ぽかぽか春庭日常茶飯事典>21世紀日記新年(3)おめでとう
おめでたい三が日、我が一族郎党、新年いっそうのおめでたがありました。姉の長女みかんの長女ミューズが結婚出産することになったのです。
みかんは介護士の国家資格をとり、長く介護施設で働いています。私の姉が54歳で早々に旅だってしまったとき、幼くてばあばがいなくなることが理解できなかった末っ子3女ユズも早22歳、次女アンズは23歳。長男リューズは25歳。長女ミューズ26歳。姉の孫達みな大きくなりました。みかんのがんばりを姉も天国から誉めていると思います。
料理自慢だった姉でしたが、みかんにあまり料理を仕込むことなく旅だちました。しかしみかんも料理の腕をあげ、心尽くしのごちそう、みかん手作りのローストビーフも豚角煮も、大根甘酸漬けもとても美味しかったです。

みかん長女ミューズは看護師となりました。医療関係者には、2020年たいへんな年でしたが、そんな中でもさすが若者、しっかり恋を実らせ、昨年入籍、この夏には出産となった、との報告がありました。ミューズは新年も3日から病院勤務なので、2日に新年会を兼ねての婿殿紹介の集まりをすると。コロナで結婚式を取りやめたカップルも多いという時代ですが、若い二人の門出を祝いたく思いました。
「外出をひかえて」という大音声に、親元への帰省も遠慮するという正月ですが、一生一度の結婚の報告新年会、大めに見てくださいませ。姉のかわりにお祝いしたいと出掛けてきました。
コロナ外出自粛以来、妹の桃に会うのも久しぶり。私は反ひきこもりをやり通して出掛けていましたが、妹も姪も仕事のほかは巣ごもりしていたので,
しばらくはメールのみの連絡でした。
妹夫婦は昨年秋に生まれた5人めの孫の世話で過ごしています。妹の夫てっちゃんは定年退職後に再就職する気持ちを持っていたのに、このご時世で難しい。エンジニアなのに高い技術力がもったいない。在職中は何度も特許をとり会社に貢献したのに、特許は会社のものになり、60歳定年後5年の嘱託勤務も終了。
ゆずは、姉が看護師として働く姿に感化され、病院で働きながら看護学校に通い、看護師免許を取ろうとがんばっています。
ミューズに赤ちゃんが産まれれば、私は大大叔母さん。亡き姉には初の曽孫です。
みかんは介護の仕事について、たいへんだけどやり甲斐があると語り、これからもっと必要になる職業なのに、給与水準が低いために、若い世代はやりたがない。政府は、コロナで職を失った人を介護職に回せばいい、くらいにしか考えていないけれど、介護職も看護師免許と同じように介護学校を卒業させてきちんとした専門職にしなければだめだ、という考えを述べていました。
看護師と教師は明治の初めから専門職として扱い、給与水準もそれなりに高くしたのに、子供の世話をする保育士と学童指導員、そして年寄りの世話をする介護士は、これまで女性が家庭内で行う無償労働だと見なされてきたから、政府は資格と給与を教師並に引き上げてこなかった。女性が輝く社会にするとかいうなら、女性が働き易い社会にすべきだし、そのためには保育園学童保育、介護施設をもっと充実させて、職員の給与もひきあげなければ、女性が耀くにはほど遠いと、妹桃もぶち上げる。私もそう思う。
日本語教師も同じ。日本語教育能力検定試験の合格率は20%前後で、毎年5000人が受験して合格者は1000人程度の大変難度の高い資格であることが、この30年かかってようやく世間にも周知されるようになってきたのです。それでもまだ、仕事の関係で市役所職員や地方議員に会わなければならないとき、なんだ日本語教師か、日本語なんて日本語しゃべれるならだれでも出来るだろう的な目で見られるこ とも多い。
そんなとき威力バツグンなのが、名刺の名前の横に続く博士の二文字。日本語はだれでも教えられるといまだに思っている地方議員でも、博士には簡単にはなれないと思っているおかげで、ようやく「日本語教師しかもたかが女」という、上から目線で話していた口調が変わるのです。人の価値は決して二文字の肩書きにあるのではないのに。
私の博士号は、「は」に点々がついている「ばかせ号」はなんですが。それでも「博士なんて今どきだれでも取れる」という人には、じゃああんたも取ってみればいいさ、といえる。それくらいにしか役にたたない飾りですが、たかが飾りを認めてくれる世の中ではある。
ミカンや桃が、学童指導員や介護士資格をもっとしっかりしたものにすべきだ、というのも同じです。世間や政府が、コロナで仕事失ったら介護職にでも回しとけ、という方針である限り、日本はよくならない。
エンジニア職を定年退職したてっちゃんが職安に行ってみると、職を失った中高年男性にまず勧められるのが、介護職。とりあえずあてがえば、失業率は低くおさえられる。しかもきちんとした研修もしない施設に送り込まれた中高年はたちまち腰を痛め、お下の世話に耐えられず、低い収入にねをあげる。
保育士をしていた桃の長女リンゴは、腰を痛めてしまい1人目出産ごは別のしごとについていました。昨年秋に二人目の出産を終えて職に復帰しようと、保育園に申し込みをしたけれど、落ちました。桃は、「保育園落ちた日本シネ」はまったく変わっていないとなげいていました。
コロナで留学生が減ったから教職員の給与を二割カット八割支給とされた我が日本語学校の2021も明るい見通しはありません。今年コロナ対策がきちんとできても、留学生来日数がもどるのは再来年になります。それまでこの給与かと思うと、気分も沈みますが、教室では明るく楽しく授業を続けます。
ミカンもミューズも頑張って働いてね。看護師学校にかよいながら病院アルバイトをしている頑張り屋のユズ、体に気を付けて。リンゴ、つぎの保育園受かるといいね。
保育園落ちたけど、ニッポン生きよ。生きてゆけ!!
<つづく>