20160818
ぽかぽか春庭ことばの知恵の輪>葉月の花ことば(2)ムラサキ
万葉集の中で好きな歌をあげてください、というランキングがあれば、確実に上位にくるであろう歌のやりとり。
天皇(すめらみこと)、蒲生野(かまふの)に遊猟(みかり)したまひし時に、額田王の作れる歌
・茜草指 武良前野逝 標野行 野守者不見哉 君之袖布流
茜草(あかね)さす 紫野(むらさきの)行き、標野(しめの)行き、野守(のもり)は見ずや、君が袖(そで)振る
茜色の あの紫草の野をあちらこちらと、御料地の野を歩いてるとき 野の番人は見ていないかしら あなたがそんなにも袖を振っているのを
権力者として力を振るおうとしている兄との軋轢を避けるため、兄の娘ふたりを妻にもらい受け、そのかわりに自分の思い人を兄に差し出した大海人皇子。この歌のやりとりの頃は40歳になっています。額田王と大海人皇子の間に生まれた十市皇女は、天智天皇の嫡子大友皇子の妃のひとりになっている。
天智天皇には、権力を独占する今になっても、ある密かな嫉妬が残っている。あまたまわりに侍る妃のひとりである額田王の心が、もしかしてまだ大海人への思いを消し去っていないのではないか。額田王はそんな天皇の思いを逆手にとって、宮廷人の笑いをとりながら、「こんなに大勢の監視の目があるなかで、思わせぶりに袖を振って気を持たせないで」と歌います。かっての恋人であることは衆知のことなので、宮人達はやんやと面白がったことでしょう。
大海人皇子(のちの天武天皇)の返歌
・紫草能 尓保敝類妹乎 尓苦久有者 人嬬故尓 吾戀目八方
紫草(むらさき)のにほへる妹を憎くあらば 人妻ゆゑに我恋ひめやも
紫の染め色のように美しい人よ あなたを憎く思うのなら、人妻なのにどうしてこんなに想うものでしょうか
かっての恋人から、あきらめたはずの昔の恋を、笑いのなかに包みつつ持ち出された大海人皇子。
額田王の「決してあなたのことが嫌いになって別れたのではない」という密かな思いを、今は強力なライバルになっている兄弟ふたりが、同時に感じ取ったのではないでしょうか。
みなが大喜びしてはやし立てているなか、天智天皇も破顔し、今は自分のものである額田王を見たでしょう。宮人に「このように機知のある歌を詠める女を所有している王者こそ私なのだ」と誇らかに。
紫色の染め色のようににじみ出てくる心の歌を詠んだ額田王。どのような返歌をすれば、権力者天皇の嫉妬心も権勢欲も損なわずに宴席を納められるのか。その難しい立場を見事な機転で納めた大海人皇子の返歌です。
人妻ゆえに決して手出しなどできないことを衆知のうえで、天皇の所有物である女を賛美する。天智天皇は、自分のものとなった女性をほめたたえられ満足しつつ、弟が自分に譲った女を決して心の底からあきらめて手放したのではないことを密かに知らされる。宴席の人々といっしょにワッハハと笑って興じるとともに、二人の間に通い合う何かに感づいたのかも。
この応答が見事な雰囲気を出しているのも、舞台が標野(神聖な御料地)に一面に咲く「紫草」の野原であるからです。
紫草は、その根があざやかな紫色を染め出す染料であり、薬草にもなります。この万葉のころは、日本中どこにでも生えている草だったのに、明治以後、西洋から合成の紫色染料が入り込み、また、中国原産のイヌムラサキ、西洋原産のセイヨウムラサキの草が外来種として野にはびこると、たちまち競争に負けて絶滅危惧種になってしまいました。
万葉集4-569
宰帥大伴卿被任大納言臨入京之時府官人等餞卿筑前國蘆城驛家歌四首
辛人之 衣染云 紫之 情尓染而 所念鴨
韓人の 衣染むといふ 紫の 心に染みて 思ほゆるかも
韓人の衣を染めるという紫のように 心にまでも染みて思いが募ることだなあ
