白幡山八幡宮は、水戸市役所の北西約3kmのところ
那珂川右岸の高台市街地の北の端に参道を東に鎮座します
境内南側に広い駐車場が有りますので利用させて頂きました
南東側からの参道から鳥居です
ロマンティックゾーンの案内板です、八幡宮は右上です
国宝 八幡宮となっています
茨城百景の標柱です
鳥居をくぐると
参道は直角に曲がっています
二の鳥居でしょうか
説明版です
水戸白幡山 水府総鎮守 八幡宮
御祭神 誉田別尊(第15代應神天皇)
息長足日売尊(神功皇后)
姫大神
御由緒 当宮は、源氏の流れを汲む戦国大名佐竹義宜公
により、文禄元年(1592)水府(水戸)総鎮
守として創祀されました。
義宜公は水戸入城にあたり、源氏の守護神たる
八幡大神を、本拠地であった常陸太田馬場より勧
請し、慶長3年(1598)には、54万石の財
力と「御大工」と称される百人程のお抱え大工集
団の優秀な技術力をもって、現在の北見町に安土
桃山時代の様式美を備えた御本殿を建立しました
。
しかし、その4年後、佐竹氏は秋田へ移封され
、水戸は徳川氏の所領となりましたが、当宮は三
百石の朱印を得て存続し、徳川水戸藩よりも尊崇
されました。
元禄7年(1694)、二代藩主光圀公の寺社
政策によって、当宮は那珂西村(現・城里町那珂
西)へ移遷されましたが、三代藩主綱條公の時代
、時の宮司田所修理清澄を始め氏子の請願により
、宝永6年(1709)、再び水戸に遷座されま
した。その際、白鶴が一羽舞い降りて現在の神域
を卜定したと伝わります。
420年余の星霜を重ねる中、幾多の天災、戦
災
こちらも説明版です(ほぼ同じ内容です)
手水舎です
狛犬です
拝殿です
本殿です
国指定重要文化財です
参道の境内社を順に紹介しましょう
参道左手から
火伏の神 二神宮です
こちらも火伏の神 秋葉神社です
淡島神社です
御神馬です
では、本殿北側です
武内宿禰神社荒魂社です
武内宿禰神社和魂社です
石尊神社です
社運隆昌 松尾神社です
天満天神宮です
天満天神宮の御由緒石碑です
稲荷神社です
十二支の銅像が有ります
まずは大黒様に抱かれて鼠、牛、虎、兎です
辰と巳です
午と羊、申は見ざる聞かざる言わざるの三猿です
酉と戌は、国指定天然記念物のオハツキイチョウの前にあります
猪は拝殿の右手に在りました、今年の干支ですね
では、次は国指定天然記念物のオハツキイチョウです
那珂川右岸の高台市街地の北の端に参道を東に鎮座します
境内南側に広い駐車場が有りますので利用させて頂きました
南東側からの参道から鳥居です
ロマンティックゾーンの案内板です、八幡宮は右上です
国宝 八幡宮となっています
茨城百景の標柱です
鳥居をくぐると
参道は直角に曲がっています
二の鳥居でしょうか
説明版です
水戸白幡山 水府総鎮守 八幡宮
御祭神 誉田別尊(第15代應神天皇)
息長足日売尊(神功皇后)
姫大神
御由緒 当宮は、源氏の流れを汲む戦国大名佐竹義宜公
により、文禄元年(1592)水府(水戸)総鎮
守として創祀されました。
義宜公は水戸入城にあたり、源氏の守護神たる
八幡大神を、本拠地であった常陸太田馬場より勧
請し、慶長3年(1598)には、54万石の財
力と「御大工」と称される百人程のお抱え大工集
団の優秀な技術力をもって、現在の北見町に安土
桃山時代の様式美を備えた御本殿を建立しました
。
しかし、その4年後、佐竹氏は秋田へ移封され
、水戸は徳川氏の所領となりましたが、当宮は三
百石の朱印を得て存続し、徳川水戸藩よりも尊崇
されました。
元禄7年(1694)、二代藩主光圀公の寺社
政策によって、当宮は那珂西村(現・城里町那珂
西)へ移遷されましたが、三代藩主綱條公の時代
、時の宮司田所修理清澄を始め氏子の請願により
、宝永6年(1709)、再び水戸に遷座されま
した。その際、白鶴が一羽舞い降りて現在の神域
を卜定したと伝わります。
420年余の星霜を重ねる中、幾多の天災、戦
災
こちらも説明版です(ほぼ同じ内容です)
手水舎です
狛犬です
拝殿です
本殿です
国指定重要文化財です
参道の境内社を順に紹介しましょう
参道左手から
火伏の神 二神宮です
こちらも火伏の神 秋葉神社です
淡島神社です
御神馬です
では、本殿北側です
武内宿禰神社荒魂社です
武内宿禰神社和魂社です
石尊神社です
社運隆昌 松尾神社です
天満天神宮です
天満天神宮の御由緒石碑です
稲荷神社です
十二支の銅像が有ります
まずは大黒様に抱かれて鼠、牛、虎、兎です
辰と巳です
午と羊、申は見ざる聞かざる言わざるの三猿です
酉と戌は、国指定天然記念物のオハツキイチョウの前にあります
猪は拝殿の右手に在りました、今年の干支ですね
では、次は国指定天然記念物のオハツキイチョウです