
白寿記念堀文子展ポスター
20180417
ぽかぽか春庭アート散歩>展覧会拾遺(1)白寿記念堀文子展
堀文子は、1918年7月2日生まれ。今年の誕生日には百歳です。
昨年11月から白寿記念展が始まり、堀文子ファン歴63年の春庭としては、行きたい行きたいと念じつつ、都内の美術館に比べて葉山は車を持たない身にはやはりちと遠かったのです。最終日になって「あらま、終わってしまう」と、ようやく出かけました。
堀文子は東京市麹町に生まれ、女学校時代に自宅近くで勃発したニニ六事件に遭遇しています。女子美術専門学校(現女子美術大学)卒業後は、絵本の挿絵画家として出発しました。
堀文子若き日の自画像

26歳のとき、外交官の箕輪三郎と結婚。34歳で第2回上村松園賞を受賞するなど、画業も順調でしたが、42歳のときに夫と死別。そこからが日本画家堀文子の第二の出発です。
夫死後の空白を埋めるように1961年から1963年にかけ世界放浪の旅へ出ました。3年間、エジプトやギリシア、ヨーロッパなどを巡る中で、日本画を再認識。帰国後は旺盛な創作活動を開始しました。47歳で初の個展を開催。49歳のときに大磯に転居し、1974年(56歳)からは多摩美術大学日本画科で1999年まで後進を指導しつつ作画を続けました。
1987年にはイタリア・アレッツィオにアトリエを構えて、1992年にアレッツオ市で堀文子個展を開催。
1995年(77歳)アマゾン川、マヤ、インカ遺跡へスケッチ旅行。
1997年(79歳)ネパール旅行。
1998年(80歳)ヒマラヤ、ペルーへ旅行。
2000年(82歳)ブルーポピーを求めて、ヒマラヤ奥地まで旅する。
などなど。海外での取材をもとにした作品も多い。
ブルーポピー

しかし、2001年にに解離性動脈瘤を患って以後は海外旅行に取材に出ることはできなくなり、広大な世界の旅からミクロの世界へ。顕微鏡を購入し、微生物を取材した作品を描くようになりました。
代表的なミクロの世界「みじんこ」

画文集もたくさん発表しています。
今回の記念に買った堀文子の本(葉山から東京に戻る車中で読了)

館内撮影禁止でしたから、UPした画像は、館内ショップで買った絵葉書を写真にとってUPしています。画質が悪いですが、本物を見たい方は、各地での展覧会や中島アートで開催される個展でぜひほんものを。また、堀文子の絵の画像は、ネットにたくさん出ているので、もっとよい画面で絵を見てください。
「アフガンの王女」は、黒柳徹子がアフガニスタンで買って帰った民族衣装を着てモデルになった絵。『徹子の部屋』のセット壁に掛けられている絵です。
「アフガンの王女」(借り物画像)

私が買った絵葉書は、こちらの「アフガンの王女」
モデルはやはり黒柳徹子さん。

私が今回の展覧会で一番気に入ったのは「黄色くないひまわり」
堀文子の画文集のひとつは「ひまわりは枯れてこそ実を結ぶ」というタイトルです。
人が歩き続けて最後の力を振り絞っているように、ひまわりが擬人化されています。枯れてしまってはいるけれど、それでも進むことをあきらめないような、倒れる寸前のような。
死は決してみじめな終末ではなく、「生涯の華々しい収穫のときだ」ということを「黄色くないひまわり」たちは大声ではなく、堀文子の「老いの衰えも神が命の終わりに用意して下さったものに違いない」ということばを伝えています。

春庭自身は、枯れるだけ枯れて実も種もない人生ですけれど、この枯れたひまわりはとても心に残りました。
堀文子百年の画業。ほんとうにすばらしいです。
堀文子の語ることばも、ひとつひとつ心に残る。
堀文子ファン歴63年の春庭にとって、またとない展覧会でした。たぶん白寿記念の次には百寿記念展があると思うので、また見にいきたいです。
<つづく>