20200509
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>2020おうち映画館(2)グリーンブック、ドン・シャーリー
「グリーンブック」を携えての、トニーとシャーリーの南部の旅。
トニーは黒人差別意識を持っていましたが、南部の強い差別の現実に放り込まれ、シャーリーの人間性を理解するにつれて少しずつ変化していきます。
ニューヨークにも差別はあったけれど、南部では、もっと露骨な差別の残る土地でした。さまざまなのエピソードの中、黒人やユダヤ人移民への差別が北部で生まれ育ったトニーの知っている以上に強いものであることがあきらかになっていきます。
南部での様々な差別の現場。
農場で働く奴隷のような黒人たちから、大きな車の後部座席に座る黒人へ突き刺さるような懐疑のまなざし。ホテルで彼の音楽会を開催しようとしながら、ホテルのレストランでは黒人は食事できないと言い張る支配人。さまざまな視線の中で、シャーリーは目的としていた「生きていく勇気」が得られたのか。
北部で演奏会を続ければ、安全な場所で高い報酬が得られたのに、シャーリーはあえて南部へのツアーに出かけました。ロシアとドイツ出身のチェロのオレグ、ベースのジョージ。ピアノのシャーリーとトリオを組みます。このトリオに運転手トニーが加わり、各地を回ります。チェリストとベーシストは、シャーリーのこの旅を「勇気を得るための試練」としてシャーリー自身が企画したのだ、とトニーに伝えます。
トニーはシャーリーのピアノ演奏を聞いて感銘を受け、しだいにシャーリーを理解していきます。
トニーはドロレスから「電話代は高いから手紙を書いて」と言われており、スペリングもままならないながら手紙を書いて送ります。。
「ディア・ドロレス」という書き出しから、Deer Dororesと書いてしまいます。シャーリーは「DeerじゃなくてDear愛する、だよ。Deerじゃ鹿のことだ」と、トニーに手紙の書き方を教えます。
まちがいだらけのスペルで手紙を書いていますが、トニーは手紙を送る愛する人がいます。一方シャーリーは、博士号を持ち、正確なスペルも表現方法も知っているけれど、手紙を書く相手はいません。シャーリーはひとりぼっちの暮らしを続けてきました。
シャーリーは「自分なら愛する人にこう書く」という文章をトニーに口伝えで書かせ、つづりや言葉遣いを教えていきます。
博士号を持っているインテリであるシャーリー。無学を自覚しているトニーは素直にシャーリーの言うとおりに文章をつづり、表現を学んでいきます。
トニーは、車のラジオからポップスや黒人音楽を流し、クラシックで育ったシャーリーに聞かせます。ふたりは、それぞれの文化を互いにわかり合っていきます。
ドン・シャーリ―は、北部では天才音楽家として、白人たちからもチヤホヤされてきました。クラシカルジャズピアニストとして高名を得て、「教養をひけらかしたい白人」の前で演奏会を開いていました。ソビエト時代のレニングラード音楽院への留学を果たし、心理学や音楽学の博士号を持っている黒人の成功者です。
シャーリーは、黒人文化とは切り離されて成長し、「ケンタッキー・フライド・チキンを手で持ってかぶりつく」ということさえ初体験。トニーには当たり前の「道端で立小便」も、どうしてもやることができません。「品位dignityを保つこと」が、人生の第一課題だからです。
トニーはシャーリーの天才を直感しますが、同時に彼の深い孤独も見て取ります。
ミスデージーと運転手ホークと異なる設定と感じられるのが、黒人音楽家ドン・シャーリーの孤独。愛する者も愛してくれる者もいないシャーリー。才能はあるけれど、家族もなく兄弟とは音信不通。孤独の中に暮らしています。
シャーリーは自分自身の成功を「黒人を差別しない態度を見せて教養をひけらかしたい白人」によるものだ、と自嘲し、自分は「黒人でも白人でもなく、manでさえない 」と言います。
シャーリーの孤独は自己のアイデンティティの不確実さからきています。黒人文化を知らず、だからと言って白人ではない自分。妻とは離婚し、自分のセクシャリティを公にはできない男。
「manではない」を「人間ではない」と訳した人も見かけましたが、それはないでしょ。「黒人でも白人でもなくmanでもない」の、manの訳語は「男。女を愛する男」です。
