20170903
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>家族映画、愛という名の(7)この世界の片隅に
昨年評判になった『この世界の片隅に』、娘息子といっしょに見ました。息子会員のネットサービスで、毎月何本か映画がダウンロードできるサービス利用です。娘が見たいと思った作品は、映画館禁止令がだされます。娘が「私は、家族としゃべりながら見るのが好き。映画館だとしゃべれない」と言うからです。「母は映画館で見てくるとすぐにネタばらしするから、私が見たいと思ったのを見ちゃダメ」と禁止令が出てしまうので、私も今まで待ちました。ちなみに、『君の名は』のほうは、娘のランクでは「テレビ放映されるまで待つ」です。大評判だった『アナ雪』だってテレビ放映まで待ちました。辛抱強いです。ディズニー原画展とか行って、だいぶネタばらしされたあとでしたが。
私が「この世界~」に注目したのは、この作品でこうの史代が第13回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞(2009年)を受賞してからなので、雑誌掲載時には知りませんでした。2010年にアニメ映画化される、というのを知って以後も、アニメがクラウドファンディングで制作が動き出して以後も、「母はすぐネタバラシするから、見ちゃダメ」というのを守って、ドラマも見ず、ようやくアニメを見ることができたのです。テレビドラマは、北川景子がすずのイメージに合わない気がしてパス。北川景子、きりっとしているので、ほんわかとして「ぼうっとしている」とはちがうと思う。実写でやるなら、だんぜん、のんです。すずの夫周作を演じているのが小出恵介なので、当分は再放送なしだろうけれど。
片淵須直は、日本大学芸術学部映画学科映像コースで、アニメーションを専攻し、池田宏、月岡貞夫の薫陶を受けました。卒業後は、テレコム・アニメーションフィルムに出入りし、1983年から正社員に。1989年魔女の宅急便(演出補)などを経て、STUDIO 4℃の設立に参画。その後はマッドハウス、MAPPAを拠点にアニメーション制作。『この世界~』は、MAPPAの制作です。
片淵は、宮崎駿からの影響を語ったりしていませんが、飛行機好きは、ほかの誰より共通項と思います。空襲を受ける町の俯瞰図など、空から見た画の構図、『風立ちぬ』の俯瞰画面と比較したくなる。たぶん質問したら、「影響を受けているわけじゃない。空から見た絵はみな同じようになる」とか言いそうです。
よいアニメ監督が、こうして世間に知られる存在になって、日本アニメは世界の片隅じゃなくて、堂々世界の王道を進んでいく。
主人公すずは、私の姑と同じ大正14年の生まれです。大正14年生まれのいいところは、昭和の年号と自分の満年齢が一致していること。昭和2年は満2歳、昭和20年には20歳です。
姑は山形の、空襲もなかった田舎に生まれ育ち、女学校卒業後は「徴用のがれ」のために地元の郵便局勤めをし、見合いをして結婚。夫と共に東京に出てきた、という人だったから、戦時中の苦労話をしたことはありませんでした。実家は農家ではなかったけれど、食べ物に不自由した話も聞かなかったし。姑の姉の夫が戦死したほか、身近に戦争でつらい思いをした人はいたでしょうが、姑の戦中の日常はかなり平穏なものだったのではないかと想像していました。
『この世界の片隅に』原作:こうの史代 監督:片渕須直 出演:のん
以下、ネタバレを含む感想です。
『この世界~』のすずの日常。原作では昭和8年から始まっていますが、アニメでは昭和9年の出来事として描かれる、幼いすずの「おつかい」のシーンから。
広島に生まれ、軍港呉へお嫁に行った、という環境からして、姑の戦時中よりは、ずっとつらく厳しい状況だったと思います。それでも、すずは毎日の暮らしを丁寧にこなしていき、乏しい食糧事情のなか、野草を混ぜた雑炊を作ったり、着物をもんぺに仕立て直したり、けなげに戦下の日常をすごしています。
