20200524
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>2020おうち映画館(6)女王陛下のお気に入りサラジェニングス
2019にギンレイにかかった映画のうち見逃してしまった『女王陛下のお気に入り』を録画鑑賞。感想その2。
サラは1660年、ハートフォードシャーでジェントリ(地主紳士階級・貴族ではない)のリチャード・ジェニングスの次女として生まれました。
父リチャードがヨーク公ジェームズ(後のジェームズ2世、アン女王の父)からの厚遇を得て、1664年にサラの姉フランセスがヨーク公夫人アン・ハイド(1637-1671 アン女王の母親)の女官に取り立てられました。
アン・ハイドは、のちの王位継承者となるふたりの娘メアリーとアンを生みましたが、ヨーク公がジェームズ2世として国王になる前に死去。
フランセスは、父の望み通りカトリックの貴族と結婚し、「レディ」の称号を得ます。貴族の仲間入り。
1673年には13歳になったサラ・ジェニングスが、ヨーク公の後妻メアリー・オブ・モデナ(1658-1718)の女官と働くことになりました。サラも姉フランシスのように貴族と結婚して「レディ」になろうと望み、女官の勤務に励みました。
イタリアモデナから15歳で嫁いだメアリー。夫のヨーク公ジェームズは40歳。年の離れた夫より同じ年頃のサラと親しくなりました。
1675年、女官としてのマナーなどもわきまえた15歳のころ、サラはヨーク公の次女10歳のアンと出会います。
ジェームズ2世の娘アンは母を失った少女。サラはアンより5歳年長で、アンの姉のように面倒を見て、年上の友人として過ごしました。
アンがジョージ・オブ・デンマーク結婚すると「アン・カンバーランド公爵夫人の寝室付き女官」としてアンの身近に仕えるようになります。
1677年、サラは没落した家のジョン・チャーチル(1650-1722)と秘密裏に結婚。
ジョンは父ウィンストン・チャーチルと母エリザベス・ドレークの間に生まれました。没落した家を再興せんと、姉アナベラはヨーク公ジェムズ(のちにジェームズ2世)の愛妾となります。
ジョンはヨーク公の知遇を得て、軍人として功を挙げます。ヨーク公がジェームズ2世として王位を得ると、男爵に叙せられます。
名誉革命後、アンの姉メアリーとその夫が1689年にイングランド王ウィリアム3世・メアリー2世として即位しました。メアリー夫妻には跡継ぎがいなかったため、妹アンは後継者として力を持つようになります。
アンの肝いりで、サラの夫ジョン・チャーチルがマールバラ伯爵を叙爵。サラは伯爵夫人の地位を得て、ますます宮廷内で力をふるうようになります。
レディサラ役レイチェル・ワイズ
メアリー2世は、妹アンがサラの言いなりになっていることに不安を感じ、サラを宮廷から遠ざけるよう助言しましたが、アンはサラをかばい、姉とは仲たがい。
即位後、アンはマールバラ伯爵をさらに公爵に格上げし、レディ・サラは最高位の貴族に。
サラの権力は絶大となり、アンの私生活からスペイン継承戦争の継続に関わる政治判断まですべてを支配するようになりました。
アン女王とサラ
映画ではサラはアンの宮殿内に一室を賜り、その部屋から秘密の通路を使ってアンの部屋に出入りできるように描かれていました。
が、史実ではサラは1704年アンの即位後から自領内ですごすことが多く、アンとのやりとりは手紙が多くなります。
アンを身近で支えるようになったのは、サラの従妹アビゲイル・ヒル(結婚後はメイシャムMasham 1670 - 1734)でした。
史実としての18世紀貴族社会について知っておくべきことのひとつ。
これは同時代のフランス、マリーアントワネットらの宮廷もそうでしたが、貴族の人生において、結婚と性愛と愛情はそれぞれ別のもの。王族貴族の結婚は、家名存続のため政略でなされるものであり、王族の血を残すための装置。夫にも妻にも快楽のための愛人はいるし、心を支える人もいる。マリーアントワネットにとって夫はブルボン家とハプスブルグ家存続のために必要な存在でしたが、愛情はフェルゼンとの間に育みました。
アン女王が王配ジョージの子を17回も妊娠したことをもってジョージとの仲はよかった、と解する史家もいますが、嫌いではなかったとしても、女王夫妻が心も結ばれていたかどうかは定かではない。心の結びつきは、幼馴染のサラとの間のほうが強固な絆であったろうと思います。(ビクトリア女王は例外的に王配アルバートと恋愛結婚で、夫婦仲はむつまじく4男5女を出産)
映画には王配ジョージはまったく出てきません。気まぐれで癇癪持ちのアンを理解してやれるのはサラだけ。そして性的快楽を与えられるのもサラだけでした。アビゲイルが「寝室付き女官」となるまでは。
