20160416
ミンガラ春庭ミャンマースーベニール>ブツブツしい日々(1)ミイラ&蝋人形礼拝
ブツブツしい日々第1弾は、春庭には神々しくは思えなかった、蝋人形式仏像の紹介です。
ミャンマーの人々は、生き仏のような高僧を礼拝し、信仰する伝統を持っています。そのようなありがたい高僧は常に身近にいるわけではありませんが、ときどき、徳の高い高僧が出現し、大勢の信心深い信徒を集めます。生きているうちから、あるいは死後に、そのお姿をそっくり再現した蝋人形の仏像が作られます。
そのような生き仏様への信仰、信じる人には心のよりどころだ、ということもわかりますし、来世のために寺参りをし、釈迦像や生き仏を拝むことがなにより大切な生活の基本なのだということも理解できます。
しかし、来世よりも、現世において、明日の飯は食えるのか食えぬのかというギリギリの生活不安の中で生きてきた春庭には、生き仏様や蝋人形仏像を礼拝しても現世の御利益はないと思うと、あまり熱心に礼拝する気分にはなれませんでした。
言うてはなんですが、蝋人形の高僧、こうごうしくは思えず、、、、、。
ミャンマーの仏教徒たち、みな真剣な顔して蝋人形に礼拝していました。釈迦牟尼も、もとは人間。蝋人形になってまつられている高僧も、こうして礼拝の対象になったからには、仏像と同じです。同じ御利益があります。でもね、、、、、こうごうしく思えない私が悪いのは承知だけれど、なまなましいお顔を拝むには、気恥ずかしく、ブツブツしい。
2015年9月に、北オッカラパにある僧院でバックパッカーさく君が1週間の出家修行を実行しました。2階にある僧侶達の読経修行の場には、この寺で一番えらいお坊様の蝋人形仏像がありました。この高僧はまだ生きている人なのだそうで、いわば「生きボトケ」状態です。
自分の姿がそっくりそのまま蝋人形になって、人々が礼拝しているのを、生き仏様は見ていることと思うのですが、どんな気分なのでしょうか。
生存中の、高僧の像。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/9e/cb580aa0a59ddd5a0d7ff59cb3783896.jpg)
2016年3月19日に、オン先生ご推奨の「アメイジングテンプル」にお参りしました。
どこがアメイジング(じぇじぇじぇびっくりポン)なのかと言うと、高僧が亡くなったさい、そのまま腐ることもなくミイラ状態になったからです。遺体は棺に納められてお寺に安置されています。
ミイラは、オランダ語 mummie を漢訳して、「木乃伊」と書きます。世界でもっとも知られたミイラは、エジプトピラミッドに存置された王たちの身体でしょう。これは死後、永遠の命を願って、さまざまな施術によって防腐措置をほどこしたもの。
一方、日本には古くから「天然ミイラ」が存在してきました。防腐剤などを使わなくても、高僧が亡くなるときなど、死期を悟ると、1ヶ月から数ヶ月前から徐々に食事を断ち、最後は水も飲まずに死を迎えます。身体はからからに乾いた状態で絶命しますから、死後、そのまま乾燥状態の遺体が残されます。日本では尊い宗教者がこのような状態で亡くなることを「即身仏」と呼びました。
雨期には湿度が高く、年中気温が高いミャンマーでは、高僧であっても遺体が即身仏になるには、日本よりもさらに条件がむずかしかろうと思います。しかし、死期を悟った高僧が絶食状態で乾燥して亡くなり、その時期が乾期のはじめなら、即身仏ができあがることもあるでしょう。
そのような即身仏は棺に納められて祀られていましたが、お参りの人々は、中に納められている即身仏は見えないので、もっぱら生前の姿を写した「蝋人形」仏像を礼拝していました。生前の姿は、仏像と同じように拝まれています。人々は、自分の来世がよりよいものとなるよう、熱心に祈っていました。
即身仏となった高僧の生前の姿を仏像にしました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/c2/af1b1d744ce8d031c8378b7958188090.jpg)
即身仏は、棺の中におわします。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/65/d67e609249c7128531200345fc66db6c.jpg)
私は、釈迦像にもミイラとなった高僧蝋人形にも、もっぱら現世利益を祈りました。家内安全健康長寿商売繁盛五穀豊穣世界平和。息子のためには学業成就、娘には良縁祈願。いろいろお願いしておいて、ミイラ仏さま、どれでもひとつくらいは、結願お願いいたします。え、来世にはかなえてあげよう、ですって、、、、そこをなんとか、現世で。
<つづく>
4月13日発生の、マグニチュード6.9ミャンマー西北部地震、余震うち続く熊本地震の犠牲者被災者のために祈っています。
