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ぽかぽか春庭「おめでとう」

2021-01-05 00:00:01 | エッセイ、コラム
20210105

ぽかぽか春庭日常茶飯事典>21世紀日記新年(3)おめでとう

 おめでたい三が日、我が一族郎党、新年いっそうのおめでたがありました。姉の長女みかんの長女ミューズが結婚出産することになったのです。

 みかんは介護士の国家資格をとり、長く介護施設で働いています。私の姉が54歳で早々に旅だってしまったとき、幼くてばあばがいなくなることが理解できなかった末っ子3女ユズも早22歳、次女アンズは23歳。長男リューズは25歳。長女ミューズ26歳。姉の孫達みな大きくなりました。みかんのがんばりを姉も天国から誉めていると思います。
料理自慢だった姉でしたが、みかんにあまり料理を仕込むことなく旅だちました。しかしみかんも料理の腕をあげ、心尽くしのごちそう、みかん手作りのローストビーフも豚角煮も、大根甘酸漬けもとても美味しかったです。



 みかん長女ミューズは看護師となりました。医療関係者には、2020年たいへんな年でしたが、そんな中でもさすが若者、しっかり恋を実らせ、昨年入籍、この夏には出産となった、との報告がありました。ミューズは新年も3日から病院勤務なので、2日に新年会を兼ねての婿殿紹介の集まりをすると。コロナで結婚式を取りやめたカップルも多いという時代ですが、若い二人の門出を祝いたく思いました。
 「外出をひかえて」という大音声に、親元への帰省も遠慮するという正月ですが、一生一度の結婚の報告新年会、大めに見てくださいませ。姉のかわりにお祝いしたいと出掛けてきました。

 コロナ外出自粛以来、妹の桃に会うのも久しぶり。私は反ひきこもりをやり通して出掛けていましたが、妹も姪も仕事のほかは巣ごもりしていたので,
しばらくはメールのみの連絡でした。
 妹夫婦は昨年秋に生まれた5人めの孫の世話で過ごしています。妹の夫てっちゃんは定年退職後に再就職する気持ちを持っていたのに、このご時世で難しい。エンジニアなのに高い技術力がもったいない。在職中は何度も特許をとり会社に貢献したのに、特許は会社のものになり、60歳定年後5年の嘱託勤務も終了。

 ゆずは、姉が看護師として働く姿に感化され、病院で働きながら看護学校に通い、看護師免許を取ろうとがんばっています。
 ミューズに赤ちゃんが産まれれば、私は大大叔母さん。亡き姉には初の曽孫です。
みかんは介護の仕事について、たいへんだけどやり甲斐があると語り、これからもっと必要になる職業なのに、給与水準が低いために、若い世代はやりたがない。政府は、コロナで職を失った人を介護職に回せばいい、くらいにしか考えていないけれど、介護職も看護師免許と同じように介護学校を卒業させてきちんとした専門職にしなければだめだ、という考えを述べていました。

 看護師と教師は明治の初めから専門職として扱い、給与水準もそれなりに高くしたのに、子供の世話をする保育士と学童指導員、そして年寄りの世話をする介護士は、これまで女性が家庭内で行う無償労働だと見なされてきたから、政府は資格と給与を教師並に引き上げてこなかった。女性が輝く社会にするとかいうなら、女性が働き易い社会にすべきだし、そのためには保育園学童保育、介護施設をもっと充実させて、職員の給与もひきあげなければ、女性が耀くにはほど遠いと、妹桃もぶち上げる。私もそう思う。

 日本語教師も同じ。日本語教育能力検定試験の合格率は20%前後で、毎年5000人が受験して合格者は1000人程度の大変難度の高い資格であることが、この30年かかってようやく世間にも周知されるようになってきたのです。それでもまだ、仕事の関係で市役所職員や地方議員に会わなければならないとき、なんだ日本語教師か、日本語なんて日本語しゃべれるならだれでも出来るだろう的な目で見られるこ とも多い。

 そんなとき威力バツグンなのが、名刺の名前の横に続く博士の二文字。日本語はだれでも教えられるといまだに思っている地方議員でも、博士には簡単にはなれないと思っているおかげで、ようやく「日本語教師しかもたかが女」という、上から目線で話していた口調が変わるのです。人の価値は決して二文字の肩書きにあるのではないのに。