シャーリーは女性を愛せない自分をmanではないと言ったのです。シャーリーは、黒人の中で「名誉白人」的な立場を得ましたが、1960年代のプロテストキリスト教文化が強いアメリカで、露見したら最も強い差別を受けなければならない被差別者だったのです。
ふたりは2度警官につかまり留置場へ入れられます。
プールで若い白人男性と裸でいっしょにいるところを見つかったシャーリー。保釈させるために、トニーは警官に「いつも市民の平和な生活のために働く警官への感謝の寄付」としてお金をつかませます。「わいろ」であることに、シャーリーは強く反発し、トニーを責めます。シャーリーにとって、「品位を保ち正しい生き方をすること」は譲れない。
2度目は、もっと理不尽な逮捕。警官から「イタ公は半分黒人だ」と挑発され、パンチでお返しをしたトニー。シャーリーは、「外に出ろ」と命じられたので車から外に出たら、すかさず「黒人は夜間野外に出てはいけない」という法を犯したとされ、ふたりとも留置場へ。
シャーリーは、「弁護士(ロイヤー)に電話させてくれ」と、警官に頼みます。法にのっとった権利として許可され、シャーリーが電話した先は。
署長は、なんと州知事から電話を受けます。州知事は司法長官から連絡を受けて電話してきたのです。シャーリーが電話した相手はロバート・ケネディ司法長官でした。当時、ロバートケネディは、黒人の人権問題を主要な政治課題としていました。シャーリーは彼との個人的つながりを利用したのです。
トニーより一段高いところに自分を置くことでプライドを保っていたシャーリーの気持ちが、少しずつ変化していきました。
「お金を警官におくること」と、「権力者とのつながりを利用すること」に差はないのです。自分だけがdignityを保っていたわけではない。
最後の演奏会。会場のホテルに用意されていた楽屋は物置小屋に鏡をおいただけ。
演奏会までにレストランで食事をしようとしたシャーリーは、支配人から「あなたがどうこうでなく、この土地の習慣として、このレストランで黒人が食事をすることはできない」と断られます。「自分は人種差別などする気はないけれど、地域の習慣に逆らえない」と支配人は慇懃にレストラン入店を断ろうとします。「自分は差別主義者じゃないけれど」という人の無意識の差別主義が、差別がなくならない一番強固な原因です。
抗議しようとしたトニーは、支配人から「あんただって、黒人の下で働いているのは金のためだけだろう」と言われて腹をたてます。殴りかかろうとしたところを、冷静なシャーリーに止められます。
シャーリーは、自分を締め出したホテルの支配人に「ここで食事できないなら、今夜のコンサートは出演しない」と告げてホテルを出ます。契約違反金には代えられない尊厳の問題。
支配人の言う「黒人用ショーパㇷ゚」でトニーとシャーリーは食事をします。暴力では何も解決できないこと、品位を保つことで解決すべきだ、とシャーリーは説きます。
トニーとシャーリーが「雇い主と使用人」ではなく、友人同士として食事をしている、と感じられたショーパブのカウンター

ウエイトレスの勧めに応じて、シャーリーは店の粗末なピアノで独奏し、本当に弾きたかったクラシック曲を心を込めて演奏し、喝采を受けます。次にバンドとセッションでアドリブジャズ演奏に興じます。
「クラシックのほうが音楽の格が上なのに、自分は黒人だからクラシックではなくポピュラー曲を弾かせられる」と思って自己卑下に陥っていたシャーリーが、音楽の面で黒人も白人もなく、クラシックもジャズアドリブも音楽のすばらしさは同じという音の中に身を置くことができたのでした。
これまでどのコンサートでも、まじめな表情を崩さないで演奏してきたシャーリー。演奏はすばらしいけれど、シャーリーが少しも音楽を楽しんでいるように見えないのが、トニーには気になっていました。
しかし、アドリブセッションで、シャーリーはほんとうに楽しそうに演奏していました。

音楽を楽しむことと同時に、シャーリーが体得したこと。
「人間の尊厳、品位を保つこと」は、上品な言葉づかいで作られるものではなく、愛する人を守るためにできる限りの力で働くことの中にある。ニューヨーク、ブロンクスの下町に残した家族のために、「黒人の下で働く」という考えられないような状況下で、せいいっぱい働くトニーこそ、品位のある生き方をしているのではないか。
<つづく>
次回、「グリーンブック、トニー・リップ」
