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ぽかぽか春庭「辺見庸『水の透視画法』」

2016-08-10 00:00:01 | エッセイ、コラム
2016081
ぽかぽか春庭ことばの知恵の輪>葉月のことば(6)辺見庸『水の透視画法』

 たまたま図書館で借りてきた辺見庸『水の透視画法』。
 元共同通信の記者であった辺見が、古巣からの依頼により2008年から2011年まで月2回執筆し、全国の加盟新聞社に配信されたエッセイに、書き下ろしなどを加えた単行本です。

 Ⅲ部に「一瞬の差し色」という章がありました。2011年1月のエッセイです。
 若い友人によって「差し色」という語を初めて聞いた、と書かれています。「若い友人のことばをまとめるとこうなる」と、辺見は書く。

 世の中はいま、たしかにろくでもない。もう信ずべきなにものもないようにおもわれる。「信」は崩壊している。みなが日々、主体をかくして他人をもじぶんをもあざむいている。悲しく、とてもむなしい。ときどき泣きたくなる。叫びたくなる。でも、いきりたてばいきりたつほど置きざりにされる。それでも世界には、つかの間の差し色の美しい心や美しい景色、ことばがまだあるのではないか。そうおもいたい。そうおもわないと、とても生きてはゆけない。

 辺見は、若い友人によって知った「差し色」ということばを宝物のように反芻し、「たまゆらの差し色が息をのむほどに映える」と評する。
 私が「差し色」という語を知ったのは、今年。「すみともさんブログ」によってです。辺見が「息をのむほどに」と感じた「差し色」という語を感覚を共感できるようになってうれしい。

 辺見が記した語のなかで、感覚が異なると思った語もありました。
 「膚接(ふせつ)」という語について、「かっては用いられたのに、いまはめっきり使われなくなった」と、辺見は嘆く。
 「皮膚をおしあてがうように、人であれ物であれなにかと密接すること」
 この理由について、辺見は「私たちが世界と膚をあわすことを厭うようになったから、膚接ということばも死にかかっているのではないか」と、辺見は言う。
 
 そもそも膚接という語を私は使ったことがなかった。辺見の『水の透視画法ー雨中のハナカイドウ』を読むまで、膚接を知らなかったから、この語が「死にかかっている」という感覚を持つことはない。たぶん、私が「世界と膚をあわしてきた」という感覚も持っていなかったからだろうか。「もの食う人々」でも、他のルポルタージュでも世界中を飛び回り、世界と膚を合わせてきた辺見。一方の私といえば、肌を合わせる感覚というのは、赤ん坊のころの娘や息子の頬にほうずりしたことを思い出すくらいで、世界は私のまわりに漠然として茫漠として無辺際に広がるばかり。

 私にとって世界とは、膚と膚が密接するほど近しいものではなかった。半径5mの日常の中をのたうち回るしかない生活のなかで、膚接という語も遠かったのだ。

 辺見の文章、小説は余り好きではなく、読んだのは初期のものだけ。評論集やエッセイ、対談集はのこらず読んで来ました。でも、共同新聞の配信を受けている地方新聞など購読していなかったし、新刊単行本が出た2011年6月という時期、本を読む気もなくすごしていた時期だったので、この本を見落としていました。おまけにウィキペディアの辺見庸著作一覧には、『水の透視画法』は「小説」の欄に分類されています。著作チェックで、小説の欄を見なかったので、あるいは見たかもしれないけれど読もうと思わなかったので、、、、本屋で自分の目でぱらぱらとページをめくれば、まだ読んでいないエッセイだと言うことがわかったでしょうにウィキペディアなんぞを見てすませてしまったためです。学生にはウィキペディアは間違いが多いから信用するな、とさんざん注意してきたのに。

 2004年に脳出血で倒れて以後は、読者が辺見を支えなければ、という思いがいっそう強くなったのに、図書館本で読了してしまっては、「辺見様の著作は新刊直後に買って、印税をきちんとお支払いする」という購入パターンがくずれてしまいました。申し訳ないので、せめて文庫本がでたら新刊で購入いたします。それまでお支払い、お待ちを。現在失業中で無収入なので。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「石牟礼道子『いわしば焼くごと』」