 私の博士号は、「は」に点々がついている「ばかせ号」はなんですが。それでも「博士なんて今どきだれでも取れる」という人には、じゃああんたも取ってみればいいさ、といえる。それくらいにしか役にたたない飾りですが、たかが飾りを認めてくれる世の中ではある。

 ミカンや桃が、学童指導員や介護士資格をもっとしっかりしたものにすべきだ、というのも同じです。世間や政府が、コロナで仕事失ったら介護職にでも回しとけ、という方針である限り、日本はよくならない。

 エンジニア職を定年退職したてっちゃんが職安に行ってみると、職を失った中高年男性にまず勧められるのが、介護職。とりあえずあてがえば、失業率は低くおさえられる。しかもきちんとした研修もしない施設に送り込まれた中高年はたちまち腰を痛め、お下の世話に耐えられず、低い収入にねをあげる。

保育士をしていた桃の長女リンゴは、腰を痛めてしまい1人目出産ごは別のしごとについていました。昨年秋に二人目の出産を終えて職に復帰しようと、保育園に申し込みをしたけれど、落ちました。桃は、「保育園落ちた日本シネ」はまったく変わっていないとなげいていました。

 コロナで留学生が減ったから教職員の給与を二割カット八割支給とされた我が日本語学校の2021も明るい見通しはありません。今年コロナ対策がきちんとできても、留学生来日数がもどるのは再来年になります。それまでこの給与かと思うと、気分も沈みますが、教室では明るく楽しく授業を続けます。

 ミカンもミューズも頑張って働いてね。看護師学校にかよいながら病院アルバイトをしている頑張り屋のユズ、体に気を付けて。リンゴ、つぎの保育園受かるといいね。
保育園落ちたけど、ニッポン生きよ。生きてゆけ!!

<つづく>
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ぽかぽか春庭「ステイホーム年末年始」

2021-01-03 00:00:01 | エッセイ、コラム
20210103
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>21世紀日記丑年新年(3)ステイホーム年末年始

 大晦日夕方はスーパーへ買い出しに。いつも通り、半額シールのついた商品を探すも、正月はみな大盤振る舞いで買い物するせいか、あまり半額物はなし、1割引きのものを買う。八百屋に寄ったら年末店じまいの品をあれこれ買わされる。八つ頭とか、娘は食べないセロリとか。紅白歌合戦を聞きながら、八つ頭を茹でる。小松菜ほうれん草は大量に買わされたので、茹でて冷凍。

 2021亜年の目標も、10年一日ダイエットですが、何しろ大食いの娘といっしょに何でも食べる。毎食後のデザートはもとより、休日には自由か丘スイーツフォレストにも足を運び、、、こりゃ今年も望み薄。



 1月1日の0時から2時まで妹と年始トークをしていて、妹は皆から「やせた」と言われるのだけれど、それは年取って顔がやつれたからで、体重は減っていないと愚痴を聞かされる。我が家の遺伝子、痩せるDNA欠乏症。DNAのほか、金欠症DNAも。お互い金欠の愚痴をこぼし合って、それでも生きてるだけで大もうけと言い合う。

 妹は大病もして「死ぬところだったのに生かされているのだから、生きてるだけでありがたい。恩返しと思って、ほら、あの国の学校を作る資金を送金しているんだよ、あれ、あの国どこだっけ、国名が出てこない、、、子供に食べるものもなくて学校も行けなくて、地震で大勢死んだんだよ、、、、」「ふむふむ、バングラディシュあたりか」「そうそう、そこ」

 今年72歳になる姉と69歳の妹の会話は「あれ、ほらあれなんだっけ」で延々続く。
 電話したのは、1月2日の姉の長女の家への御年始の相談。姪の長女が結婚出産の運びとなった、という連絡があり、婿殿との顔合わせを新年にすると連絡があったのだけれど、コロナの世相なので、結婚式はしない、という。そうなると、結婚祝いを持っていったほうがいいのかどうか、という相談を妹にしたかったのに、結論はでないまま新年開始。
 