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>2020おうち映画館(2)グリーンブック、ドン・シャーリー
「グリーンブック」を携えての、トニーとシャーリーの南部の旅。
トニーは黒人差別意識を持っていましたが、南部の強い差別の現実に放り込まれ、シャーリーの人間性を理解するにつれて少しずつ変化していきます。
ニューヨークにも差別はあったけれど、南部では、もっと露骨な差別の残る土地でした。さまざまなのエピソードの中、黒人やユダヤ人移民への差別が北部で生まれ育ったトニーの知っている以上に強いものであることがあきらかになっていきます。
南部での様々な差別の現場。
農場で働く奴隷のような黒人たちから、大きな車の後部座席に座る黒人へ突き刺さるような懐疑のまなざし。ホテルで彼の音楽会を開催しようとしながら、ホテルのレストランでは黒人は食事できないと言い張る支配人。さまざまな視線の中で、シャーリーは目的としていた「生きていく勇気」が得られたのか。
北部で演奏会を続ければ、安全な場所で高い報酬が得られたのに、シャーリーはあえて南部へのツアーに出かけました。ロシアとドイツ出身のチェロのオレグ、ベースのジョージ。ピアノのシャーリーとトリオを組みます。このトリオに運転手トニーが加わり、各地を回ります。チェリストとベーシストは、シャーリーのこの旅を「勇気を得るための試練」としてシャーリー自身が企画したのだ、とトニーに伝えます。
トニーはシャーリーのピアノ演奏を聞いて感銘を受け、しだいにシャーリーを理解していきます。
トニーはドロレスから「電話代は高いから手紙を書いて」と言われており、スペリングもままならないながら手紙を書いて送ります。。
「ディア・ドロレス」という書き出しから、Deer Dororesと書いてしまいます。シャーリーは「DeerじゃなくてDear愛する、だよ。Deerじゃ鹿のことだ」と、トニーに手紙の書き方を教えます。
まちがいだらけのスペルで手紙を書いていますが、トニーは手紙を送る愛する人がいます。一方シャーリーは、博士号を持ち、正確なスペルも表現方法も知っているけれど、手紙を書く相手はいません。シャーリーはひとりぼっちの暮らしを続けてきました。
シャーリーは「自分なら愛する人にこう書く」という文章をトニーに口伝えで書かせ、つづりや言葉遣いを教えていきます。
博士号を持っているインテリであるシャーリー。無学を自覚しているトニーは素直にシャーリーの言うとおりに文章をつづり、表現を学んでいきます。
トニーは、車のラジオからポップスや黒人音楽を流し、クラシックで育ったシャーリーに聞かせます。ふたりは、それぞれの文化を互いにわかり合っていきます。
ドン・シャーリ―は、北部では天才音楽家として、白人たちからもチヤホヤされてきました。クラシカルジャズピアニストとして高名を得て、「教養をひけらかしたい白人」の前で演奏会を開いていました。ソビエト時代のレニングラード音楽院への留学を果たし、心理学や音楽学の博士号を持っている黒人の成功者です。
シャーリーは、黒人文化とは切り離されて成長し、「ケンタッキー・フライド・チキンを手で持ってかぶりつく」ということさえ初体験。トニーには当たり前の「道端で立小便」も、どうしてもやることができません。「品位dignityを保つこと」が、人生の第一課題だからです。
トニーはシャーリーの天才を直感しますが、同時に彼の深い孤独も見て取ります。
ミスデージーと運転手ホークと異なる設定と感じられるのが、黒人音楽家ドン・シャーリーの孤独。愛する者も愛してくれる者もいないシャーリー。才能はあるけれど、家族もなく兄弟とは音信不通。孤独の中に暮らしています。
シャーリーは自分自身の成功を「黒人を差別しない態度を見せて教養をひけらかしたい白人」によるものだ、と自嘲し、自分は「黒人でも白人でもなく、manでさえない 」と言います。
シャーリーの孤独は自己のアイデンティティの不確実さからきています。黒人文化を知らず、だからと言って白人ではない自分。妻とは離婚し、自分のセクシャリティを公にはできない男。
「manではない」を「人間ではない」と訳した人も見かけましたが、それはないでしょ。「黒人でも白人でもなくmanでもない」の、manの訳語は「男。女を愛する男」です。