太宰府の長官として赴任していた大伴旅人は、万葉集の中でも有名な歌人です。
けれど、その赴任地筑前国から京都へ向かう長官を見送る麻田陽春(あさだのやす)を知っている人は、万葉集研究者のほかにはあまりいないのではないでしょうか。かくいう私も、紫草の歌を探した結果、麻田陽春にめぐり逢いました。麻田陽春は、もともとは百済国からヤマトに亡命してきた古代朝鮮王朝の末裔。もとの姓は「王」です。天平時代に大宰大典となり、上司の大伴旅人を見送ることになったのです。
麻田陽春、懐風藻に漢詩も登載されている文化人だった。知りませんでした。
額田王の紫草は、恋模様を含みつつの鮮やかな色です。一方、麻田陽春の紫は、染め色がカラの国からの到来であることと、我が国の養老律令では、三位以上の礼服として浅紫の衣の着用が許されているということから、正三位の大伴旅人の着用できる色であることを言祝いで「心に染みる色あい」と、これは幾分を上司を持ち上げる気分も感じられます。上司見送りの餞の歌ですから、「いよっ、紫色の衣装も身につけられる長官っ!」てな出立風景でしょうか。
笠女郎(かさのいつらめ)大伴宿禰家持に贈る歌
万葉集3-395
託馬野尓 生流紫 衣染 未服而 色尓出来
託馬野(つくまの)に生ふる紫草(むらさき)衣(きぬ)に染(し)め未だ着ずして色に出でにけり託馬野に生える紫草、その根を衣に染めるように、あなたに心を染めて、まだ思いを遂げてもいないのに、知られてしまったのです
笠女郎から大伴家持にあてた恋歌、24年にわたった恋のかけひきの末、分かれてしまったようですが、家持は笠女郎の歌を24首残しています。
『新古今集』にみえるムラサキ
醍醐天皇(敦仁885-930)12歳で践祚。46歳での薨去まで34年間に渡り在位。藤原時平・菅原道真を左右大臣にすえ、平安初期に「延喜の治」と呼ばれる安定時代を治めました。
新古今995
中将更衣(藤原伊衡の娘)に遣はしける
むらさきの色に心はあらねども深くぞ人を思ひそめつる
紫草で染めた色でもないのに、あなたを深く思い初(そ)めて、私の心は恋の色に深く染まってしまいました
更衣は、女御より身分が低い天皇の妃。中将更衣の父は正四位下の参議どまりでしたから、紫草で染めた衣装を着ることはかなわなかった身分。
「思いそめる」を引き出すための「紫の色」なのでしょう。醍醐天皇は、中将更衣へ思いを伝えるために「むらさきのにほへる妹をにくくあらば」の大海人皇子の歌を下敷きにしたのではないかと思います。更衣もこのように「恋の色に染まった私」から迫られては、うっとりと天皇の胸に飛び込んだでしょう。もっとも、醍醐天皇は、20人の后妃を侍らせて36人の子女を得た人ですから、中将更衣がどの程度紫色に染められたのかは定かではない。紫色に染まるローテーションは1ヶ月に一度くらいしか回ってこない。中将更衣は、もっともっとヘビーローテーションをねがったことでしょうけれど。
そしてムラサキといえば、なんと言っても「若紫の物語」
光源氏は、尼祖母の死後、実父の兵部卿宮をだしぬいて、幼い若紫を自邸に引き取ってしまいます。
光源氏の歌
手に摘みていつしかも見む紫の根にかよひける野辺の若草
早く手に摘んで早く見たいものだ、紫草(ムラサキの縁=藤壺)につながっている野辺の若草を
そして念願通り、野辺の若草をもぎり取るように摘み取ってしまった光さま。紫の上の身の上には、「紫草のにほへる妹」はじめ、「むらさきの色に心はあらねども」やらたっぷりと「紫色の色の重なり」が集まって、複雑な心理を見せる女人となって日本文学史に美しい染め色を見せています。
根っこを煎じれば、美しい紫色がにじみ出てくるのに、花は意外にも楚々とした控えめな白。
画像は借り物で、絶滅危惧種の紫草なのか、それとも西洋紫草なのか、私には区別がつきませんが。