2016-08-09 00:00:01 | エッセイ、コラム
20160809
ぽかぽか春庭ことばの知恵の輪>葉月のことば(5)石牟礼道子『いわしば焼くごと』

菊とナガサキ 被爆朝鮮人の遺骨は黙したまま  石牟礼道子 
「いわしば焼くごと」
原爆のおっちゃけたあと
一番最後まで 死骸の残ったのは朝鮮人だったとよ
日本人はたくさん生き残ったが朝鮮人はちっとしか生き残らんじゃったけん どがんもこがんもできん
死体の寄っとる場所で朝鮮人とわかるとさ
生きとるときに寄せられとったけん
牢屋に入れたごとして 仕事だけ這いも立ちもならんしこさせて・・・
三菱兵器にも長崎製鋼にも三菱電機にも朝鮮人は来とったとよ
中国人も連れられて来とったとよ

原爆がおっちゃけたあと
地の上を歩くもんは足で歩くけんなかなか長崎に来っけんじゃたが
カラスは空から一番さきに飛んできた
うんと来たばい それからハエも・・・
それで一番最後まで残った朝鮮人たちの死骸の目ン玉ば
カラスがきて食うとよ
(略)
十六、七の娘の子たちが
遠い朝鮮から連れてこられて
ひとりも助かった娘はおらんじゃろ
一万人あまりの朝鮮人が ジューッと
一ぺんにやけ死んだやろ あの収容所の下で
六千度の熱で
今から、どげんして調べるとやろか
一番うらみの深か者はぜんぶ死んでしもたナ

(1968・8・11朝日ジャーナル掲載。辺見庸「日録29」(2014/08/09)に再録 )

 忘れないでいること。その人たちを思って祈ること。

<つづく>

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ぽかぽか春庭「立秋熱波」

2016-08-07 00:00:01 | エッセイ、コラム
20160807
ぽかぽか春庭ことばの知恵の輪>葉月のことば(4)立秋熱波

 2016年の8月7日は、立秋です。
 「目にはさやかに見えぬども」どころか、猛暑日連続熱帯夜連続で、熱風続きに驚かれぬる、です。

 ・残暑とはかかる日のこと庭を掃く(星野立子)
 ・秋あつし鏡の奥にある素顔(桂信子)
 ・支邦菓子のくづれやすさよ秋暑く(鈴木真砂女)


<つづく>
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ぽかぽか春庭「峠三吉『八月六日』」

2016-08-06 00:00:01 | エッセイ、コラム
20160806
ぽかぽか春庭ことばの知恵の輪>葉月のことば(3)峠三吉『八月六日』

「八月六日 峠三吉」
あの閃光が忘れえようか
瞬時に街頭の三万は消え
圧しつぶされた暗闇の底で
五万の悲鳴は絶え
渦巻くきいろい煙がうすれると
ビルディングは裂け、橋は崩れ
満員電車はそのまま焦げ
涯しない瓦礫と燃えさしの堆積であった広島
やがてボロ切れのような皮膚を垂れた
両手を胸に
くずれた脳漿を踏み
焼け焦げた布を腰にまとって
泣きながら群れ歩いた裸体の行列
石地蔵のように散乱した練兵場の屍体
つながれた筏へ這いより折り重った河岸の群も
灼けつく日ざしの下でしだいに屍体とかわり
夕空をつく火光の中に
下敷きのまま生きていた母や弟の町のあたりも
焼けうつり
兵器廠の床の糞尿のうえに
のがれ横たわった女学生らの
太鼓腹の、片眼つぶれの、半身あかむけの、丸坊主の
誰がたれとも分らぬ一群の上に朝日がさせば
すでに動くものもなく
異臭のよどんだなかで
金ダライにとぶ蠅の羽音だけ
三十万の全市をしめた
あの静寂が忘れえようか
そのしずけさの中で
帰らなかった妻や子のしろい眼窩が
俺たちの心魂をたち割って
込めたねがいを
忘れえようか


<つづく>
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ぽかぽか春庭「一本の鉛筆」

2016-08-04 00:00:01 | エッセイ、コラム
20160804
ぽかぽか春庭ことばの知恵の輪>葉月のことば(2)一本の鉛筆

 一本の鉛筆 松山善三
1.あなたに 聞いてもらいたい
  あなたに 読んでもらいたい
  あなたに 歌ってもらいたい
  あなたに 信じてもらいたい
  一本の鉛筆があれば
  私は あなたへの愛を書く
  一本の鉛筆があれば
  戦争はいやだと 私は書く

2.あなたに 愛をおくりたい
  あなたに 夢をおくりたい
  あなたに 春をおくりたい
  あなたに 世界をおくりたい
  一枚のザラ紙があれば
  私は子どもが欲しいと書く
  一枚のザラ紙があれば
  あなたを返してと 私は書く