すずだけでなく、銃後の人々はみながそれぞれに「聖戦」を信じて、不自由を忍んでいたのでしょう。耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍べと言われても、もう、人々は十分に耐えてきたのです。
ほんわかとしたすずが、玉音放送のあと怒りを爆発させるシーンがあります。「聖戦と信じてきたのに。最後の一人まで戦うのではなかったのか、納得がいかない、、、」と。
ポツダム宣言がだされたあと、日本の要人達はひたすら「上ごいちにん」が戦犯訴追を受けずに済むように動き回り、国民がどうなるかは後回しして、アメリカなどとの交渉にあけくれる。
日本がポツダム宣言を受け入れる、無条件降伏するとわかっていたのに、トルーマンは「戦後の主導権を握ってソ連の上に立つ」というヘゲモニーのために、広島長崎に原爆を落としました。
生活を大事に大事に暮らしてきて、しかし、すずは多くのものを失いました。周囲の人々が「失ったことを受け入れて泣いている」なかで、すずは、納得できないのです。
絵を描くための右手も、広島に住んでいた家族も失ったすず。
泣きながらも「やれやれ、やっと戦争が終わった」という顔で玉音放送を聞いた人々に対し、すずは「海の向こうから来たお米…大豆…そんなそんで出来とるんじゃろうなあ、うちは。じぁぇけえ暴力にも屈せんとならんのかね」
呉の徴用工員朝鮮人達が、玉音放送後に太極旗を掲げるシーンがでてきます。すずは「暴力で従えとったいうことか」「じゃけえ暴力に屈するという事かね」と感じます。もっとも、このセリフは原作の中に出てくるもので、アニメ版は上の「お米、大豆~」というセリフになっていて、直接「暴力の応酬が戦争というものであり、自分たちの日常もその中に組み込まれていたものだった」という感慨のセリフはでてきません。。
けなげに生活を維持していただけというすずも、結果的には加害者の側でもあったこと。敗戦となって、すずが自分自身も暴力を振るう側だったと気づく、という原作のセリフですが、アニメ版との差については、その温度差が私にはまだよくわかっていません。
戦争という圧倒的な暴力の中で、静かにけなげに日常を営んでいたつもりが、実はその日常が暴力を支えていた、ということに、すずは心を引き裂かれています。怒っています。
そして、「最後のひとりまで闘うはずじゃなかったのか」という怒り。それまで自分に与えられた、相手の家の住所も知らないままの結婚や婚家での暮らしを、静かに受け入れてきたように見えたすずが、自分の意志で、自分のことばで叫ぶのです。
広島で、母親を失った孤児の女の子をみつけて、婚家に連れて帰るすず。自分の意志で、自分の意志で行動しはじめたのです。すずは、「よう、生きとりんさった」と、女の子に語りかけます。
広島の次に被爆地となった長崎。16歳のとき被爆者となった被団協の谷口稜曄氏が88歳で亡くなりました。ずっと「ゲンバクを考える」活動を続けてきた方です。
背中全面にやけどを負い、3年間うつぶせのままでいたため、腹側は褥瘡となり、激痛に「殺してくれ」と叫びながら生かされた、いう方です。
「あいつらが、悪いことするなら、うちらだって、もっと悪くならなきゃ」という人たち、谷口さんの、被爆当時の赤くずる向けたやけどの背中に向かって、「うちの子にもこれと同じだけのやけどを背中に負わせるから、相手と同じだけ悪者にならせて」と、言える人いるのだろうか。私は、我が子にも、よその子にも、こんな理不尽な暴力を負わせたくない。
平和ボケとののしられようと。
16歳、新聞配達中に被爆したという谷口さんのむごたらしい写真をあえて。それでも、全身の皮膚がべろべろと垂れ下がったまま、全身にガラスが突き刺さったまま死んでいった子、あるいは、肉片に引きちぎられて死んでいった子よりはまし。