<つづく>
ぽかぽか春庭ことばの知恵の輪>葉月の花ことば(2)ムラサキ
万葉集の中で好きな歌をあげてください、というランキングがあれば、確実に上位にくるであろう歌のやりとり。
天皇(すめらみこと)、蒲生野(かまふの)に遊猟(みかり)したまひし時に、額田王の作れる歌
・茜草指 武良前野逝 標野行 野守者不見哉 君之袖布流
茜草(あかね)さす 紫野(むらさきの)行き、標野(しめの)行き、野守(のもり)は見ずや、君が袖(そで)振る
茜色の あの紫草の野をあちらこちらと、御料地の野を歩いてるとき 野の番人は見ていないかしら あなたがそんなにも袖を振っているのを
権力者として力を振るおうとしている兄との軋轢を避けるため、兄の娘ふたりを妻にもらい受け、そのかわりに自分の思い人を兄に差し出した大海人皇子。この歌のやりとりの頃は40歳になっています。額田王と大海人皇子の間に生まれた十市皇女は、天智天皇の嫡子大友皇子の妃のひとりになっている。
天智天皇には、権力を独占する今になっても、ある密かな嫉妬が残っている。あまたまわりに侍る妃のひとりである額田王の心が、もしかしてまだ大海人への思いを消し去っていないのではないか。額田王はそんな天皇の思いを逆手にとって、宮廷人の笑いをとりながら、「こんなに大勢の監視の目があるなかで、思わせぶりに袖を振って気を持たせないで」と歌います。かっての恋人であることは衆知のことなので、宮人達はやんやと面白がったことでしょう。
大海人皇子(のちの天武天皇)の返歌
・紫草能 尓保敝類妹乎 尓苦久有者 人嬬故尓 吾戀目八方
紫草(むらさき)のにほへる妹を憎くあらば 人妻ゆゑに我恋ひめやも
紫の染め色のように美しい人よ あなたを憎く思うのなら、人妻なのにどうしてこんなに想うものでしょうか
かっての恋人から、あきらめたはずの昔の恋を、笑いのなかに包みつつ持ち出された大海人皇子。
額田王の「決してあなたのことが嫌いになって別れたのではない」という密かな思いを、今は強力なライバルになっている兄弟ふたりが、同時に感じ取ったのではないでしょうか。
みなが大喜びしてはやし立てているなか、天智天皇も破顔し、今は自分のものである額田王を見たでしょう。宮人に「このように機知のある歌を詠める女を所有している王者こそ私なのだ」と誇らかに。
紫色の染め色のようににじみ出てくる心の歌を詠んだ額田王。どのような返歌をすれば、権力者天皇の嫉妬心も権勢欲も損なわずに宴席を納められるのか。その難しい立場を見事な機転で納めた大海人皇子の返歌です。
人妻ゆえに決して手出しなどできないことを衆知のうえで、天皇の所有物である女を賛美する。天智天皇は、自分のものとなった女性をほめたたえられ満足しつつ、弟が自分に譲った女を決して心の底からあきらめて手放したのではないことを密かに知らされる。宴席の人々といっしょにワッハハと笑って興じるとともに、二人の間に通い合う何かに感づいたのかも。
この応答が見事な雰囲気を出しているのも、舞台が標野(神聖な御料地)に一面に咲く「紫草」の野原であるからです。
紫草は、その根があざやかな紫色を染め出す染料であり、薬草にもなります。この万葉のころは、日本中どこにでも生えている草だったのに、明治以後、西洋から合成の紫色染料が入り込み、また、中国原産のイヌムラサキ、西洋原産のセイヨウムラサキの草が外来種として野にはびこると、たちまち競争に負けて絶滅危惧種になってしまいました。
万葉集4-569
宰帥大伴卿被任大納言臨入京之時府官人等餞卿筑前國蘆城驛家歌四首
辛人之 衣染云 紫之 情尓染而 所念鴨
韓人の 衣染むといふ 紫の 心に染みて 思ほゆるかも
韓人の衣を染めるという紫のように 心にまでも染みて思いが募ることだなあ
太宰府の長官として赴任していた大伴旅人は、万葉集の中でも有名な歌人です。
