20231123
ぽかぽか春庭アート散歩>2023アート散歩冬支度(2)見る前に跳べ in 写真美術館
コロナで中止になっていた第3水曜日のシルバーデイ復活は、写真美術館庭園美術館現代美術館の3館。東京都美術館は抽選方式に変更。
写真美術館11月シルバーデイ。5人の「新進写真家」の作品展を観覧しました。写真美術館3階の「見る前に跳べ」の展示。
会期:2023年10月27日-2024年1月21日
写真美術館の口上
東京都写真美術館では、2002年より写真・映像の可能性に挑戦する創造的精神を支援し、将来性のある作家を発掘するとともに、新たな創造活動を紹介することを目的として「日本の新進作家」展を開催してきました。20回目となる本展では、5人の作家を取り上げ、不確かな時代を生き抜くための原動力を探ります。
21世紀に入り、アメリカ同時多発テロ、東日本大震災、新型コロナウイルスの感染拡大、ロシアによるウクライナ侵攻等、私たちの日常を揺るがす大きな出来事が起こっています。明日への不確かさは、人々を不安にさせ、心に迷いを生じさせ、新しいことへ挑戦する気持ちを後退させてしまいます。私たちは、間違えを恐れ、萎縮し、まるで「一万メートルの深海のような深い孤独」(W.H.オーデン)に陥っているかのようです。このような心の強ばりは、どのように解きほぐすことができるのでしょうか。
本展では、この「深い孤独」と向き合い、独自の方法で写真作品によって、生きるための原動力の在処を示す5人の作家をご紹介します。孤独の中にありながらも、人とのつながりを手繰り寄せようとする彼らの作品は、私たちのかたくなな心を溶かし、人生の豊かさとは何かを思い出させてくれることでしょう。
―見るまえに跳べ― 私たちいつもそのように歩んできたはずです。
21世紀に入り、アメリカ同時多発テロ、東日本大震災、新型コロナウイルスの感染拡大、ロシアによるウクライナ侵攻等、私たちの日常を揺るがす大きな出来事が起こっています。明日への不確かさは、人々を不安にさせ、心に迷いを生じさせ、新しいことへ挑戦する気持ちを後退させてしまいます。私たちは、間違えを恐れ、萎縮し、まるで「一万メートルの深海のような深い孤独」(W.H.オーデン)に陥っているかのようです。このような心の強ばりは、どのように解きほぐすことができるのでしょうか。
本展では、この「深い孤独」と向き合い、独自の方法で写真作品によって、生きるための原動力の在処を示す5人の作家をご紹介します。孤独の中にありながらも、人とのつながりを手繰り寄せようとする彼らの作品は、私たちのかたくなな心を溶かし、人生の豊かさとは何かを思い出させてくれることでしょう。
―見るまえに跳べ― 私たちいつもそのように歩んできたはずです。
出品作家
うつゆみこ|Yumiko Utsu[1978-]
淵上裕太|Yuta Fuchikami[1987-]
星玄人| Haruto Hoshi[1970-]
夢無子|mumuko[1988-]
山上新平|Shimpei Yamagami[1984-]
うつゆみこ|Yumiko Utsu[1978-]
淵上裕太|Yuta Fuchikami[1987-]
星玄人| Haruto Hoshi[1970-]
夢無子|mumuko[1988-]
山上新平|Shimpei Yamagami[1984-]
ポスターになっている写真はうつゆみこの作。動物や昆虫、植物、オブジェやフィギュア、図版などを組み合わせて、対象から得たインスピレーションにより作品を制作しています。このオブジェを吊り下げたコーナーがあり、そこだけは撮影禁止。あとは、撮影自由です。
こどものころ、いろいろな植物動物を「見立て」によって空想上の生き物やものに仕立てた遊びをしたことがある人は多いと思います。いちばんありきたりの見立ては、入道雲→ソフトクリーム。
うつゆみこの見立て、ユニークです。おもしろいし、気持ち悪いのもある。
ヤングコーンに人形の首をくっつけて、人魚にするくらいは私にも思いつくけれど、豚足を京劇の役者にするのはまったく奇想天外、すごい発想です。
川に黒い点々が出てきたバナナとヒョウのフィギュア、ほか、発想のさまざまに笑えたり気持ち悪かったり。よくもまあ、思いつくなあと見て回りました。毎日当たり前にものを見て常識通りにものに取り囲まれている生活をしていると、つくづく自分は平凡な感覚で生きているのだと思います。
写真美術館3階の「見る前に跳べ」の展示室に入ると渕上裕太の写真が、切り抜きによって埋め尽くされてる中に展示されています。淵上裕太が撮影した上野公園に集まってくる人々も興味深い写真でした。ごく普通の感じの人の写真もあったけれど、ほかでは見ないユニークな人の写真が多かった。ホームレスはまだしも普通の人です。全身入れ墨の人とか、どうみても「ウリセンおかま」(差別用語ですが、あえて)に見える人など、肖像を撮らせてくれと言って撮らせてもらっている時点でどんな人間関係を結べていたのかと思うと、写真家としてすごい才能だと思います。
全財産と思われる荷物の脇に横たわって、目はしっかりカメラ目線です。
1987年生まれの渕上が2016年から発表を続けるシリーズ「路上」シリーズは、路上で見かけた気になる人物に声をかけ、撮影する。今回は、上野公園を中心に声をかけた人物の写真。
たぶん(女装していると思う)女性が、左にはホームレスが寝っ転がっている横で、白髪の方のとなりに腰掛けています。その同じふたりの写真。次は、このじいさんと女性がキスしているところで、女性の舌がじいさんの口にさしこまれているところをリアルに撮影しています。興味なさそうに横向いているじいさんにどんなことばをかけて、どうしてキスシーンになるのか。そのやりとりを知りたくなるし、それをそのまま撮影している渕上の目はすごい。
たぶん、桜の木の横にたつ女性と同じ人だとおもうのだけれど。
雪の中に立っている「立ちんぼのおねえさん」は、客を待っている。寒さの中「もう少し(客を)待ってみる」と語るおねえさんを写す渕上の視線は暖かい。
さまざまな背景がありそうな人々。これらの人々を受け入れ、同じ時代にいっしょに同じ空気を吸っているなあ、という渕上の受け止め方が伝わる写真でした。
渕上自身による作品解説。2019年の大阪での展示「上野」につけたことばです。
ほかの⼈間が存在し 僕以外の⼈間がRPGのキャラクターでも通りすがりの影でもない。 ⼀⼈の⼈間として存在していることを強制的に本能に訴えかけてきた。 僕は、世界に⼀⼈しか存在しないのではないか? 確かめるため、 息をするために ⼈と関わり撮影をしてきた。 上野は、⼈が⼈として存在している。 安らかな気持ちを与えてくれる。 ⼣陽に照らされた池の蓮 ⾵に揺れる⼀枚の花弁 ゆっくり時を刻むごとに⽔⾯の輝きを纏っていく ⼈々もまた変わっていく いまこの瞬間の『上野』が必要だった お⼿製の帽⼦を被ったおじさん 毎⽉、10年間上野公園の同じ⽊を写真に撮りに来る新潟の⼈ ⼤雪の中、誰もいない公園で『もう少し待ってみる』と笑顔で話す⽴ちんぼのお姉さん 同じ時を刻む⼈々の姿 僕は、今東京にいる。 僕たちは今を⽣きている。
跳べないまま74年
<つづく>