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ぽかぽか春庭「ブツブツしい」

2016-04-14 00:00:01 | エッセイ、コラム
20160414
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>春の庭で楽しむことば(3)ブツブツしい
 
 ブログ仲間(と、勝手に思っている)すみともさんのことば感覚が好きです。川柳で鍛えた言語感覚。くすっと笑えて、ときに深く、また、卓抜な造語に感心しきり。
 「捨て色・差し色」なんていうファッションやカラーコーディネートを専門にしている人でもないと日頃使わないことばを教えていただいたり、上州では「繭玉」と呼んでいた正月の餅飾りを「成木餅」と呼ぶ地方もあるのだと知ったり。

 エイプリルフールをもじった「エブリディフール」も、そうそう、私も毎日で~す、と自分のおバカぶりを肯定できる気分になりましたし、
すみともブログに載る川柳のことばもいつも「こうごうしい」ばかりに輝いています。

 神様のように厳かで気高い感じを受けるとき、「こうごうしい」と言います。「神(カム)」をふたつ並べて「神神し(カムカムし→カウガウし→コウゴウし」と転じ、現代日本語でも「神々しい」は使われています。
 神様や「カミ」のようなものへの「神々しい」という語ですが、仏像を見て、厳かで気高く感じれば「こうごうしい仏像」と言ってよいのだろうと思います。仏像も気高くおごそかですから。

 すみともさんが春庭ブログに寄せてくださったコメントのことばの中にも、「あ、これ、いただき」と思うセンスのよいことばがありました。
 「ブツブツしい」という造語。

 最終授業の日に、教え子のヤンゴン大学生たちから春庭が受けた「教師礼拝」の報告をしました。仏像を礼拝するのと同じように、両親や恩人、恩師を礼拝する文化がミャンマーにあります。尊敬する教師のひとりとみなされて礼拝を受け、春庭大いに感激した、というコラムを書きました。
 学生達に取り囲まれ、礼拝を受けているときの気恥ずかしい気持ちをどのような語で表したらいいのかと思っていたところ、すみともさんから「ブツブツしいHALセンセ」という評をいただきました。

 あらら、この造語、私の気持ちにぴったりです。
 ミャンマーの地で、こうごうしい仏像を礼拝し、神にも等しい恩師を礼拝するのはわかります。しかし、春庭のごときブサイクなブツブツ不平不満のヤカラがていねいな礼拝を受けたのでは、どうにも、いたたまれぬような申し訳なさ、気恥ずかしさを感じました。人から拝まれるほどのもんではなし、という気分です。

 すみともさんの「ミャンマーにおわすは仏様だから、神々しいではなくて”仏仏しい”かしら」というコメント、とってもおもしろくて、「ブツブツしい」という造語が気に入りました。


 春庭は、ミャンマーでは「私は仏教徒。ZEN仏教徒です」と自分の宗教を紹介していましたが、もとより本物の仏教徒ではなし。お寺に行くのは初参りお盆のほかは、ふた親や姉の法事だけ。お盆の寺参りも、忙しければ省略。
 親の位牌はもらってあるけれど、棚の上に載せただけで、毎日のご飯や水のお供えなどしていません。位牌に霊は宿っておらず、母も姉も風になっているか、宇宙500億光年かなたの浄土へ行っているかしていると思っています。(西方十万億土の春庭式理解。私のいる宇宙空間とは別空間)。
 心の中で母や姉に呼びかけていれば、きっとテレパシーで通じていると思っている似非仏教徒です。

 そんないいかげんなHALセンセですから、暑い、蚊が多い、狂犬病持ちかもしれぬ野犬こわい、一流レストランでも蝿が飛ぶ、と、ブツブツ文句たらたらの毎日だったヤンゴンで、学生から拝まれるなんぞ、もう恥ずかしいったらありゃしない。そんな気分が「ブツブツしい」ということばに合うんじゃないかしら。

 ミャンマーの人々が毎日の礼拝を欠かさない仏像、仏塔、高僧、仏壇。でも、私には毎日拝む仏様などいないし、ブツブツしい気分でのお寺参りもあまり御利益があったとは思えません。
 とはいえ、ミャンマーでは、日本にいるときの何倍もお寺参りをしました。たぶん、1年に2度お参りすれば十分な似非大乗仏教徒としては、もう一生分はお参りしたと思います。一生分のお参りをすませて、ブツブツしい春庭ですが、お寺参りの御利益、余っておつりがきています。

 ミャンマーのお寺で礼拝してきた御利益をみなさまに、お裾分けしたくぞんじます。
 このブツブツしさを共有して、御利益もらってください。
 ああ、しかし、ミャンマー仏陀の御利益は、来世が現世よりいい人生になるってことです。お寺に寄進しなくちゃ来世の御利益にはならんのですが、春庭へ寄進なさると、現世での御利益があると思います。たぶん。
 どうぞ、どしどし寄付をお寄せください。常時受け付けております。
ミャンマーでは、寺の池の鯉に餌を与えると動物愛護の功徳があるし、鳩への餌やりも功徳。野犬へ残飯与えても功徳。春庭への寄進もむろん動物愛護、、、、、なのか?

 みなさまの敬虔なるぶつぶつしいお気持ちが、御利益をもたらしますように。

<おわり>
コメント (4)
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