  一本の鉛筆があれば
  八月六日の朝と書く
  一本の鉛筆があれば
  人間のいのちと 私は書く

 作曲:佐藤勝 歌唱:美空ひばり
https://www.youtube.com/watch?v=2iennv9YhlA

 私はまだ鉛筆を捨てていないので、今年も「八月六日の朝」と書きます。今年の八月は山の日で浮かれて、マスコミはこぞって「山ガール特集」なんぞをするようです。私ももとより山は大好き。山育ちですから。
 でも、一本の鉛筆は捨てていないので「戦争はいやだ」と、私はかきます。「人間のいのち」と、書き続けたい。

 捨ててない。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「世界仲良しGive Peace a Chance」

2016-08-03 00:00:01 | エッセイ、コラム
20160803
ぽかぽか春庭ことばの知恵の輪>葉月のことば(1)世界仲良しGive Peace a Chance

 ある小学校での出来事だという。
 クラスの標語を「平和な学級にしよう」と決めて、黒板の上に張り出した。校長が眉をしかめた。文科省から「中立的な指導をする」ことが求められているから、と校長は言うのだ。
「『平和』というのを掲げると思想的政治的に受け取られかねないから、『仲のよい学級にしよう』にしなさい」
 担任は「指導」された通り、「仲のよい学級にしよう」に変えた。
 どこの小学校と名前が記されていなかったので、単なるウワサなのかもしれません。不確定情報を取り上げてすみません。でも、昨今の世の中ではいかにもありそうな話ではないですか。

 いったいいつから「平和」という語が「思想的」「政治的」であって「中立的ではない」となったのだろうか。きっとまもなく「平和を守ろう」などというと「非中立的非国民」と呼ばれるようになるのかもしれない。
 私はヤワな人間で、「平和などと言う人には配給の米を渡せません」と隣組の組長さんに言われると「はい、世界平和などと言わずに、世界仲良しと言います」なんて、すぐに日和ってしまいそうだから、まだ「平和」と口にしただけでは逮捕されない今のうちに言っておきます。
 へいわ、へいわ、へいわ、平和、、、、、

 世間には、「ヘイワヘイワと唱えてさえいれば、北からミサイルも飛んでこず、南の諸島を戦艦がうろうろすることもない、とでも思っているヤカラがいる。ヘイワと唱えてミサイルを撃墜できるものならやってみろ」と、平和を唱える者たちにことばの匕首をつきつけ、鬼の首でもとったように非難する人々も大勢います。確かに、唱えているだけでは何も変わらないのかもしれません。
 しかし、平和を願い、祈り続ける者が確かに存在することは事実。かすかにでも祈りの声を発したいので、唱えます。祈ります。
 私は「葉月は平和を祈る月」として過ごしてきました。この葉月に、私は唱え続けるのです。へいわ、ヘイワ、平和を我らに!!
   
Give Peace a Chance  by John Lennon (春庭拙訳)
Official Video  https://www.youtube.com/watch?v=0yU0JuE1jTk

one, two,one two three four!
Ev'rybody's talkin' 'bout
Bagism, Shagism, Dragism, Madism, Ragism, Tagism
This-ism, that-ism, ism ism ism
All we are saying is give peace a chance
All we are saying is give peace a chance

1,2,3,4!
みんなあれこれ話してる
バッギズム シャギズム ドラッギズム マッディズム ラッギズム タッギズム
この主義 あの主義 主義 主義 主義
言いたいことのすべては、平和をくれってことだけだ
我らに平和を、ただそれだけ!

(C'mon)
Ev'rybody's talkin' 'bout
Minister, Sinister, Banisters and Canisters,
Bishops, Fishops, Rabbis, and Pop Eyes, Bye bye, Bye byes
All we are saying is give peace a chance
All we are saying is give peace a chance

いくぜ!
みんなあれこれ話してる。
ミニスター(閣僚)、シニスター(紋章)、バニスターズ(手すり)とキャニスターズ(茶筒)ビショップ(司教)フィショップ(魚屋、すなどる者キリスト者)ラビーズ(ユダヤ教ラビ)ポップアイズ(ぎょろ目。ポパイ(ほうれん草好きな水兵)たち)バイバイバイ
俺たちが言いたい全部は、平和をくれっことだけだ
我らに平和を、ただそれだけ!
 
