
kotokotoコンサートポスター
20180424
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2018十八番日記春の歌を聴く(1)Kotokotoコンサート
4月7日土曜日、「Koto Koto コンサート ~二面の箏による春の共演」に出かけました。中国古筝を演奏する伍芳(ウーファン)と日本の二十五弦筝を演奏する久野木史恵のふたつの琴が共演するので「kotokoto」です。
中国古筝奏者伍芳は、上海出身。上海音楽学校を首席で卒業後来日。日本で演奏活動を始めて、もう25年たちました。
1995年の阪神淡路大震災で、京都大学の大学院で学んでいた伍芳さんのお姉さんがなくなりました。このお姉さんが私の友人の教え子だった縁で、私も伍芳の筝を聞くようになったのです。(友人からCDやコンサートチケットが送られてきて)
伍芳は作曲家としても活動を続け、2015年には震災復興を願う曲「あのひとともに」を発表。
二十五弦筝奏者久野木史恵は、東京藝術大学邦楽科卒業。在学中に宮城賞を受賞するなど、高い評価を受け、二十五弦筝曲の作曲者としても活躍しています。
私は、姉が習っていた十三弦の琴をまねして弾いてみたことはありますが、二十五弦というのは今回初めて聞きました。
ポスターに使われている写真。おふたりとも美しい。


子供のころ、姉が習っていたお琴。触っちゃダメと言われていました。
姉が出かけているときにこっそり袋からだして、琴柱(ことじ)調弦をドレミにして勝手に弾いていました。ほんとは、十三弦琴はシファぬきの五音階です。
でも、二十五弦は、ドレミファ音階になっているそうです。ほうら、ドレミファ音階にして弾いたって別段問題なかったんだ。
勝手に弾いていたことがばれたときは、喧嘩になりました。姉は「あんたはオルガンがいいって言ってオルガン買ってもらったんだから、オルガン弾いていればいいじゃないか」と怒る。子供の頃の私の反論「ちがうもん、私はピアノがいいって言ったんだけれど、おとうさんとおかあさんは、ピアノは我が家には分不相応って言ってオルガンにしたんだもん」
60年前、田舎町でピアノを持っている子は「お金持ちのお嬢さん」だけでした。我が家はかつかつのくらしをする給与生活者。姉のお琴は両親ではなく、姉を溺愛していた伯母が買ってくれたのです。
十三弦のお琴の糸は「一、ニ、三~十」までと十一からは「と、い、きん」というのは覚えていました。なんで最後の三つは「斗為巾」なのか知りませんでした。奈良時代に琴が中国から伝わったときの糸の名前が「仁智礼儀信文武斐蘭商斗為巾」だった最後の三つだけが残ったんですって。知らなかった。
演奏は、春らしい曲が選ばれていました。
最初の曲は合奏で、中国雲南省の民謡で「春が来た」という意味の曲。『弥渡山歌』(編曲:周成龍)
伍芳独奏「桜のトンネル」は、姉を偲ぶ曲。姉が震災死して以後、伍芳両親は日本に来る気持ちになれないでいましたが、震災10周年のつどいのときにようやく来日。そのとき神戸で桜のトンネルの道を両親と歩いたことで、両親の心もしだいに悲しみから慰霊への気持ちに代わることができた、その思いを曲にした、と伍芳は曲の解説をしていました。
春庭も亡き姉の忌日を「桜吹雪忌」と名付けていますから、桜に亡き人をしのぶ気持ちよくわかります。(2月末日の母の命日は「如月忌」と呼んでいます。これは、母が所属していた俳句結社の名が「きさらぎ」だったから)。
伍芳さん作曲「永遠の道」久野木さん作曲の「海色変容」「彩光馬」独奏のほか、合奏で「アメイジンググレイス」もあり、1時間のミニコンサートでしたが、ふたりともすばらしい演奏でした。
「まちかどコンサート」という地域ボランティアによる無料コンサートですから、軽く流すスタイルの演奏者もいるのかもしれませんが、おふたりの演奏はとても胸に響く心のこもった演奏でした。
調律中のお二方

アンコールは「ふるさと」
演奏終了後、みな前に出てきて二十五弦筝を珍しそうに見ていました。写真撮影OKが出たので、私もパチリ。
姉の十三弦琴は昔ながらの絹糸だったと思いますが、二十五弦の糸は現在では化繊糸、中国古筝の弦はスチール弦にコーティングがほどこされたコーティングスティール弦だそうです。
二十五弦筝

中国古筝

美しい音色の琴演奏。春らしい曲にひたり、楽しい一日になりました。
<つづく>