20200510
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>2020おうち映画館(3)グリーンブック、トニーリップ
「グリーンブック」8週間の旅の終わり、トニーとシャーリーをのせた大型車は、冬の嵐に巻き込まれます。
南部でさんざん警官に痛めつけられてきたふたりですが、吹雪の中でパンクした車を警官の助けでタイヤチェンジもできました。しかし、雪の中での作業によって、トニーは疲れ切ります。
冬の嵐の中、眠気に襲われたトニーを座席に寝かせ、代わってシャーリーが運転を続けます。クリスマスイブまでに家族のもとに帰る、というドロレスとトニーの約束を守るために、シャーリーは雪の中を走ります。シャーリーがピアノを弾くこと以外で「だれか」のために行動するのは、初めてだったかもしれません。
シャーリーはトニーをブロンクスのイタリア移民街へ送り届けます。シャーリーはカーネギーホール上階の高級マンションへ。
トニーの家では大家族が待ち受け、にぎやかにクリスマスイブの食卓を囲んでいます。
家族は、黒人嫌いだったトニーにとって、黒人のボスの下で働くのはさぞかし苦労があり、ストレスで疲れ切っているだろうと思いやります。
家族のひとりが「ニガー(くろんぼ)のボスはどうだった?」と冗談めかして尋ねると、トニーは「ニガーなんて言うのはやめろ」とたしなめます。家族はその一言で、トニーにとって、雇い主は黒人とか白人とかを超えた人間的によいボスであったということが察知できました。
シャーリーは、カーネギーホール上階の豪華マンションに帰宅し、待っていた召使いを帰します。彼にもクリスマスイブをともにすごす家族がいることを思いやって。
一人ぼっちのイブをすごすか迷っていたシャーリーでしたが、思い切ってトニーの家を訪れ、歓迎を受けます。
カトリック教徒のイタリア移民一家にとって、「自分たちとは異なる人」であるシャーリーが入り口にたったとき、皆一瞬固まった表情をみせます。彼らにも無意識の差別意識はあったかもしれません。でも、一家はシャーリーを受け入れて、暖かく迎えます。
英語のつづりも不確かなトニーの手紙が、あるときから文才あふれるものになったこと、トニーの妻のドロレスはちゃんと気づいていて、ハグをかわすシャーリーに「手紙ありがと」と伝えます。シャーリーは、自分の心遣いがトニーの家族に受け入れられていたことを感じます。
トニー一家との交流によって、シャーリーのアイデンティティ危機が回避されたのかどうかは、映画からはわかりません。
アイデンティティは、もちろん自分自身の心が作るものだけとど、他者をから受け入れられること他者を受け入れることでも作られる。
「教養ある白人」から賞賛される自分を受け入れることができかなかったシャーリーも、トニーの家族の歓迎には素直に溶け込めました。
他者との関係性が個人を作るのです。
監督は「白人救世主が黒人を救う」という批判に対して「たしかに、トニー・リップはドクター・シャーリーを俗世の災難から救う。けれど、ドクター・シャーリーもトニー・リップの魂を救うんです」と述べています。
シャーリーは、黒人差別意識を持っていた無学なトニーに読み書きを教え、物事には多様な見方がありうることを示します。
ラスト、2013年同年のうちにトニーとシャーリーが相次いで亡くなるときまで、友情は続いていた、と実在のドナルド・ウォルブリッジ・シャーリーやトニー・リップの写真と共に紹介されていました。
ドナルド・ウォルブリッジ・シャーリーと マハーシャラ・アリ

トニー・リップとヴィゴ・モーテンセン

おそらく、8週間の南部の旅のあと、現実の生活を推察するに。
読み書き能力が向上したことによって、トニーはがさつな用心棒暮らしから足を洗い、俳優業に乗り出していったのだろうと想像します。シナリオに書かれたことをちゃんと読めて理解できる能力を得たトニーは、シャーリーとの旅のあと、テレビ端役俳優としてキャリアをスタートし、1980年代から映画に名前トニー・リップがクレジットされるようになります。
