大山城跡は、城里町役場の北約4km、国道123号線をきたに向かって進むと
左手奥の丘の上に御城のような建物が有ります、実は宿泊施設なのですが
此の丘が大山城跡です
丘の基部東側の宿泊施設上り口です、「大山城」の看板が立てかけられています
町指定史跡の標柱です
説明版が有ります
大山城跡
長承元年(1132)大掾(だいじょう)氏の家臣鈴木五郎高郷という者が、舘山に初めて城を築いたといわれている。
その後、貞治元年(1362)十代佐竹義篤は、四男義孝を大山村に封じた、
義孝は白を再構築、地名をとって大山氏と称し、大山氏の祖となった。
以後、九代二百三十余年間にわたって居城した。
文禄四年(1595)九代義則の時、佐竹領内知行替えで小高城(行方郡麻生町)へ移り、大山城は廃された。
城里町教育委員会
説明版の裏側から登ってみましょう
急な山道を登ります
ささが刈払われて歩きやすく成っています
宿泊施設の建物脇に登ってきました、国道から見えた建物です
左手が城跡、本丸虎口の様です
本丸です
虎口の脇の一段高い所に祠が祀られています、物見台の様です
草刈がされていて、よく管理されているようですが、木立が多くて眺めは得られません
では、次へ行きましょう
南側から眺めた館山です、国道からの眺めがより雰囲気有りです
左手奥の丘の上に御城のような建物が有ります、実は宿泊施設なのですが
此の丘が大山城跡です
丘の基部東側の宿泊施設上り口です、「大山城」の看板が立てかけられています
町指定史跡の標柱です
説明版が有ります
大山城跡
長承元年(1132)大掾(だいじょう)氏の家臣鈴木五郎高郷という者が、舘山に初めて城を築いたといわれている。
その後、貞治元年(1362)十代佐竹義篤は、四男義孝を大山村に封じた、
義孝は白を再構築、地名をとって大山氏と称し、大山氏の祖となった。
以後、九代二百三十余年間にわたって居城した。
文禄四年(1595)九代義則の時、佐竹領内知行替えで小高城(行方郡麻生町)へ移り、大山城は廃された。
城里町教育委員会
説明版の裏側から登ってみましょう
急な山道を登ります
ささが刈払われて歩きやすく成っています
宿泊施設の建物脇に登ってきました、国道から見えた建物です
左手が城跡、本丸虎口の様です
本丸です
虎口の脇の一段高い所に祠が祀られています、物見台の様です
草刈がされていて、よく管理されているようですが、木立が多くて眺めは得られません
では、次へ行きましょう
南側から眺めた館山です、国道からの眺めがより雰囲気有りです