(Let me tell you now)
Ev'rybody's talkin' 'bout
Revolution, Evolution, Masturbation, Flagellation, Regulation,
Integrations, meditations, United Nations, congratulations
All we are saying is give peace a chance
All we are saying is give peace a chance


今こそ言わせてくれ
みんなあれこれ話してる
レリューション(革命)、エボリューション(発展)、マスターベーション(自慰)、フラグレーション(ムチ打ち刑、とくに我が身を自分でむち打つこと)、レギュレーション(規制)、インタギュレーションズ(統合タチ)、メディテーション(瞑想録タチ)、ユナイテッドネーション(国連タチ)、コングラッチュレーションズ(祝辞タチ!)
言うことのすべては、平和の可能性ってことだけだ
我らに平和を、ただそれだけ!
 
Ev'rybody's talkin' 'bout
John and Yoko, Timmy Leary, Rosemary,
Tommy Smothers, Bobby Dylan, Tommy Cooper,
Derek Taylor, Norman Mailer, Alan Ginsberg, Hare Krishna
Hare Hare Krishna
All we are saying is give peace a chance
All we are saying is give peace a chance
(Repeat 'til the tape runs out)

みんな言っている
ジョンとヨーコ ティモシー・リアリー ローズマリー トミー・スマザーズ ボブ・ディラン トミー・クーパー  デレック・テイラー ノーマン・メイラー アレン・ギンズバーグ ハーレ・クリシュナ ハーレ ハーレ・クリシュナ
言いたいことのすべては、平和をくれってことだけだ
我らに平和を、ただそれだけ!

・Bagism≒bag(袋)に入れられた象を外から見たら、ただの帽子に見えるように、心の目で見なければ、中身の判別はできない。(by Saint-Exupéry Le Petit Prince, The Little Prince)。オノヨーコは、サン=テグジュペリ著「星の王子様」のテーマ「心で見ないと物事はよく見えない。肝心なことは目に見えない」から着想を得て造語。ヨーコとジョンがいっしょに袋に入り、外見を袋に隠すことで、彼らの本質がわかる、とするパフォーマンスを行った。
・Shagism≒日本語でShaggyHairシャギィヘアは、切りそろえずにもしゃもしゃにカットした髪型。英語の元の意味は、あら毛,むく毛,もつれ毛.、(織物の)けば.局所のヘア。局所のヘアをもつれ合わせることから、Shagとは「性行為」という意味のスラング。
・Dragism,≒一説には、Dragとは、引きずるという意味。パソコン用語ではドラッグもおなじみになったけれど、元の英俗語では、ドラッグクイーンが長いドレスの裾を引きずるところから、女装趣味を表す。また一説には、ドラッグの使用を自由意志で行うということ。
・Madism≒発狂した。馬鹿げた。
・Ragism≒Ragはボロ切れの意味。ボロを纏うこと。
・Tagism≒Tagは札の意味。札を揚げて主張すること。

「平和」を口にするのに、ヨーコ&ジョンを持ち出すのは、「平和」と唱えることが「思想的政治的」としてとがめ立てられそうになったとき、ビートルズの歌詞を引用しただけ、と、逃げ口上を用意しておくため、すなわち臆病者の小さな逃げ道。
 もっとも英語にヨワイ春庭なので、ジョンの歌詞の意味がよくわかっていない。

 「平和」と唱えていけない世の中となったら、この語Pieceを「仲良し」に変換して読んでください。
「私が言いたいことのすべては、give なかよし a chance!

<つづく>
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ぽかぽか春庭「ご無沙汰しました」

2016-08-02 00:00:01 | エッセイ、コラム
20160802
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2016十六夜さまよい日記8月(1)ご無沙汰しました

 5月6月7月と3ヶ月間「春庭Annexカフェ・ラ・パンセソバージュ」の掲載をお休みしました。
 2003年にOCNカフェでブログを書くようになって以来、数日間、また1,2週間の休載はあったけれど、3ヶ月間全くブログ更新をしなかったことはなかったので、春庭の健康状態をご心配くださった方もいらして、ありがたいことでした。春庭自身は、「年中ヒマなく太りすぎ&年中無休のボケ頭」付きの一病息災にてすごしてまいりました。せっかくヤンゴン滞在中に10Kgのダイエットができたのに、帰国後はたちまちリバウンド。順調に元に戻っております。

 「休載の事情はどうあれ、出来るだけ早く再開せよ」とのブログ仲間からのメールもいただきました。励ましありがとうございました。
 お休みの間に、息子が「窓十」へのグレードアップを設定してくれました。今までの窓八とどこがどう違うのかよくわかりませんけれど、今後も時々はお休みをしつつ、よしなしごとを思いつくままに書きちらしていきますので、おつきあい願えれば幸いです。

 まだ体重は順調に増え続けているものの、頭の働きはまだまだ、、、、おっと、頭の働かないことはもとからでしたけど、、、、やすみやすみしながら進んでいきたいです。
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