瓜連城跡は、那珂市役所の北北西約6km、JR水郡線うりつら駅の北東500m
佐竹寺から南西に県道61号線を進み、久慈川を渡って河岸段丘の丘に登ると
右側に、常福寺が有ります、ここが嘗ての瓜連城の跡です
大きな山門が有ります、駐車スペースは山門を入って右側に有りました
山門前に史跡瓜連城址石碑が有ります
参道です、大きな杉の切株が並んでいます
参道の左手に説明版が有ります
県指定史跡 瓜連城跡
指定年月日 昭和九年十二月十八日
所 在 地 那珂市大字瓜連字入門前1221~1222番地
管 理 者 常福寺
延元元年(1336年)正月、南北朝騒乱のさなかに、南朝の忠臣 楠正成の一族 楠正家がこの地によって約一年間、北朝方の
佐竹氏と戦った。
正家は同年十二月、佐竹勢に包囲され、那珂城主 那珂五郎通辰の援護のもとに応戦したが、佐竹義篤に敗れ、廃城となった。
現在、常福寺の境内となっている所が、瓜連城の本丸跡とされている。
土塁と堀は比較的よく保存され、北東面は急な崖となっておりその下の水田面との標高差は二十メートルである。
土塁は二段に構築され所々に一種の小さな出丸(武者溜)のような平坦なところがある。
また、区域内には数多くの土塁の残存遺構がみられ、これらを外郭と考えると、東西南北それぞれ七〇〇メートルほどになり
大規模な城郭であったことが想像できる。
常福寺
宗 派 浄土宗常陸総本山
国指定重要文化財 紙本着色拾遺古徳伝
絹本着色法然上人画像
延元年間、了実上人が春日川のほとり(瓜連白蓮塚付近)に創建したと伝えられ 佐竹義篤は、寺地、仏供料を寄進して祈願所とした。
元中五年(1388年)類焼にあい、その後間もなく ここ瓜連城跡に再建された。
宝徳四年(1452年)後花園天皇の勅願所となり、慶長二年(1602年)徳川家康から寺領百石の御朱印を賜り、関東十八壇林の
一つに列せられた。
旧暦九月二十六日には、常福寺二世了誉上人の遺徳をしのび、二十六夜尊(六夜さん)の大法要が毎年行われている。
那珂市教育委員会
鐘楼です
手水舎です
本堂です
十六夜さん
宝物殿です
本堂裏側に遺構を見に行きましょう
広い郭の周りに土塁が残ります
木立の中にも土塁が残ります
土塁の切れ間が有ります
腰廓の様に中段に郭が残ります
斜面は急です
土塁の北側隅に稲荷様が有ります
源太稲荷の説明版です
大きな堀切です、西側の郭との境に成っています
竹藪の刈り払いが行われて、保存状態は良好です
土塁の上を戻ります
では、次へ行きましょう
佐竹寺から南西に県道61号線を進み、久慈川を渡って河岸段丘の丘に登ると
右側に、常福寺が有ります、ここが嘗ての瓜連城の跡です
大きな山門が有ります、駐車スペースは山門を入って右側に有りました
山門前に史跡瓜連城址石碑が有ります
参道です、大きな杉の切株が並んでいます
参道の左手に説明版が有ります
県指定史跡 瓜連城跡
指定年月日 昭和九年十二月十八日
所 在 地 那珂市大字瓜連字入門前1221~1222番地
管 理 者 常福寺
延元元年(1336年)正月、南北朝騒乱のさなかに、南朝の忠臣 楠正成の一族 楠正家がこの地によって約一年間、北朝方の
佐竹氏と戦った。
正家は同年十二月、佐竹勢に包囲され、那珂城主 那珂五郎通辰の援護のもとに応戦したが、佐竹義篤に敗れ、廃城となった。
現在、常福寺の境内となっている所が、瓜連城の本丸跡とされている。
土塁と堀は比較的よく保存され、北東面は急な崖となっておりその下の水田面との標高差は二十メートルである。
土塁は二段に構築され所々に一種の小さな出丸(武者溜)のような平坦なところがある。
また、区域内には数多くの土塁の残存遺構がみられ、これらを外郭と考えると、東西南北それぞれ七〇〇メートルほどになり
大規模な城郭であったことが想像できる。
常福寺
宗 派 浄土宗常陸総本山
国指定重要文化財 紙本着色拾遺古徳伝
絹本着色法然上人画像
延元年間、了実上人が春日川のほとり(瓜連白蓮塚付近)に創建したと伝えられ 佐竹義篤は、寺地、仏供料を寄進して祈願所とした。
元中五年(1388年)類焼にあい、その後間もなく ここ瓜連城跡に再建された。
宝徳四年(1452年)後花園天皇の勅願所となり、慶長二年(1602年)徳川家康から寺領百石の御朱印を賜り、関東十八壇林の
一つに列せられた。
旧暦九月二十六日には、常福寺二世了誉上人の遺徳をしのび、二十六夜尊(六夜さん)の大法要が毎年行われている。
那珂市教育委員会
鐘楼です
手水舎です
本堂です
十六夜さん
宝物殿です
本堂裏側に遺構を見に行きましょう
広い郭の周りに土塁が残ります
木立の中にも土塁が残ります
土塁の切れ間が有ります
腰廓の様に中段に郭が残ります
斜面は急です
土塁の北側隅に稲荷様が有ります
源太稲荷の説明版です
大きな堀切です、西側の郭との境に成っています
竹藪の刈り払いが行われて、保存状態は良好です
土塁の上を戻ります
では、次へ行きましょう