2016081
ぽかぽか春庭ことばの知恵の輪>葉月のことば(6)辺見庸『水の透視画法』
たまたま図書館で借りてきた辺見庸『水の透視画法』。
元共同通信の記者であった辺見が、古巣からの依頼により2008年から2011年まで月2回執筆し、全国の加盟新聞社に配信されたエッセイに、書き下ろしなどを加えた単行本です。
Ⅲ部に「一瞬の差し色」という章がありました。2011年1月のエッセイです。
若い友人によって「差し色」という語を初めて聞いた、と書かれています。「若い友人のことばをまとめるとこうなる」と、辺見は書く。
」 世の中はいま、たしかにろくでもない。もう信ずべきなにものもないようにおもわれる。「信」は崩壊している。みなが日々、主体をかくして他人をもじぶんをもあざむいている。悲しく、とてもむなしい。ときどき泣きたくなる。叫びたくなる。でも、いきりたてばいきりたつほど置きざりにされる。それでも世界には、つかの間の差し色の美しい心や美しい景色、ことばがまだあるのではないか。そうおもいたい。そうおもわないと、とても生きてはゆけない。
辺見は、若い友人によって知った「差し色」ということばを宝物のように反芻し、「たまゆらの差し色が息をのむほどに映える」と評する。
私が「差し色」という語を知ったのは、今年。「すみともさんブログ」によってです。辺見が「息をのむほどに」と感じた「差し色」という語を感覚を共感できるようになってうれしい。
辺見が記した語のなかで、感覚が異なると思った語もありました。
「膚接(ふせつ)」という語について、「かっては用いられたのに、いまはめっきり使われなくなった」と、辺見は嘆く。
「皮膚をおしあてがうように、人であれ物であれなにかと密接すること」
この理由について、辺見は「私たちが世界と膚をあわすことを厭うようになったから、膚接ということばも死にかかっているのではないか」と、辺見は言う。
そもそも膚接という語を私は使ったことがなかった。辺見の『水の透視画法ー雨中のハナカイドウ』を読むまで、膚接を知らなかったから、この語が「死にかかっている」という感覚を持つことはない。たぶん、私が「世界と膚をあわしてきた」という感覚も持っていなかったからだろうか。「もの食う人々」でも、他のルポルタージュでも世界中を飛び回り、世界と膚を合わせてきた辺見。一方の私といえば、肌を合わせる感覚というのは、赤ん坊のころの娘や息子の頬にほうずりしたことを思い出すくらいで、世界は私のまわりに漠然として茫漠として無辺際に広がるばかり。
私にとって世界とは、膚と膚が密接するほど近しいものではなかった。半径5mの日常の中をのたうち回るしかない生活のなかで、膚接という語も遠かったのだ。
辺見の文章、小説は余り好きではなく、読んだのは初期のものだけ。評論集やエッセイ、対談集はのこらず読んで来ました。でも、共同新聞の配信を受けている地方新聞など購読していなかったし、新刊単行本が出た2011年6月という時期、本を読む気もなくすごしていた時期だったので、この本を見落としていました。おまけにウィキペディアの辺見庸著作一覧には、『水の透視画法』は「小説」の欄に分類されています。著作チェックで、小説の欄を見なかったので、あるいは見たかもしれないけれど読もうと思わなかったので、、、、本屋で自分の目でぱらぱらとページをめくれば、まだ読んでいないエッセイだと言うことがわかったでしょうにウィキペディアなんぞを見てすませてしまったためです。学生にはウィキペディアは間違いが多いから信用するな、とさんざん注意してきたのに。
2004年に脳出血で倒れて以後は、読者が辺見を支えなければ、という思いがいっそう強くなったのに、図書館本で読了してしまっては、「辺見様の著作は新刊直後に買って、印税をきちんとお支払いする」という購入パターンがくずれてしまいました。申し訳ないので、せめて文庫本がでたら新刊で購入いたします。それまでお支払い、お待ちを。現在失業中で無収入なので。