せめて8月の一ヶ月間だけでも、『火垂るの墓』も『黒い雨』も、繰り返してテレビ放映してほしいです。若い人には劇場へ『野火』を見に行ってほしいです。二度と戦争をしてはならない、と誓ったはずなのに、なんだか、いつの間にやら「北がやんちゃするから、俺らも対抗しなきゃ」と、世の中どんどん「戦争反対」と言えない状況が作られつつあります。
春庭が生きている、この世界の片隅にも、さまざまなことがらが押し寄せています。毎日の暮らし一つ一つをこなしつつ、周りの人々を愛しつつ、見つめていくこの世界。
いつミサイルが撃ち込まれるかも知れないという時代、ますます「平和ボケ」「ミサイルに攻撃されてもいいのか」という声が強くなってきている。核保有は核で攻撃されないことの保障にはなっていない、ということをいくら説いても、武器を持ちたい人は、いなくなりません。
実際にミサイル飛んできたら、日本に届くまでの10分足らずの時間に、逃げようはないのです。直撃されたら、防空壕だって役に立たないでしょうし。それより、そうはさせない政治力外交力に頼りたいと思ってしまうのは、たぶん、「平和ボケ」とののしられる側にいる者の、はかない望みでしょう。
世界には、多様な考え方あり、自分と異なる考え方の人の意見を無視してはならないと肝に銘じています。だから、私とは異なる考え方の人もいることは認めましょう。しかしその考え方に同調することは、金輪際ないでしょう。ボケと罵られても、無知とこきおろされても、いやなものはイヤ。
「この世界の片隅に」の映画音楽を担当したコトリンゴのコンサートをテレビで見ました。私、映画を見ているときは、邦画だとセリフを聞き取ろうとするのに耳を使い、洋画だと字幕を読むの忙しくなって、映画音楽がちゃんと耳に入らないほうです。音楽をちゃんと聴けてよかったです。坂本龍一の弟子だというコトリンゴ。片淵監督のハヤオ成分以上に、コトリンゴにはヤノアキコ成分を感じました。
明日が平和でありますように。
<おわり>
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>家族映画、愛という名の(7)この世界の片隅に
昨年評判になった『この世界の片隅に』、娘息子といっしょに見ました。息子会員のネットサービスで、毎月何本か映画がダウンロードできるサービス利用です。娘が見たいと思った作品は、映画館禁止令がだされます。娘が「私は、家族としゃべりながら見るのが好き。映画館だとしゃべれない」と言うからです。「母は映画館で見てくるとすぐにネタばらしするから、私が見たいと思ったのを見ちゃダメ」と禁止令が出てしまうので、私も今まで待ちました。ちなみに、『君の名は』のほうは、娘のランクでは「テレビ放映されるまで待つ」です。大評判だった『アナ雪』だってテレビ放映まで待ちました。辛抱強いです。ディズニー原画展とか行って、だいぶネタばらしされたあとでしたが。
私が「この世界~」に注目したのは、この作品でこうの史代が第13回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞(2009年)を受賞してからなので、雑誌掲載時には知りませんでした。2010年にアニメ映画化される、というのを知って以後も、アニメがクラウドファンディングで制作が動き出して以後も、「母はすぐネタバラシするから、見ちゃダメ」というのを守って、ドラマも見ず、ようやくアニメを見ることができたのです。テレビドラマは、北川景子がすずのイメージに合わない気がしてパス。北川景子、きりっとしているので、ほんわかとして「ぼうっとしている」とはちがうと思う。実写でやるなら、だんぜん、のんです。すずの夫周作を演じているのが小出恵介なので、当分は再放送なしだろうけれど。
片淵須直は、日本大学芸術学部映画学科映像コースで、アニメーションを専攻し、池田宏、月岡貞夫の薫陶を受けました。卒業後は、テレコム・アニメーションフィルムに出入りし、1983年から正社員に。1989年魔女の宅急便(演出補)などを経て、STUDIO 4℃の設立に参画。その後はマッドハウス、MAPPAを拠点にアニメーション制作。『この世界~』は、MAPPAの制作です。
