平治館跡は、城里町役場の北約2km、国道118号線の西側に続く段丘上に有ります
大山城跡の南約1.5kmほどの所に成ります
大山城跡の記事の最後の南側に有る橋の所を南に進んで、右側の段丘に登った所に有ります
平治館址の標柱です
標柱の脇に説明版が有ります
指定文化財(史跡)
平治館址
この館は元弘二年(1332年)当地方を治めていた常陸大掾高幹の世、
佐貫氏はじめて築きのち穂高平治が居住した。
天正年間頓(徳)ヶ原合戦のときは大山氏の出丸城であった。
館への入口です
館の郭内です
内部のほとんどが刈払いをされて良い状態で維持されている様です
大山城跡から上がって来た道路です
台地の上には、広い田圃が広がっています
標柱の直ぐ西側の畑です、堀跡が薮の中に残ります
西側の畑です
では、次へ行きましょう
大山城跡の南約1.5kmほどの所に成ります
大山城跡の記事の最後の南側に有る橋の所を南に進んで、右側の段丘に登った所に有ります
平治館址の標柱です
標柱の脇に説明版が有ります
指定文化財(史跡)
平治館址
この館は元弘二年(1332年)当地方を治めていた常陸大掾高幹の世、
佐貫氏はじめて築きのち穂高平治が居住した。
天正年間頓(徳)ヶ原合戦のときは大山氏の出丸城であった。
館への入口です
館の郭内です
内部のほとんどが刈払いをされて良い状態で維持されている様です
大山城跡から上がって来た道路です
台地の上には、広い田圃が広がっています
標柱の直ぐ西側の畑です、堀跡が薮の中に残ります
西側の畑です
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