 2021年、めでたい結婚出産話から始まって、きっといい年になると思います。
2日夜はタカ氏と娘に、お節風夕ご飯を出したのだけれど、水分量調節のため、お雑煮のお餅は食べるけれど汁は飲まずに捨てると言う。
お茶の量も制限があるし、透析生活はたいへんです。これまでの不摂生が悪いのでしかたないですが、本人はまじめに水分量調節に励んでいるので、じゃあもっと前から健康生活に目覚めていればよかったのに、というのは、少々酷な気がしてしまいます。
私も、今以上に健康に留意してすごします。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「牛はどこまでも歩く」 

2021-01-02 00:00:01 | エッセイ、コラム
20210102
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2021二十一世紀日記丑年新年(2)

 2021年もコロナ感染拡大やまず、というニュースから始まった新年。
 どうなるんでしょう、今年は。
 よい年にしたいし、せっかく席がとれたのに延期延期になってしまっている真央ちゃんのアイスショーも見たいし、願い事は山ほどですが、丑年ですから、ゆっくり一歩ずつ進んでいきましょう。
 丑年の最初に掲げる高村光太郎の「牛」を、6回目の年女記念として掲げます。

 上村淳之

牛はのろのろと歩く
牛は野でも山でも道でも川でも
自分の行きたいところへは
まっすぐに行く
牛はただでは飛ばない、ただでは躍らない
がちり、がちりと
牛は砂を堀り土を掘り石をはねとばし
やっぱり牛はのろのろと歩く
牛は急ぐ事をしない
牛は力一ぱいに地面を頼って行く
自分を載せている自然の力を信じきって行く
ひと足、ひと足、牛は自分の道を味わって行く
ふみ出す足は必然だ
うわの空の事でない
是でも非でも
出さないではいられない足を出す
牛だ
出したが最後
牛は後へはかえらない
足が地面へめり込んでもかえらない

そしてやっぱり牛はのろのろと歩く
牛はがむしゃらではない
けれどもかなりがむしゃらだ
邪魔なものは二本の角にひっかける
牛は非道をしない
牛はただ為たい事をする
自然に為たくなる事をする
牛は判断をしない
けれども牛は正直だ
牛は為たくなって為た事に後悔をしない
牛の為た事は牛の自身を強くする
それでもやっぱり牛はのろのろと歩く
どこまでも歩く

自然を信じ切って
自然に身を任して
がちり、がちりと自然につっ込み食い込んで
遅れても、先になっても
自分の道を自分で行く
雲にものらない
雨をも呼ばない
水の上をも泳がない
堅い大地に蹄をつけて
牛は平凡な大地を行く
やくざな架空の地面にだまされない
ひとをうらやましいとも思わない
牛は自分の孤独をちゃんと知っている
牛は食べたものを又食べながら
じっと淋しさをふんごたえ
さらに深く、さらに大きい孤独の中にはいって行く
牛はもうとないて
その時自然によびかける
自然はやっぱりもうとこたえる
牛はそれにあやされる

そしてやっぱり牛はのろのろと歩く
牛は馬鹿に大まかで、かなり無器用だ
思い立ってもやるまでが大変だ
やりはじめてもきびきびとは行かない
けれども牛は馬鹿に敏感だ
三里さきのけだものの声をききわける
最善最美を直覚する
未来を明らかに予感する
見よ
牛の眼は叡知にかがやく
その眼は自然の形と魂とを一緒に見ぬく
形のおもちゃを喜ばない
魂の影に魅せられない
うるおいのあるやさしい牛の眼
まつ毛の長い黒眼がちの牛の眼
永遠を日常によび生かす牛の眼
牛の眼は聖者の眼だ
牛は自然をその通りにぢっと見る
見つめる
きょろきょろときょろつかない
眼に角も立てない
牛が自然を見る事は自然が牛を見る事だ
外を見ると一緒に内が見え
内を見ると一緒に外が見える
これは牛にとっての努力じゃない
牛にとっての当然だ

そしてやっぱり牛はのろのろと歩く
牛は随分強情だ
けれどもむやみとは争わない
争はなければならない時しか争わない
ふだんはすべてをただ聞いている
そして自分の仕事をしている
生命をくだいて力を出す
牛の力は強い
しかし牛の力は潜力だ
弾機ではない
ねじだ
阪に車を引き上げるねじの力だ
牛が邪魔者をつっかけてはねとばす時は
きれ離れのいい手際だが
牛の力はねばりっこい
邪悪な闘牛者の卑劣な刃にかかる時でも
十本二十本の槍を総身に立てられて
よろけながらもつっかける
つっかける
牛の力はかうも悲壮だ
牛の力ははうも偉大だ

