分になる室温。
断水三日間も停電18時間も、終わってしまえばこっちのもん。桜満開日本に戻って、すぐに文明生活があたりまえの生活に慣れてしまうことでしょう。
いつでもドジでマヌケな春庭、ヤンゴン生活の最後の最後までドジをやらかしました。春庭は、帰国日を「3月末日」と思い、3月31日の便で帰るつもりでいました。29日に、派遣元大学の係員に、お世話になったお礼のメールを送り、31日の便で帰国しますと報告したところ、30日の朝国際電話をもらいました。なんと、「先生の帰国日は今日ですよ」と。
あらら、どうしましょ。衣類のパッキングは半ば終えていたのですが、細々した物を詰め込まなければなりません。大慌ての荷造り。
ほんとうにどうしてこうもドジなんでしょう。
「3月30日の帰国便」が「三月末日」と脳内変換されてしまい、3月31日に置き換わってしまったのでした。電話をもらわなければ、のりすごし、31日の夜に途方にくれるところでした。
家族にも友人にも「帰国は4月1日朝」と伝えてしまったので、とりあえず、家族には帰国は31日朝」とメールしました。
そんなこんなのドタバタを経て、おみやげを買う時間もなく帰国しました。せめて、みやげ話でも、、、、まあ、いつものヨタ話ですが。
なにはともあれ、皆々様のコメント、ありがとうございました。だれかがこのしがない生活の記録を見ていてくださるということを励みにして、勤務全うすることができました。感謝、感謝。春庭が学生から礼拝を受けたように、みなさまに礼拝をささげます。仏像になった気分で、春庭の礼拝をお受け取りくださいませ。ありがとうございました。
<おわり>