<つづく>
ぽかぽか春庭ことばの知恵の輪>葉月のことば(6)辺見庸『水の透視画法』
たまたま図書館で借りてきた辺見庸『水の透視画法』。
元共同通信の記者であった辺見が、古巣からの依頼により2008年から2011年まで月2回執筆し、全国の加盟新聞社に配信されたエッセイに、書き下ろしなどを加えた単行本です。
Ⅲ部に「一瞬の差し色」という章がありました。2011年1月のエッセイです。
若い友人によって「差し色」という語を初めて聞いた、と書かれています。「若い友人のことばをまとめるとこうなる」と、辺見は書く。
」 世の中はいま、たしかにろくでもない。もう信ずべきなにものもないようにおもわれる。「信」は崩壊している。みなが日々、主体をかくして他人をもじぶんをもあざむいている。悲しく、とてもむなしい。ときどき泣きたくなる。叫びたくなる。でも、いきりたてばいきりたつほど置きざりにされる。それでも世界には、つかの間の差し色の美しい心や美しい景色、ことばがまだあるのではないか。そうおもいたい。そうおもわないと、とても生きてはゆけない。
辺見は、若い友人によって知った「差し色」ということばを宝物のように反芻し、「たまゆらの差し色が息をのむほどに映える」と評する。
私が「差し色」という語を知ったのは、今年。「すみともさんブログ」によってです。辺見が「息をのむほどに」と感じた「差し色」という語を感覚を共感できるようになってうれしい。
辺見が記した語のなかで、感覚が異なると思った語もありました。
「膚接(ふせつ)」という語について、「かっては用いられたのに、いまはめっきり使われなくなった」と、辺見は嘆く。
「皮膚をおしあてがうように、人であれ物であれなにかと密接すること」
この理由について、辺見は「私たちが世界と膚をあわすことを厭うようになったから、膚接ということばも死にかかっているのではないか」と、辺見は言う。
そもそも膚接という語を私は使ったことがなかった。辺見の『水の透視画法ー雨中のハナカイドウ』を読むまで、膚接を知らなかったから、この語が「死にかかっている」という感覚を持つことはない。たぶん、私が「世界と膚をあわしてきた」という感覚も持っていなかったからだろうか。「もの食う人々」でも、他のルポルタージュでも世界中を飛び回り、世界と膚を合わせてきた辺見。一方の私といえば、肌を合わせる感覚というのは、赤ん坊のころの娘や息子の頬にほうずりしたことを思い出すくらいで、世界は私のまわりに漠然として茫漠として無辺際に広がるばかり。
私にとって世界とは、膚と膚が密接するほど近しいものではなかった。半径5mの日常の中をのたうち回るしかない生活のなかで、膚接という語も遠かったのだ。
辺見の文章、小説は余り好きではなく、読んだのは初期のものだけ。評論集やエッセイ、対談集はのこらず読んで来ました。でも、共同新聞の配信を受けている地方新聞など購読していなかったし、新刊単行本が出た2011年6月という時期、本を読む気もなくすごしていた時期だったので、この本を見落としていました。おまけにウィキペディアの辺見庸著作一覧には、『水の透視画法』は「小説」の欄に分類されています。著作チェックで、小説の欄を見なかったので、あるいは見たかもしれないけれど読もうと思わなかったので、、、、本屋で自分の目でぱらぱらとページをめくれば、まだ読んでいないエッセイだと言うことがわかったでしょうにウィキペディアなんぞを見てすませてしまったためです。学生にはウィキペディアは間違いが多いから信用するな、とさんざん注意してきたのに。
2004年に脳出血で倒れて以後は、読者が辺見を支えなければ、という思いがいっそう強くなったのに、図書館本で読了してしまっては、「辺見様の著作は新刊直後に買って、印税をきちんとお支払いする」という購入パターンがくずれてしまいました。申し訳ないので、せめて文庫本がでたら新刊で購入いたします。それまでお支払い、お待ちを。現在失業中で無収入なので。
<つづく>