シャーリーは女性を愛せない自分をmanではないと言ったのです。シャーリーは、黒人の中で「名誉白人」的な立場を得ましたが、1960年代のプロテストキリスト教文化が強いアメリカで、露見したら最も強い差別を受けなければならない被差別者だったのです。
ふたりは2度警官につかまり留置場へ入れられます。
プールで若い白人男性と裸でいっしょにいるところを見つかったシャーリー。保釈させるために、トニーは警官に「いつも市民の平和な生活のために働く警官への感謝の寄付」としてお金をつかませます。「わいろ」であることに、シャーリーは強く反発し、トニーを責めます。シャーリーにとって、「品位を保ち正しい生き方をすること」は譲れない。
2度目は、もっと理不尽な逮捕。警官から「イタ公は半分黒人だ」と挑発され、パンチでお返しをしたトニー。シャーリーは、「外に出ろ」と命じられたので車から外に出たら、すかさず「黒人は夜間野外に出てはいけない」という法を犯したとされ、ふたりとも留置場へ。
シャーリーは、「弁護士(ロイヤー)に電話させてくれ」と、警官に頼みます。法にのっとった権利として許可され、シャーリーが電話した先は。
署長は、なんと州知事から電話を受けます。州知事は司法長官から連絡を受けて電話してきたのです。シャーリーが電話した相手はロバート・ケネディ司法長官でした。当時、ロバートケネディは、黒人の人権問題を主要な政治課題としていました。シャーリーは彼との個人的つながりを利用したのです。
トニーより一段高いところに自分を置くことでプライドを保っていたシャーリーの気持ちが、少しずつ変化していきました。
「お金を警官におくること」と、「権力者とのつながりを利用すること」に差はないのです。自分だけがdignityを保っていたわけではない。
最後の演奏会。会場のホテルに用意されていた楽屋は物置小屋に鏡をおいただけ。
演奏会までにレストランで食事をしようとしたシャーリーは、支配人から「あなたがどうこうでなく、この土地の習慣として、このレストランで黒人が食事をすることはできない」と断られます。「自分は人種差別などする気はないけれど、地域の習慣に逆らえない」と支配人は慇懃にレストラン入店を断ろうとします。「自分は差別主義者じゃないけれど」という人の無意識の差別主義が、差別がなくならない一番強固な原因です。
抗議しようとしたトニーは、支配人から「あんただって、黒人の下で働いているのは金のためだけだろう」と言われて腹をたてます。殴りかかろうとしたところを、冷静なシャーリーに止められます。
シャーリーは、自分を締め出したホテルの支配人に「ここで食事できないなら、今夜のコンサートは出演しない」と告げてホテルを出ます。契約違反金には代えられない尊厳の問題。
支配人の言う「黒人用ショーパㇷ゚」でトニーとシャーリーは食事をします。暴力では何も解決できないこと、品位を保つことで解決すべきだ、とシャーリーは説きます。
トニーとシャーリーが「雇い主と使用人」ではなく、友人同士として食事をしている、と感じられたショーパブのカウンター

ウエイトレスの勧めに応じて、シャーリーは店の粗末なピアノで独奏し、本当に弾きたかったクラシック曲を心を込めて演奏し、喝采を受けます。次にバンドとセッションでアドリブジャズ演奏に興じます。
「クラシックのほうが音楽の格が上なのに、自分は黒人だからクラシックではなくポピュラー曲を弾かせられる」と思って自己卑下に陥っていたシャーリーが、音楽の面で黒人も白人もなく、クラシックもジャズアドリブも音楽のすばらしさは同じという音の中に身を置くことができたのでした。
これまでどのコンサートでも、まじめな表情を崩さないで演奏してきたシャーリー。演奏はすばらしいけれど、シャーリーが少しも音楽を楽しんでいるように見えないのが、トニーには気になっていました。
しかし、アドリブセッションで、シャーリーはほんとうに楽しそうに演奏していました。

音楽を楽しむことと同時に、シャーリーが体得したこと。
「人間の尊厳、品位を保つこと」は、上品な言葉づかいで作られるものではなく、愛する人を守るためにできる限りの力で働くことの中にある。ニューヨーク、ブロンクスの下町に残した家族のために、「黒人の下で働く」という考えられないような状況下で、せいいっぱい働くトニーこそ、品位のある生き方をしているのではないか。
<つづく>
次回、「グリーンブック、トニー・リップ」