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ぽかぽか春庭「小さい者のひとりとして、生きる」

2023-11-28 00:00:01 | エッセイ、コラム
20231123
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2023文日記11月夏日から冬へ(2)小さい者のひとりとして、生きる

 仕事をしなければ食べていけない高齢者なのに就労見込みもないので、退職老人の多くが同じように過ごしているであろう日常、すなわち、ぼんやりテレビ見ているしかない。60年も昔に「テレビばっか見ているとバカになる」と言われて育ったのだから、もともとおバカな脳ではあるが、老いた脳の劣化著しいのは仕方がない。テレビ放映の映画など見てすごす。

 ぼうっと見ているテレビでも、心動かされる番組もある。私のように「金がない金がない」と言いつつ、就活もせずごろごろテレビ前に寝転がってすごす者もいるし、世のため人のために時間を使う尊い人もいる。最近見た「こころの時代」という番組で紹介されていた大阪西成あいりん地区のキリスト教会牧師西田好子さんは、ホームレスや服役後の生活のケア心のケアをしていらっしゃる。番組タイトル「小さい者のひとりとして共に」

 西田さんは、教員をしながらふたりの子を育て、50歳すぎて神学校に通って牧師になりました。社会からはじき出されてしまった人々を自分の教会に受け入れ、亡くなったあと引き取り手のないお骨を引き取って供養してきました。立派だなあと、思いつつ、自分ではなにひとつ世のためになることを始める気力もなく、テレビを見ている。

 映画館に行く電車賃もないので、家でぼうっと見ているテレビ録画の映画。
 昨年「2022年の大ヒット映画」といううたい文句でテレビ放映された「余命10年」を見る。10代女子が大挙して映画館に押し寄せ、泣きながら見ていたという映画。若者に受ける映画にするには、「余命」と「純愛」を重ねるセオリー通り。明治の「ほととぎす」から平成の「世界の中心で愛を叫ぶ」まで、どうしてこうも、愛される可憐な女子は早死にし、残されたものの涙に、見ているおなごどもは号泣するのか。原作の「余命10年」は、2007年に出版されて以後、映画化前2017年に原作者が「治せない難病」で亡くなっているから、いっそう涙腺は崩壊する。
 劣化した脳でテレビ放映をぼうっと見ていたものだから、映画の中で10年たったのがわからなかった。せいぜい数年しかたっていないように思える年月の移り変わりに思えました。主人公美男美女が若い風貌のままだったので、10年たっているとは思えなかったのです。西暦年号が出てくるシーンもあって、ようやく時間がすぎていたことに気づきました。映画リテラシーが不十分ですなあ。

 余命もののひとつと言えると思う「友情」。男女の愛ではないけれど、ラグビー選手平尾誠二の最後の1年間の闘病を、ノーベル賞山中伸弥教授との友情によって描いた感動作。余命3か月という状態から、あらゆる可能性を信じて治療に積極的に取り組んだのちの、54歳の最期、生き抜きたいと言う強い気持ちを届けて見事なタックルでした。

 「余命」ものと言えば、私には「生きる」です。カズオイシグロ脚本のリメイクも見たいと思っています。ギンレイのラインナップになりそうな映画なのに、ギンレイは再開のめどなし。夫はギンレイパスポートカードを大事にとっておいていますが。

 テレビ放映の録画で、ぼうっと見る映画。はじめて見た「42ー世界を変えた男」は、最初のメジャー黒人選手ジャッキー・ロビンソン の伝記映画。何度か見てきた「ドライビング・ミスデイジー」を見て、ハリウッド映画でマイノリティの描き方推移を復習してスコセッシ花殺し月に備える。

 テレビの前に枕を出して、ごろりんと寝っ転がって見ているから、だいたい途中で眠くなって、肝心なところを見逃したまま話は先に進んでしまう。録画を巻き戻してつづきを見ることもあるけれど、ま、いいかと途中が抜けたままThe endにしてしまうことも。2時間サスペンスドラマなど、どうしてこの人が犯人だという決め手になったのかわからないけれど、犯人つかまったんだからめでたしめでたしと終わりにする。私の人生はちっともめでたくないラストステージなのだけれど、まだThe endにはなりません。食い扶持稼がねば。どうやって?

 フェルナン・レジェ「生きる喜び(水浴者たち)」


 とりあえず、風呂でも入って。

<つづく>
コメント (2)
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