20231121
ぽかぽか春庭アート散歩>2023アート散歩冬支度(1)写真学校100年 in 写真美術館
70年ほどの昔。私は被写体としてカメラの前にいました。3歳の姉と2歳の私は、はじめてミシンを買って子供たちの服を縫い始めたうれしそうな顔の若い母といっしょに写っている。銀行の最初のボーナスで初めてのカメラを買い、長方形のボディの上からファインダーをのぞきこんでいるのは、母の3番目の弟。私と姉は「ぎんこおじさん」と呼んでいました。母の1番上の弟はフィリピンで戦死(骨壺に入っていたのは遺品の時計だけ)2番目の弟は国鉄駅員で、私と姉は「えきおじさん」と呼んでいました。
写真はぎんこおじさんの70年の生涯を通じての趣味となり、自分の子どもが生まれるまで、おじさんのよい被写体になったのは姉と私と妹、駅おじさんの子どもヨシユキとミチコでした。ボーナスに余裕があると、叔父さんはどんどん新しいカメラを買い換えました。昔の、お金持ちじゃない家の子どもにしてはたくさんスナップ写真が残っているのは、ぎんこおじの写真シュミのおかげです。
次々に新しいカメラを買い換えてきたぎんこおじは、1979年にケニアに出かけるとき、古いほうの一眼レフを私に「餞別」としてくれました。ミチコがJAICA海外協力隊員として赴任しているケニアに出かけ、1年間、ケニアでの写真はこの一眼レフで撮影しました。
ケニアに着いた翌日にナイロビの町で迷子になり、タカ氏に街を案内してもらって2年後には結婚してしまったので、ケニアで撮った写真を何に生かすこともなく、ネガは押し入れにしまわれたまま。一眼レフを手にしたときの「写真を撮り続けたい」という情熱は、たちまち子育ての忙しさのもとにうずもれました。ワンオペ育児、生活費をひとりでかせがなければならなかったこと、いいわけはいろいろですが、娘の成長を写真に残す程度にしか、一眼レフは使いませんでした。息子が生まれたころにはコンパクトカメラに切り替えていたように思います。写すの簡単だから。
撮るほうは続かなかったけれど、写真を見ることはずっと大好きで、東京都写真美術館は、ぐるっとパスで入れるし、第3水曜日は無料公開が復活したし、よく出かける美術館のひとつです。
今回出かけた写真美術館で「写真から100年東京工芸大学創立100年記念展」が開催されていました。
会期:11月11日-12月10日(全会期入場無料)
東京工芸大学は、工学部と芸術学部の2学部の工と芸で工芸大学と名称変更したのですが、私の世代には「写真大学」写大です。
写真美術館地下1階の展示には、写大の歴史年表、卒業生の写真。写大が収集してきた古写真の展示、そして現在の工学部での研究成果展示(色彩研究やAI利用の成果)。芸術学部のアニメや漫画の成果。、もりだくさんの百年の展示でした。写大の工学研究の成果の歴史、今も輝くのはオリンパスの胃カメラです。八王子にあるオリンパス研究所を見学した時は、写大と結びつけて考えていませんでしたが。
日本で最初の写真大学であり、数々の著名写真家を輩出していることも知っていたけれど、100年の歴史をじっくり見たことなどありませんでした。第1室は、100年の歴史年表です。
・1923年に日本初の写真学校である小西寫眞専門学校(写専)として設立。
・1950年に新学制の元で東京写真短期大学として発足 。
・ 1965年4年制大学
・1977年東京工芸大学に名称変更
第2室。教員や卒業生の作品展示。文化勲章の田沼武能、文化功労者の細江英公などの大御所からずらりと出身者の作品がならんでいます。
第3室は、写大が収集してきた歴史的な写真の展示。東京に写真美術館ができるよりはるか前から写大のコレクションは始まっています。膨大なネガ収集の中からごく一部の展示ですが、写大キャンパスの中野にも厚木にも出かけることがない者にとっては、見せてもらって、ありがとう、です。
写大が収集した写真の展示。右側上はナダール肖像。
絵を見ることは好きでも、けっして自分で絵を描こうとは思いません。超絶下手です。でも、写真は見るだけでなく、自分でも撮り続けたいです。コンパクトカメラ利用限定。絞りも露出もわからんちんでも、とにかく写りますから。スマホのカメラ機能はまだ使いこなせていません。写真はうつせるけれど、スマホからどうやったらパソコンにとりこめるのかわかっていない老婆です。
10秒セットでカメラに向かって。顔を暗めに写すところがミソ。皺は写らないように。
<つづく>