酒太りのアンは痛風のため歩くにも不自由で、宮廷内では輿で移動したと記録されています。映画でも車いすをサラが押して移動していました。
演出上の裏話。アビゲイルがアンのベッドにいるシーンの撮影で、監督とエマ・ワトソンはその場でアビゲイルが全裸になることを決定しました。
サラ役レイチェル・ワイズがそのシーンを目撃する、という場面。予定にないエマの全裸にほんとうにびっくりしました。サラの表情がリアルで、迫真のシーンになったのだとか。
サラは「女王のお気に入り」の座を奪おうとするアビゲイルにいらだち、首にするようアンに迫ります。アンは「でもね。あの子の舌使いは、たまらなくいいの」と言い放ち、サラは敗北を自覚します。
イギリスアメリカアイルランドの共同制作ですが、こんなふうに宮廷の内部を描くのが許されるって、イギリス社会もすごいなあ。
アン女王のスチュワート家の血筋は絶えましたが、ジョン・チャーチルの子孫のひとりがウィンストン・チャーチルであることは、まあいいとして、レディ・サラの娘のひとりはスペンサー伯爵家に嫁ぎ、子孫のひとりはダイアナ妃です。つまり、現在の王室のウィリアム王子やその子供たち、ヘンリー王子もサラの子孫です。
もし、日本で皇室につながる歴史的人物をこのように描いたら、ウヨに襲われちゃうんじゃないかしら。
大河ドラマで『江』をやるとき、どんな描かれ方をしようと、江に都合の悪いエピソードは描かれないだろうと予測しました。
江が豊臣秀吉の甥っ子と結婚したとき生んだ娘は、姉の淀殿の養女として九条家に嫁ぎ、九条節子(大正天皇と結婚した貞明皇后)まで続いています。つまり、昭和天皇以下現在の皇族はみな「江」の血をひいている。下手なことシナリオにできないだろうと思いました。江は元気はつらつのいい人に描かれていましたから、ウヨ問題はおきませんでしたけどね。
現代の「お気に入り争い」が100年後くらいになんらかの作品になるとしたら、どんなふうに描かれるでしょうか。毎回の組閣で、女性大臣枠の椅子はひとつかふたつ。女性議員たち熾烈な椅子取りゲームをしているんだろうなあと思いますが、アン女王宮廷ほどの華麗な争いの場面は思い浮かびません。しょぼいコメディにはなるのでしょうが、ちょいと小粒です。
<つづく>
次回「女王陛下のお気に入りアビゲイル・ヒル」
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>2020おうち映画館(6)女王陛下のお気に入りサラジェニングス
2019にギンレイにかかった映画のうち見逃してしまった『女王陛下のお気に入り』を録画鑑賞。感想その2。
サラは1660年、ハートフォードシャーでジェントリ(地主紳士階級・貴族ではない)のリチャード・ジェニングスの次女として生まれました。
父リチャードがヨーク公ジェームズ(後のジェームズ2世、アン女王の父)からの厚遇を得て、1664年にサラの姉フランセスがヨーク公夫人アン・ハイド(1637-1671 アン女王の母親)の女官に取り立てられました。
アン・ハイドは、のちの王位継承者となるふたりの娘メアリーとアンを生みましたが、ヨーク公がジェームズ2世として国王になる前に死去。
フランセスは、父の望み通りカトリックの貴族と結婚し、「レディ」の称号を得ます。貴族の仲間入り。
1673年には13歳になったサラ・ジェニングスが、ヨーク公の後妻メアリー・オブ・モデナ(1658-1718)の女官と働くことになりました。サラも姉フランシスのように貴族と結婚して「レディ」になろうと望み、女官の勤務に励みました。
イタリアモデナから15歳で嫁いだメアリー。夫のヨーク公ジェームズは40歳。年の離れた夫より同じ年頃のサラと親しくなりました。
1675年、女官としてのマナーなどもわきまえた15歳のころ、サラはヨーク公の次女10歳のアンと出会います。
ジェームズ2世の娘アンは母を失った少女。サラはアンより5歳年長で、アンの姉のように面倒を見て、年上の友人として過ごしました。
アンがジョージ・オブ・デンマーク結婚すると「アン・カンバーランド公爵夫人の寝室付き女官」としてアンの身近に仕えるようになります。
1677年、サラは没落した家のジョン・チャーチル(1650-1722)と秘密裏に結婚。
ジョンは父ウィンストン・チャーチルと母エリザベス・ドレークの間に生まれました。没落した家を再興せんと、姉アナベラはヨーク公ジェムズ(のちにジェームズ2世)の愛妾となります。
ジョンはヨーク公の知遇を得て、軍人として功を挙げます。ヨーク公がジェームズ2世として王位を得ると、男爵に叙せられます。