けれど、その赴任地筑前国から京都へ向かう長官を見送る麻田陽春(あさだのやす)を知っている人は、万葉集研究者のほかにはあまりいないのではないでしょうか。かくいう私も、紫草の歌を探した結果、麻田陽春にめぐり逢いました。麻田陽春は、もともとは百済国からヤマトに亡命してきた古代朝鮮王朝の末裔。もとの姓は「王」です。天平時代に大宰大典となり、上司の大伴旅人を見送ることになったのです。
麻田陽春、懐風藻に漢詩も登載されている文化人だった。知りませんでした。
額田王の紫草は、恋模様を含みつつの鮮やかな色です。一方、麻田陽春の紫は、染め色がカラの国からの到来であることと、我が国の養老律令では、三位以上の礼服として浅紫の衣の着用が許されているということから、正三位の大伴旅人の着用できる色であることを言祝いで「心に染みる色あい」と、これは幾分を上司を持ち上げる気分も感じられます。上司見送りの餞の歌ですから、「いよっ、紫色の衣装も身につけられる長官っ!」てな出立風景でしょうか。
笠女郎(かさのいつらめ)大伴宿禰家持に贈る歌
万葉集3-395
託馬野尓 生流紫 衣染 未服而 色尓出来
託馬野(つくまの)に生ふる紫草(むらさき)衣(きぬ)に染(し)め未だ着ずして色に出でにけり託馬野に生える紫草、その根を衣に染めるように、あなたに心を染めて、まだ思いを遂げてもいないのに、知られてしまったのです
笠女郎から大伴家持にあてた恋歌、24年にわたった恋のかけひきの末、分かれてしまったようですが、家持は笠女郎の歌を24首残しています。
『新古今集』にみえるムラサキ
醍醐天皇(敦仁885-930)12歳で践祚。46歳での薨去まで34年間に渡り在位。藤原時平・菅原道真を左右大臣にすえ、平安初期に「延喜の治」と呼ばれる安定時代を治めました。
新古今995
中将更衣(藤原伊衡の娘)に遣はしける
むらさきの色に心はあらねども深くぞ人を思ひそめつる
紫草で染めた色でもないのに、あなたを深く思い初(そ)めて、私の心は恋の色に深く染まってしまいました
更衣は、女御より身分が低い天皇の妃。中将更衣の父は正四位下の参議どまりでしたから、紫草で染めた衣装を着ることはかなわなかった身分。
「思いそめる」を引き出すための「紫の色」なのでしょう。醍醐天皇は、中将更衣へ思いを伝えるために「むらさきのにほへる妹をにくくあらば」の大海人皇子の歌を下敷きにしたのではないかと思います。更衣もこのように「恋の色に染まった私」から迫られては、うっとりと天皇の胸に飛び込んだでしょう。もっとも、醍醐天皇は、20人の后妃を侍らせて36人の子女を得た人ですから、中将更衣がどの程度紫色に染められたのかは定かではない。紫色に染まるローテーションは1ヶ月に一度くらいしか回ってこない。中将更衣は、もっともっとヘビーローテーションをねがったことでしょうけれど。
そしてムラサキといえば、なんと言っても「若紫の物語」
光源氏は、尼祖母の死後、実父の兵部卿宮をだしぬいて、幼い若紫を自邸に引き取ってしまいます。
光源氏の歌
手に摘みていつしかも見む紫の根にかよひける野辺の若草
早く手に摘んで早く見たいものだ、紫草(ムラサキの縁=藤壺)につながっている野辺の若草を
そして念願通り、野辺の若草をもぎり取るように摘み取ってしまった光さま。紫の上の身の上には、「紫草のにほへる妹」はじめ、「むらさきの色に心はあらねども」やらたっぷりと「紫色の色の重なり」が集まって、複雑な心理を見せる女人となって日本文学史に美しい染め色を見せています。
根っこを煎じれば、美しい紫色がにじみ出てくるのに、花は意外にも楚々とした控えめな白。
画像は借り物で、絶滅危惧種の紫草なのか、それとも西洋紫草なのか、私には区別がつきませんが。
<つづく>