ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

茨城県常陸大宮市、宇留野城跡です!!

2015-01-10 16:29:54 | 城跡・館跡・陣屋跡
宇留野城跡は、常陸大宮市役所の東南東約2kmの久慈川河岸段丘上に有ります

前小屋城跡の北西わずかに約1kmの場所に成ります

西側の市道にも土塁が残っているようですが、住宅地化が進んでしまって、良く解りません


中城の土塁の斜面に、宇留野城跡概念図があります

車道を登って行きますが軽自動車ならば奥まで入って行けそうです

中城の中は廃品置き場に成っているようで、古タイヤが積まれています

御城へ向かいます

杉林は中城と御城の間の郭の様です

杉林を左へ回り込みます


土塁と空堀跡です、御城を囲んでいます

御城へ入ります

大明神拝殿です

本殿です

宇留野城跡説明版です

宇留野城跡
この城は、久慈川低地に突出状になっている台地の端にあり、浸蝕谷を利用して築かれた二列の連郭式の城郭である。
城館は、谷の東側にある御城や中城、外城の三つの郭と、西側に連続した四つの郭より成っている、現在、東側の部分
にあは、土塁や堀が残されているが、西側の郭部は部分的に土塁が残されているのみである。
この城の成り立ちや城主については不明の点が多く、はっきりしない。
ただ永仁五年(1297)の頃、宇留野大輔阿闍梨宏揄がいて、久慈東郡加志村(現 大宮町富岡)を一期間支配した
ことがあることから、当時宇留野を名乗る者がおり、この地に居館を持っていたと思われる。
その後、佐竹十四代義俊(1477)の子で、いったん出家した天鳳在虎が後に一般の人にかえり、この宇留野の地に
城を築き、地名を名字として宇留野氏の祖になり、それ以後代々宇留野に土着すて宇留野氏を継いで行ったようである
弘治三年(1557)に宇留野太蔵、天正十年(1582)や十九年にも宇留野源太郎、文禄二年(1593)に宇留
野源兵衛などの名前があり、佐竹氏の有力な一族であったらしいが、宇留野城主としての代数は不明である。
この城も慶長七年(1602)佐竹氏の出羽への国替えで、宇留野氏も一緒に移住し廃城となったようである。
                                       常陸大宮市教育委員会


別雷皇大神社

愛宕神社

天満神社など、立派な鳥居のある境内社が並びます

神社の参道が階段と成って谷底へ続いています

戻って、外城に行きます

中城との間の堀跡です




ヒノキの植林地n成っています、周りには土塁が残っています

では、次へ行きましょう


コメント
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