シャーリーは、ピアニストとしてのキャリアを続ける一方、作曲家としても活動し、オルガン交響曲、ピアノ協奏曲、チェロ協奏曲などの曲を作曲しました。
黒人でも白人でもないと感じ自分を見失っていたシャーリーが、すぐれた曲を生み出し続けることができたのは、トニーとの旅と、トニーの家族との交流によって自分自身を取り戻せたからかもしれません。
南部に強い人種差別が存在し、グリーンブックが必要だったということは、現在ではアメリカの南部史の汚点に感じられるものでしょう。
しかし1950年代1960年代に旅行した黒人にとっては、それがなくては泊まるところも見つからず、車にガソリンを入れることも難しかった。黒人お断りガスステーションに行って、給油拒否にあったら、旅を続けることができなかったのです。
黒人の権利がはっきりした現代の目から「白人の優位を描いた作品」として『グリーンブック』を否定するのは間違っていると思います。
1950年代1960年代には差別が歴然とあったことをしっかり知り、トニーが自分の内側の差別意識を変えていったように、私たちの中に差別意識があるなら、それを見つけることが必要なのだと、いうことじゃないかしら。
自分と異なる考え方・異文化を受け入れること。
貧困差別も、病気差別も、私たちの心に無意識に残っています。
この映画は、他者との関係を作っていくこと、そして差別をもう一度考えてみる機会です。
Covid19の状況が私たちに問いかけていることも、また同じ。2m以上近づいての会話をしてもいけなくて、人々が寄り集まることもいけない、という時代に、どうやって他者とのつながりを感じ、人を愛し自分を愛することを続けていくか。
テレビ録画の映画を見続け、腰痛にぶり返した自分ですが、とりあえず、春庭はアイデンティティ危機にも陥らず、自分を愛しています。
次回グリーンブック最終回ピーターファレリー
<つづく>
5月中旬の「春庭シネマパラダイス」は「女王陛下のお気に入り」
「エマ・ストーン、全裸で女王とのレズシーンに挑戦」の大作です。
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>2020おうち映画館(3)グリーンブック、トニーリップ
「グリーンブック」8週間の旅の終わり、トニーとシャーリーをのせた大型車は、冬の嵐に巻き込まれます。
南部でさんざん警官に痛めつけられてきたふたりですが、吹雪の中でパンクした車を警官の助けでタイヤチェンジもできました。しかし、雪の中での作業によって、トニーは疲れ切ります。
冬の嵐の中、眠気に襲われたトニーを座席に寝かせ、代わってシャーリーが運転を続けます。クリスマスイブまでに家族のもとに帰る、というドロレスとトニーの約束を守るために、シャーリーは雪の中を走ります。シャーリーがピアノを弾くこと以外で「だれか」のために行動するのは、初めてだったかもしれません。
シャーリーはトニーをブロンクスのイタリア移民街へ送り届けます。シャーリーはカーネギーホール上階の高級マンションへ。
トニーの家では大家族が待ち受け、にぎやかにクリスマスイブの食卓を囲んでいます。
家族は、黒人嫌いだったトニーにとって、黒人のボスの下で働くのはさぞかし苦労があり、ストレスで疲れ切っているだろうと思いやります。
家族のひとりが「ニガー(くろんぼ)のボスはどうだった?」と冗談めかして尋ねると、トニーは「ニガーなんて言うのはやめろ」とたしなめます。家族はその一言で、トニーにとって、雇い主は黒人とか白人とかを超えた人間的によいボスであったということが察知できました。
シャーリーは、カーネギーホール上階の豪華マンションに帰宅し、待っていた召使いを帰します。彼にもクリスマスイブをともにすごす家族がいることを思いやって。
一人ぼっちのイブをすごすか迷っていたシャーリーでしたが、思い切ってトニーの家を訪れ、歓迎を受けます。
カトリック教徒のイタリア移民一家にとって、「自分たちとは異なる人」であるシャーリーが入り口にたったとき、皆一瞬固まった表情をみせます。彼らにも無意識の差別意識はあったかもしれません。でも、一家はシャーリーを受け入れて、暖かく迎えます。
