石塚城跡は、城里町役場の北約1km、役場のある台地の北の端に有ります
国道123号線と県道61号の交差点の北側の住宅地の細い道を東へ入ります
突き当りを北へ進むと
説明版の前に出ました
石塚城跡
面積 約1ヘクタール
年代 南北朝時代・戦国時代
佐竹氏第十代義篤の二男佐竹宗良は、所領の石塚に石塚城をを築城し、石塚氏と称し、南北朝期から戦国時代の
末期まで当地方を統治してきた。
佐竹氏が秋田へ国替えとなったので、石塚氏もこれに従って秋田へ移り石塚城は廃城となった。
その城跡は、小字御城、御城東、根小屋に及ぶ広大なものであり、土塁や堀跡などその一部が残っている。
城里町教育委員会
説明版の前には堀跡らしき、窪地が有ります、こちらは南側
こちらは東側です
北側に進みます
西側の郭は笹薮です
北へ進む路の西側には堀跡が確認できますが笹に覆われています
笹で堀はいっぱいです
廓の入口です、土橋状に成っています
廓の中は畑として利用されているのでしょうか、耕されています
廓の南側にも堀跡が有りますが、土塁は有りません
西側は杉林に成っています
廓と杉林の間にも堀が有ります
土橋を戻って東へ進むと、畑の向こうに墓地が広がっています、東側の郭の様です。
では、次へ行きましょう
国道123号線と県道61号の交差点の北側の住宅地の細い道を東へ入ります
突き当りを北へ進むと
説明版の前に出ました
石塚城跡
面積 約1ヘクタール
年代 南北朝時代・戦国時代
佐竹氏第十代義篤の二男佐竹宗良は、所領の石塚に石塚城をを築城し、石塚氏と称し、南北朝期から戦国時代の
末期まで当地方を統治してきた。
佐竹氏が秋田へ国替えとなったので、石塚氏もこれに従って秋田へ移り石塚城は廃城となった。
その城跡は、小字御城、御城東、根小屋に及ぶ広大なものであり、土塁や堀跡などその一部が残っている。
城里町教育委員会
説明版の前には堀跡らしき、窪地が有ります、こちらは南側
こちらは東側です
北側に進みます
西側の郭は笹薮です
北へ進む路の西側には堀跡が確認できますが笹に覆われています
笹で堀はいっぱいです
廓の入口です、土橋状に成っています
廓の中は畑として利用されているのでしょうか、耕されています
廓の南側にも堀跡が有りますが、土塁は有りません
西側は杉林に成っています
廓と杉林の間にも堀が有ります
土橋を戻って東へ進むと、畑の向こうに墓地が広がっています、東側の郭の様です。
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