それでもやっぱり牛はのろのろと歩く
何処までも歩く
歩きながら草を食ふ
大地から生えてゐる草を食ふ
そして大きな体を肥やす
利口で優しい眼と
なつこい舌と
かたい爪と
厳粛な二本の角と
愛情に満ちた鳴き声と
すばらしい筋肉と
正直な涎を持った大きな牛
牛はのろのろと歩く
牛は大地をふみしめて歩く
牛は平凡な大地を歩く

 こんな理想の牛にはほど遠いけれど、のろのろと大地を踏みしめて、平凡な大地を歩いて行きます。

 1ヶ月に10枚、3日に1枚送り続けている青い鳥さんへの絵ハガキ、今月末には1180枚になります。去年のテーマカラーは赤でし。赤を基本にしてマティスの「赤い部屋」など120枚の絵ハガキに毎回日常茶飯の出来事や絵の解説を書いて送りました。青い鳥さんは、私が「Still Alive生存証明」として送る葉書の受け取り人ボランティアです。

 今年のテーマカラーはオレンジ色。オレンジ色の絵ハガキ、もう120枚用意してあります。1月10日に送る1枚は、2020年末に娘と訪れたいわさきちひろを美術館で買い求めた「毛糸を編む少女」、青い鳥さん、あったかい気持ちになってくれるかしら。


 大雪の予報が出ています。みなさま、暖かくしておすごしください。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「牛年の絆をあなたと」

2021-01-01 00:00:01 | エッセイ、コラム
20210102
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>21世紀日記新年(1)牛年の絆をあなたと

 あけましておめでとうございます。
 明けて2021年。
 今頃21世紀を標榜するのもマヌケな話ですが、2021年の日記タイトルは20年経ってからの21世紀日記といたします。

 10歳の私が21世紀というのはどんなすごい未来になっているんだろうと想像したその未来になって、あっと言う間に20年。管理社会化はどんどん進み、格差は広がる一方の世の中。10歳の私には、情報化がこれまで進むとは想像できませんでした。想像出来たのは、腕時計が電話になるということくらい。先日腕時計をタッチして改札を通り抜ける人を見ました。腕時計が財布にも電車パスにもナンにでもなっているらしい。

 留学生の話だと、今中国で開発が進んでいるのは顔認証システム。コンビニも空港も、顔認証だけで出入りでき、機械が認証した顔の登録銀行から引き落としされるのでレジで支払いする必要も無い、という実証実験が進んでいるのだそうです。

 私は学生に、それが完成したら政府は15億人が毎日どこからどんな収入を得てどんな消費をするのか、どこに行って何をするのかすべて把握するってことになるっていうことだって、みんなわかっているのかなあ、と言いましたが、国民は便利になることしか考えていない、という返答でした。
 
 マイナンバーに保険証機能を持たせるとか、政府からの給付金を受け取る銀行を1本化して登録するなどと政府が打ち出したのも同じ流れでしょうが、こうしてジワジワと囲い込みは進み管理社会化は完成していく。めでたき21世紀。いいけどね。私世代はもうすぐ消えるから。でもあと30年は世の中の移り変わりを見ていたい。
 元日は、管理社会への一里塚めでたくもありめでたくもなし。

 というオメデタイ21世紀日記の始まりです。どうぞよろしくお願い申し上げます。
 めでたくも、今年は6回目の年女。
 女子校クラスメートのやっちゃんから電話がきて年末トークを長々としたときも、「こんな年齢になるなんて、17歳のときには想像もしていなかった」という高齢者アルアル話になりました。ふたりで話せば、気分はいつでも17歳の女子高生なんですけれど。
 年をとると、家族だけじゃなく、友達や仲間も大切な絆と感じます。
 今年も皆様との絆を大切に。

 絆という漢字の字源解説をしたとき、牛がくびきにつながれていることを表していると書きました。くびきで繋がれ、拘束されることが「絆」であると。
 で、 腎臓透析を受ける生活になった夫との「絆」を表す、こんな画像で今年も始まります。


<つづく>
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