片淵は、宮崎駿からの影響を語ったりしていませんが、飛行機好きは、ほかの誰より共通項と思います。空襲を受ける町の俯瞰図など、空から見た画の構図、『風立ちぬ』の俯瞰画面と比較したくなる。たぶん質問したら、「影響を受けているわけじゃない。空から見た絵はみな同じようになる」とか言いそうです。
よいアニメ監督が、こうして世間に知られる存在になって、日本アニメは世界の片隅じゃなくて、堂々世界の王道を進んでいく。
主人公すずは、私の姑と同じ大正14年の生まれです。大正14年生まれのいいところは、昭和の年号と自分の満年齢が一致していること。昭和2年は満2歳、昭和20年には20歳です。
姑は山形の、空襲もなかった田舎に生まれ育ち、女学校卒業後は「徴用のがれ」のために地元の郵便局勤めをし、見合いをして結婚。夫と共に東京に出てきた、という人だったから、戦時中の苦労話をしたことはありませんでした。実家は農家ではなかったけれど、食べ物に不自由した話も聞かなかったし。姑の姉の夫が戦死したほか、身近に戦争でつらい思いをした人はいたでしょうが、姑の戦中の日常はかなり平穏なものだったのではないかと想像していました。
『この世界の片隅に』原作:こうの史代 監督:片渕須直 出演:のん
以下、ネタバレを含む感想です。
『この世界~』のすずの日常。原作では昭和8年から始まっていますが、アニメでは昭和9年の出来事として描かれる、幼いすずの「おつかい」のシーンから。
広島に生まれ、軍港呉へお嫁に行った、という環境からして、姑の戦時中よりは、ずっとつらく厳しい状況だったと思います。それでも、すずは毎日の暮らしを丁寧にこなしていき、乏しい食糧事情のなか、野草を混ぜた雑炊を作ったり、着物をもんぺに仕立て直したり、けなげに戦下の日常をすごしています。
すずだけでなく、銃後の人々はみながそれぞれに「聖戦」を信じて、不自由を忍んでいたのでしょう。耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍べと言われても、もう、人々は十分に耐えてきたのです。
ほんわかとしたすずが、玉音放送のあと怒りを爆発させるシーンがあります。「聖戦と信じてきたのに。最後の一人まで戦うのではなかったのか、納得がいかない、、、」と。
ポツダム宣言がだされたあと、日本の要人達はひたすら「上ごいちにん」が戦犯訴追を受けずに済むように動き回り、国民がどうなるかは後回しして、アメリカなどとの交渉にあけくれる。
日本がポツダム宣言を受け入れる、無条件降伏するとわかっていたのに、トルーマンは「戦後の主導権を握ってソ連の上に立つ」というヘゲモニーのために、広島長崎に原爆を落としました。
生活を大事に大事に暮らしてきて、しかし、すずは多くのものを失いました。周囲の人々が「失ったことを受け入れて泣いている」なかで、すずは、納得できないのです。
絵を描くための右手も、広島に住んでいた家族も失ったすず。
泣きながらも「やれやれ、やっと戦争が終わった」という顔で玉音放送を聞いた人々に対し、すずは「海の向こうから来たお米…大豆…そんなそんで出来とるんじゃろうなあ、うちは。じぁぇけえ暴力にも屈せんとならんのかね」
呉の徴用工員朝鮮人達が、玉音放送後に太極旗を掲げるシーンがでてきます。すずは「暴力で従えとったいうことか」「じゃけえ暴力に屈するという事かね」と感じます。もっとも、このセリフは原作の中に出てくるもので、アニメ版は上の「お米、大豆~」というセリフになっていて、直接「暴力の応酬が戦争というものであり、自分たちの日常もその中に組み込まれていたものだった」という感慨のセリフはでてきません。。
けなげに生活を維持していただけというすずも、結果的には加害者の側でもあったこと。敗戦となって、すずが自分自身も暴力を振るう側だったと気づく、という原作のセリフですが、アニメ版との差については、その温度差が私にはまだよくわかっていません。