ミンガラ春庭ミャンマースーベニール>ブツブツしい日々(1)ミイラ&蝋人形礼拝
ブツブツしい日々第1弾は、春庭には神々しくは思えなかった、蝋人形式仏像の紹介です。
ミャンマーの人々は、生き仏のような高僧を礼拝し、信仰する伝統を持っています。そのようなありがたい高僧は常に身近にいるわけではありませんが、ときどき、徳の高い高僧が出現し、大勢の信心深い信徒を集めます。生きているうちから、あるいは死後に、そのお姿をそっくり再現した蝋人形の仏像が作られます。
そのような生き仏様への信仰、信じる人には心のよりどころだ、ということもわかりますし、来世のために寺参りをし、釈迦像や生き仏を拝むことがなにより大切な生活の基本なのだということも理解できます。
しかし、来世よりも、現世において、明日の飯は食えるのか食えぬのかというギリギリの生活不安の中で生きてきた春庭には、生き仏様や蝋人形仏像を礼拝しても現世の御利益はないと思うと、あまり熱心に礼拝する気分にはなれませんでした。
言うてはなんですが、蝋人形の高僧、こうごうしくは思えず、、、、、。
ミャンマーの仏教徒たち、みな真剣な顔して蝋人形に礼拝していました。釈迦牟尼も、もとは人間。蝋人形になってまつられている高僧も、こうして礼拝の対象になったからには、仏像と同じです。同じ御利益があります。でもね、、、、、こうごうしく思えない私が悪いのは承知だけれど、なまなましいお顔を拝むには、気恥ずかしく、ブツブツしい。
2015年9月に、北オッカラパにある僧院でバックパッカーさく君が1週間の出家修行を実行しました。2階にある僧侶達の読経修行の場には、この寺で一番えらいお坊様の蝋人形仏像がありました。この高僧はまだ生きている人なのだそうで、いわば「生きボトケ」状態です。
自分の姿がそっくりそのまま蝋人形になって、人々が礼拝しているのを、生き仏様は見ていることと思うのですが、どんな気分なのでしょうか。
生存中の、高僧の像。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/9e/cb580aa0a59ddd5a0d7ff59cb3783896.jpg)
2016年3月19日に、オン先生ご推奨の「アメイジングテンプル」にお参りしました。
どこがアメイジング(じぇじぇじぇびっくりポン)なのかと言うと、高僧が亡くなったさい、そのまま腐ることもなくミイラ状態になったからです。遺体は棺に納められてお寺に安置されています。
ミイラは、オランダ語 mummie を漢訳して、「木乃伊」と書きます。世界でもっとも知られたミイラは、エジプトピラミッドに存置された王たちの身体でしょう。これは死後、永遠の命を願って、さまざまな施術によって防腐措置をほどこしたもの。
一方、日本には古くから「天然ミイラ」が存在してきました。防腐剤などを使わなくても、高僧が亡くなるときなど、死期を悟ると、1ヶ月から数ヶ月前から徐々に食事を断ち、最後は水も飲まずに死を迎えます。身体はからからに乾いた状態で絶命しますから、死後、そのまま乾燥状態の遺体が残されます。日本では尊い宗教者がこのような状態で亡くなることを「即身仏」と呼びました。
雨期には湿度が高く、年中気温が高いミャンマーでは、高僧であっても遺体が即身仏になるには、日本よりもさらに条件がむずかしかろうと思います。しかし、死期を悟った高僧が絶食状態で乾燥して亡くなり、その時期が乾期のはじめなら、即身仏ができあがることもあるでしょう。
そのような即身仏は棺に納められて祀られていましたが、お参りの人々は、中に納められている即身仏は見えないので、もっぱら生前の姿を写した「蝋人形」仏像を礼拝していました。生前の姿は、仏像と同じように拝まれています。人々は、自分の来世がよりよいものとなるよう、熱心に祈っていました。
即身仏となった高僧の生前の姿を仏像にしました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/c2/af1b1d744ce8d031c8378b7958188090.jpg)
即身仏は、棺の中におわします。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/65/d67e609249c7128531200345fc66db6c.jpg)
私は、釈迦像にもミイラとなった高僧蝋人形にも、もっぱら現世利益を祈りました。家内安全健康長寿商売繁盛五穀豊穣世界平和。息子のためには学業成就、娘には良縁祈願。いろいろお願いしておいて、ミイラ仏さま、どれでもひとつくらいは、結願お願いいたします。え、来世にはかなえてあげよう、ですって、、、、そこをなんとか、現世で。
<つづく>
4月13日発生の、マグニチュード6.9ミャンマー西北部地震、余震うち続く熊本地震の犠牲者被災者のために祈っています。