ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

茨城県那珂市、南酒出城跡です!!

2015-01-18 18:58:13 | 城跡・館跡・陣屋跡
南酒出城跡は、那珂市役所の北約3kmの所

県道104号線から東に入った蒼龍寺の境内と

その、南側に城跡が有ります


県道の入口にある案内板です

蒼龍寺の石碑です。蒼龍寺の入口に駐車場が有ります

説明板が有ります

  南酒出城跡
所在・・那珂市酒出   築年・・天正末年  築城者・・佐竹氏

  酒出の歴史
 佐都西郡酒出郷は平安末期には佐竹氏の所領であったが、治承四年(1180)源頼朝が佐竹秀義を討伐した後
奥七郡并太田、額田ともに収公された。
 秀義はのち文治五年(1189)頼朝の奥州征伐に参陣し御家人となり、二男義茂、三男助義はそれぞれ、南酒
出氏、北酒出氏を名乗った。
 承久三年(1221)承久の乱で宇治川の戦いで南酒出氏は戦功を挙げ、その後多くの支族を分立させたが、戦
国期後半にいたりその名跡は佐竹一門の東家が受け継いだ。
  南酒出氏略系譜
 佐竹秀義―――義茂―――義俊―――義遠―――義頼―――義長―――義興―――義氏・・・・・義忠
      (南酒出氏)     (田谷氏)(森戸氏)     (白鳥氏)(町田氏)  (酒出氏)
        助義(北酒出氏)
  城の歴史と構造
 現在の残されている南酒出城跡は内宿集落より低く東に偏っており、南酒出氏の城ではなく、額田城を攻撃するため
佐竹氏が設けた付城、向城であったと考えられる。
 天正十匕年(1589)江戸重道は佐竹氏の支援を得て額田小野崎昭道と戦ったが和睦した。
 秀吉の天下統一後の同十九年佐竹氏は額田氏を攻撃して落城させ、昭道は伊達氏を頼って落ち延びた。
 城は南の谷に沿った台地縁辺部にⅠ郭、Ⅱ郭、Ⅲ郭と東西90m、南北60mの連郭式城郭の構で造られている。
 Ⅰ郭の北の堀とⅡ郭の西の堀は屈曲し横矢掛かりとなっている。
 城の北の蒼龍寺周辺も曲輪Ⅴ郭となり、城の北のⅣ郭との間には堀が東西に掘られている。

  平成25年3月                               那珂市歴史同好会


縄張り図です

一郭へ行きましょう

土塁と堀跡が残ります


林の中にも堀跡や土塁が残ります

本廓入口です

先の民家は三郭に建っています、手前には土塁が確認できます

一郭入口です、大きな土塁が有ります

入口の土橋です


両側に深い薬研掘りが伸びています

一郭です、杉林に成っています

土塁が廻っています

土塁の上を進んでみます

南側の土塁を東へ進みます

南側の谷地です

北側の四郭との間の堀跡です

一郭の中ほどに水の手が有ります

一郭北側の堀跡です

一郭北東側の櫓台のような部分です

堀の向こう側は二郭です

一郭入口へ戻ってきました

蒼龍寺に行きます、本堂です、南酒井出城の五郭の跡に建っています

枝垂れ桜です

軒下に接続した形の鐘楼です

蒼龍寺の説明版です


市天然記念物のカヤの木です

では、次へ行きましょう


コメント
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