戦争という圧倒的な暴力の中で、静かにけなげに日常を営んでいたつもりが、実はその日常が暴力を支えていた、ということに、すずは心を引き裂かれています。怒っています。
そして、「最後のひとりまで闘うはずじゃなかったのか」という怒り。それまで自分に与えられた、相手の家の住所も知らないままの結婚や婚家での暮らしを、静かに受け入れてきたように見えたすずが、自分の意志で、自分のことばで叫ぶのです。
広島で、母親を失った孤児の女の子をみつけて、婚家に連れて帰るすず。自分の意志で、自分の意志で行動しはじめたのです。すずは、「よう、生きとりんさった」と、女の子に語りかけます。
広島の次に被爆地となった長崎。16歳のとき被爆者となった被団協の谷口稜曄氏が88歳で亡くなりました。ずっと「ゲンバクを考える」活動を続けてきた方です。
背中全面にやけどを負い、3年間うつぶせのままでいたため、腹側は褥瘡となり、激痛に「殺してくれ」と叫びながら生かされた、いう方です。
「あいつらが、悪いことするなら、うちらだって、もっと悪くならなきゃ」という人たち、谷口さんの、被爆当時の赤くずる向けたやけどの背中に向かって、「うちの子にもこれと同じだけのやけどを背中に負わせるから、相手と同じだけ悪者にならせて」と、言える人いるのだろうか。私は、我が子にも、よその子にも、こんな理不尽な暴力を負わせたくない。
平和ボケとののしられようと。
16歳、新聞配達中に被爆したという谷口さんのむごたらしい写真をあえて。それでも、全身の皮膚がべろべろと垂れ下がったまま、全身にガラスが突き刺さったまま死んでいった子、あるいは、肉片に引きちぎられて死んでいった子よりはまし。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/90/8e87e018b83c251fe75c74dd7a3b2599.jpg)
せめて8月の一ヶ月間だけでも、『火垂るの墓』も『黒い雨』も、繰り返してテレビ放映してほしいです。若い人には劇場へ『野火』を見に行ってほしいです。二度と戦争をしてはならない、と誓ったはずなのに、なんだか、いつの間にやら「北がやんちゃするから、俺らも対抗しなきゃ」と、世の中どんどん「戦争反対」と言えない状況が作られつつあります。
春庭が生きている、この世界の片隅にも、さまざまなことがらが押し寄せています。毎日の暮らし一つ一つをこなしつつ、周りの人々を愛しつつ、見つめていくこの世界。
いつミサイルが撃ち込まれるかも知れないという時代、ますます「平和ボケ」「ミサイルに攻撃されてもいいのか」という声が強くなってきている。核保有は核で攻撃されないことの保障にはなっていない、ということをいくら説いても、武器を持ちたい人は、いなくなりません。
実際にミサイル飛んできたら、日本に届くまでの10分足らずの時間に、逃げようはないのです。直撃されたら、防空壕だって役に立たないでしょうし。それより、そうはさせない政治力外交力に頼りたいと思ってしまうのは、たぶん、「平和ボケ」とののしられる側にいる者の、はかない望みでしょう。
世界には、多様な考え方あり、自分と異なる考え方の人の意見を無視してはならないと肝に銘じています。だから、私とは異なる考え方の人もいることは認めましょう。しかしその考え方に同調することは、金輪際ないでしょう。ボケと罵られても、無知とこきおろされても、いやなものはイヤ。
「この世界の片隅に」の映画音楽を担当したコトリンゴのコンサートをテレビで見ました。私、映画を見ているときは、邦画だとセリフを聞き取ろうとするのに耳を使い、洋画だと字幕を読むの忙しくなって、映画音楽がちゃんと耳に入らないほうです。音楽をちゃんと聴けてよかったです。坂本龍一の弟子だというコトリンゴ。片淵監督のハヤオ成分以上に、コトリンゴにはヤノアキコ成分を感じました。
明日が平和でありますように。
<おわり>