ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

茨城県茨城町、大戸「夷針神社のスダジイ」です

2019-03-14 09:42:07 | 巨樹・大木
大戸地区は、茨城町役場の北約4kmのところ

県道40号線沿いの大戸小学校から北に入ると

南向きの長い参道の先に夷針神社が鎮座します

参道入口鳥居前に車を止めさせて頂きました


参道入り口です

村社 夷針神社です


長い並木の参道です


二の鳥居です

もうすぐです


手水舎です


拝殿です

社殿右に目的のスダジイです


本殿です


敬神の石碑が有ります
 夷針武熊大明神  縁起
 夫れ延喜式、大日本國3132座の宮社、当國28社
なる夷針神社は大戸(村)に鎮座し小社なり。
 當時那珂の里なりしも時代の変革に伴い、茨城の里に
彊を更う。
 奉安せる祭神は、興津日子命・興津比賣命の二柱にし
た、人皇第45代、聖武帝神亀2年乙丑9月29日(西
725)の創建なり。
 夷針の神は所謂竃の神にして霊験あらたかに業厚招福
・守護安體を司る神なり。
 由りて古くより、庶民の信仰を集む。
 抑々平氏の豪祖・高望玉常陸太守に任じ国府を常陸國
の平邑に建つ則ち後の国府なり。
 以来常陸大掾をして國政を監せ俾む。
 后来大掾の子孫連綿、して馬場城より水戸城に移り、
住みて数代。
 時恰も應永33年(西1426)奥鎮守府将軍藤原秀
郷12代の後裔江戸但馬守通房、満幹、の出城を窺いて
 して虚に乗じ之攻め、終に水戸城を穫、満幹落城の日

 大掾氏家臣、鯉渕城主、根小屋伊勢守武熊明神を兵火
により大戸に避け夷針の宮に神霊安置、事己んで併せ祀
り今に至ると、云 。
 当社縁起次第、伴の如きなり。
 昭和60年乙丑11月吉日







スダジイは注連縄が巻かれてご神木ですね


本殿脇から

北から見ました、目通り幹囲6,7mの巨木です


本殿西側に立派な木の鳥居です

社ですが名前が分かりませんね

本殿裏側の祠です

では、次は大戸のサクラです、すぐ東側に在りますので歩いて行きましょう
コメント
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