名誉革命後、アンの姉メアリーとその夫が1689年にイングランド王ウィリアム3世・メアリー2世として即位しました。メアリー夫妻には跡継ぎがいなかったため、妹アンは後継者として力を持つようになります。
アンの肝いりで、サラの夫ジョン・チャーチルがマールバラ伯爵を叙爵。サラは伯爵夫人の地位を得て、ますます宮廷内で力をふるうようになります。
レディサラ役レイチェル・ワイズ
メアリー2世は、妹アンがサラの言いなりになっていることに不安を感じ、サラを宮廷から遠ざけるよう助言しましたが、アンはサラをかばい、姉とは仲たがい。
即位後、アンはマールバラ伯爵をさらに公爵に格上げし、レディ・サラは最高位の貴族に。
サラの権力は絶大となり、アンの私生活からスペイン継承戦争の継続に関わる政治判断まですべてを支配するようになりました。
アン女王とサラ
映画ではサラはアンの宮殿内に一室を賜り、その部屋から秘密の通路を使ってアンの部屋に出入りできるように描かれていました。
が、史実ではサラは1704年アンの即位後から自領内ですごすことが多く、アンとのやりとりは手紙が多くなります。
アンを身近で支えるようになったのは、サラの従妹アビゲイル・ヒル(結婚後はメイシャムMasham 1670 - 1734)でした。
史実としての18世紀貴族社会について知っておくべきことのひとつ。
これは同時代のフランス、マリーアントワネットらの宮廷もそうでしたが、貴族の人生において、結婚と性愛と愛情はそれぞれ別のもの。王族貴族の結婚は、家名存続のため政略でなされるものであり、王族の血を残すための装置。夫にも妻にも快楽のための愛人はいるし、心を支える人もいる。マリーアントワネットにとって夫はブルボン家とハプスブルグ家存続のために必要な存在でしたが、愛情はフェルゼンとの間に育みました。
アン女王が王配ジョージの子を17回も妊娠したことをもってジョージとの仲はよかった、と解する史家もいますが、嫌いではなかったとしても、女王夫妻が心も結ばれていたかどうかは定かではない。心の結びつきは、幼馴染のサラとの間のほうが強固な絆であったろうと思います。(ビクトリア女王は例外的に王配アルバートと恋愛結婚で、夫婦仲はむつまじく4男5女を出産)
映画には王配ジョージはまったく出てきません。気まぐれで癇癪持ちのアンを理解してやれるのはサラだけ。そして性的快楽を与えられるのもサラだけでした。アビゲイルが「寝室付き女官」となるまでは。
酒太りのアンは痛風のため歩くにも不自由で、宮廷内では輿で移動したと記録されています。映画でも車いすをサラが押して移動していました。
演出上の裏話。アビゲイルがアンのベッドにいるシーンの撮影で、監督とエマ・ワトソンはその場でアビゲイルが全裸になることを決定しました。
サラ役レイチェル・ワイズがそのシーンを目撃する、という場面。予定にないエマの全裸にほんとうにびっくりしました。サラの表情がリアルで、迫真のシーンになったのだとか。
サラは「女王のお気に入り」の座を奪おうとするアビゲイルにいらだち、首にするようアンに迫ります。アンは「でもね。あの子の舌使いは、たまらなくいいの」と言い放ち、サラは敗北を自覚します。
イギリスアメリカアイルランドの共同制作ですが、こんなふうに宮廷の内部を描くのが許されるって、イギリス社会もすごいなあ。
アン女王のスチュワート家の血筋は絶えましたが、ジョン・チャーチルの子孫のひとりがウィンストン・チャーチルであることは、まあいいとして、レディ・サラの娘のひとりはスペンサー伯爵家に嫁ぎ、子孫のひとりはダイアナ妃です。つまり、現在の王室のウィリアム王子やその子供たち、ヘンリー王子もサラの子孫です。
もし、日本で皇室につながる歴史的人物をこのように描いたら、ウヨに襲われちゃうんじゃないかしら。
大河ドラマで『江』をやるとき、どんな描かれ方をしようと、江に都合の悪いエピソードは描かれないだろうと予測しました。
江が豊臣秀吉の甥っ子と結婚したとき生んだ娘は、姉の淀殿の養女として九条家に嫁ぎ、九条節子(大正天皇と結婚した貞明皇后)まで続いています。つまり、昭和天皇以下現在の皇族はみな「江」の血をひいている。下手なことシナリオにできないだろうと思いました。江は元気はつらつのいい人に描かれていましたから、ウヨ問題はおきませんでしたけどね。
現代の「お気に入り争い」が100年後くらいになんらかの作品になるとしたら、どんなふうに描かれるでしょうか。毎回の組閣で、女性大臣枠の椅子はひとつかふたつ。女性議員たち熾烈な椅子取りゲームをしているんだろうなあと思いますが、アン女王宮廷ほどの華麗な争いの場面は思い浮かびません。しょぼいコメディにはなるのでしょうが、ちょいと小粒です。
<つづく>
次回「女王陛下のお気に入りアビゲイル・ヒル」