英語のつづりも不確かなトニーの手紙が、あるときから文才あふれるものになったこと、トニーの妻のドロレスはちゃんと気づいていて、ハグをかわすシャーリーに「手紙ありがと」と伝えます。シャーリーは、自分の心遣いがトニーの家族に受け入れられていたことを感じます。
トニー一家との交流によって、シャーリーのアイデンティティ危機が回避されたのかどうかは、映画からはわかりません。
アイデンティティは、もちろん自分自身の心が作るものだけとど、他者をから受け入れられること他者を受け入れることでも作られる。
「教養ある白人」から賞賛される自分を受け入れることができかなかったシャーリーも、トニーの家族の歓迎には素直に溶け込めました。
他者との関係性が個人を作るのです。
監督は「白人救世主が黒人を救う」という批判に対して「たしかに、トニー・リップはドクター・シャーリーを俗世の災難から救う。けれど、ドクター・シャーリーもトニー・リップの魂を救うんです」と述べています。
シャーリーは、黒人差別意識を持っていた無学なトニーに読み書きを教え、物事には多様な見方がありうることを示します。
ラスト、2013年同年のうちにトニーとシャーリーが相次いで亡くなるときまで、友情は続いていた、と実在のドナルド・ウォルブリッジ・シャーリーやトニー・リップの写真と共に紹介されていました。
ドナルド・ウォルブリッジ・シャーリーと マハーシャラ・アリ

トニー・リップとヴィゴ・モーテンセン

おそらく、8週間の南部の旅のあと、現実の生活を推察するに。
読み書き能力が向上したことによって、トニーはがさつな用心棒暮らしから足を洗い、俳優業に乗り出していったのだろうと想像します。シナリオに書かれたことをちゃんと読めて理解できる能力を得たトニーは、シャーリーとの旅のあと、テレビ端役俳優としてキャリアをスタートし、1980年代から映画に名前トニー・リップがクレジットされるようになります。
シャーリーは、ピアニストとしてのキャリアを続ける一方、作曲家としても活動し、オルガン交響曲、ピアノ協奏曲、チェロ協奏曲などの曲を作曲しました。
黒人でも白人でもないと感じ自分を見失っていたシャーリーが、すぐれた曲を生み出し続けることができたのは、トニーとの旅と、トニーの家族との交流によって自分自身を取り戻せたからかもしれません。
南部に強い人種差別が存在し、グリーンブックが必要だったということは、現在ではアメリカの南部史の汚点に感じられるものでしょう。
しかし1950年代1960年代に旅行した黒人にとっては、それがなくては泊まるところも見つからず、車にガソリンを入れることも難しかった。黒人お断りガスステーションに行って、給油拒否にあったら、旅を続けることができなかったのです。
黒人の権利がはっきりした現代の目から「白人の優位を描いた作品」として『グリーンブック』を否定するのは間違っていると思います。
1950年代1960年代には差別が歴然とあったことをしっかり知り、トニーが自分の内側の差別意識を変えていったように、私たちの中に差別意識があるなら、それを見つけることが必要なのだと、いうことじゃないかしら。
自分と異なる考え方・異文化を受け入れること。
貧困差別も、病気差別も、私たちの心に無意識に残っています。
この映画は、他者との関係を作っていくこと、そして差別をもう一度考えてみる機会です。
Covid19の状況が私たちに問いかけていることも、また同じ。2m以上近づいての会話をしてもいけなくて、人々が寄り集まることもいけない、という時代に、どうやって他者とのつながりを感じ、人を愛し自分を愛することを続けていくか。
テレビ録画の映画を見続け、腰痛にぶり返した自分ですが、とりあえず、春庭はアイデンティティ危機にも陥らず、自分を愛しています。
次回グリーンブック最終回ピーターファレリー
<つづく>
5月中旬の「春庭シネマパラダイス」は「女王陛下のお気に入り」
「エマ・ストーン、全裸で女王とのレズシーンに挑戦」の大作です。