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ぽかぽか春庭「桜と春のエフェメラル in 白金植物園」

2022-04-02 00:00:01 | エッセイ、コラム
20220402
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2022ふたふた日記桜さくら(4)桜と春のエフェメラル  in 白金植物園

 六義園の枝垂れ桜が5分咲きでちょっと物足りなかったので、29日にそろそろ満開も見られるかと、白金の植物園、正式名は国立科学博物館付属自然教育園に出かけました。
 テレビを見ていたら、NHKの番組でちょうど白金植物園を取り上げていて「都会の真ん中のオアシス」という紹介のしかただったので、こりゃ、桜の時期には混み混みになるかも、と思いましたが、美術館と違って入園者が2倍になろうと3倍になろうと広い園内に散らばれば、そうそうイモ洗い状態にはならぬだろうと入園。

 9時から開園。9時半前に入園したので、まだ園内には職員さんのほかはほとんど人はいなくて、大きなカメラ構えたバードウォッチングの人をふたりみかけただけでした。私もそう思っていたけれど、みな10時開園だとおもっていたんじゃないかな、たぶん。10時すぎると人がぼちぼちやってきました。私は10時半に退園。本日メインイベントの庭園美術館の予約が10-11時だったので。1時間の散歩でしたが、春先の花々も楽しめました。

 静かな朝の園内


 NHKの番組は、1月31日本放送。私が見たのは3月26日(土)の再放送。 
 「大都会の森で ~東京 港区 白金台~」
 ビルに囲まれた東京港区白金台にある自然教育園は、武蔵野の自然が残る都会の中の豊かな森です。この場所でカワセミに魅せられた研究員は、長年の行動記録からその独特な生態を語ります。白金台の自然を子どもたちに残したいと願う幼稚園の女性。この森で亡き夫との思い出を胸にカメラを通じて人々との交流をつづける女性。都心に残る豊かな森で小さな幸せを見つける旅です。

 白金の森の中心部に高速道路を通す計画が立てられたとき、近隣の住民は反対運動を展開し、森の中を通すことは回避されました。道路は森の周辺をかすめていますが、森の中心部は守られました。
 白金植物園入口前にたつ桜の大木も道路拡張のために伐採されるところでしたが、住民の反対運動で残されました。よかったよかった。

 白金植物園の入口に立つ桜


 自然教育園が六義園や新宿御苑、浜離宮など違うところは「庭園ではない」というところです。庭園は、人が心地よく過ごすために手を入れ、木を剪定し石を配置します。美しく保つことが庭園の維持に大切です。
 しかし、自然教育園は、「都会の中の森がどのような自然変遷」をたどって変化していくのかということを何十年にもわたって観察することを目的のひとつとした「研究・教育」のために存在しています。

 もちろん、自然観察や自然を学ぶ教育を目的として入園させている以上、歩きやすい道をつくり、入園者が事故などにあわぬように整備はされています。歩道に倒れ掛かりそうな朽ちた木は伐採しますが、そうでないときは、倒木は倒れたままに。
 園内には台風で倒れた木などもありますが入園者に危険がない限り、自然のままに放置されています。

 白金植物園の中では、樹齢350年の「おろちの松」と「物語の松」が白金植物園を代表する樹木でした。
 物語の松


 しかし、2019年の10月台風19号が関東を襲ったとき、おろちの松は倒れてしまったのだそうです。前日には立派に立っていた松なのに。
 庭園の樹木だと、樹木医や植木職人総出で木を補強し台風に備えたでしょうが、白金植物園は、「とりあえず、今は風に耐えているから大丈夫かな」と、見回りの人がおもったのでしょうが、翌日には風に耐え切れず、倒れてしまった。自然のままに。

 おろちの松も、倒れたままになっていました。ただし、残された松ぼっくりの中にあった種は芽を出し、今少しずつ育っているというので、おろちの松2代目になり、あと350年たったら、「2020年に芽吹いた松だそうだ」と、見上げられる樹木になっているのやら、そのまえに人類滅んでいるのやら。いずれにせよ、私は350年後を見ることはできないから、どうと倒れた根っこを見ておきました。


 そのほか、池が水草の繁茂しすぎて陸地化したりしないよう、池をさらって水位を保つなど、園内整備されています。これを「植生管理」というのですって。たとえば、ヒメガマが増えすぎて池が埋まってしまうと、水鳥や昆虫の生態を維持できなくなるので、ヒメガマも適度に刈り取りを行います。
 素人には、どこまでが「庭園の手入れ」なのか、自然教育園の「植生管理」なのか、さっぱりわかりませんが、都会の中の自然が適切に保たれていることはまちがいない。

 池には、鴨が一羽。渡りに取り残されたのでしょうか、すっかり枯れている去年のあじさいも、そのままにされていました。我が家の猫の額庭でさえ、95歳の植木屋さんが、あじさいを新夏に備えてきれいに刈り取ってくれましたが、白金は、枯れたあじさいも景色のうち。

 

 白金植物園は、桜も数本咲いています。特別桜の名所でもないのですが、満開に咲き誇っていました。残念ながら曇り空だったので、ヤマザクラもソメイヨシノも、灰白の雲の色の中にまぎれてしまい、まったく「バエない」。やはり、満開の桜は青空に映えます。


 桜だけでなく春の花が咲いていました。
 「春のエフェメラル」ということばを園内のパンフレットで知りました。エフェメラルとは「はかない命」というような意味。春先に現れてひととき美しい花を咲かせ、夏にはあとかたもなく消えてしまう、そんな「春植物」を指すのだそうです。

 セツブンソウはとっくにあとかたもなく消えており、カタクリもすでに花期をすぎて枯れる寸前。でも、タチツボスミレは群落をつくって咲き誇り、にりん草、ヒトリシズカ、、、、。

 にりん草
 

 バイモ(貝母)は薬用植物。編み笠ユリという和名は、花の内側に網目もようがあるから。私のコンパクトカメラだと下を向いている花の網目が、よく撮れなかった。今は、スマホのほうが画素が多いのだけれど、スマホからパソコンにデータを移す方法がまだわかっていないので。

 らしょうもんかずら


 やまるりそう
 

 ひとりしずか

 しゃが

 カタクリ


 やまぶき

 春を知らせて咲き、夏までにはかなく消えていくエフェメラル。開花から1週間で満開になり、散っていく桜もエフェメラルゆえに美しい。

 エントランスで、植物園で活動している俳句の会が、句作募集していました。
 私は俳句より短歌のほうが作りやすいのですが、もう盛りをすぎたカタクリを見て一句。応募はしないですけれど。
 ・カタクリの枯れ花びらや片恋果つ 春庭
 短歌バージョン
 ・カタクリの花びらふたつ枯れ落ちて半世紀前の片恋果つる 春庭

 私の片思いの相手、まだ生きてるみたい。正面から顔を見ることさえ恥ずかしくてできなかった18乙女でした(私にだって、花も恥じらうころがあったのです)。半世紀前の乙女にとってはす~ごく大人に思えた人も、72と83という年齢になってみれば、たいした違いはない。

 カタクリの花が、恥ずかしそうに下を向いて咲いているのを見ると、春に咲き、夏までには消えてなくなるエフェメラルのカタクリに比べて、人様から「いつまでのさばっている気だ」と言われる婆は、恥じ入るばかり。と言いつつ長生き目指します。おろちの松が育っていくのを見届けなきゃ。無理か。

<つづく>
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