手野地区は、土浦市役所の北東約5kmのところ
国道354号線を北に進みます
JR常磐線踏切りを越えて旧道に入ると
間も無く右に入ったところに
熊野山 阿弥陀院 空禅寺が有ります
境内に車を止めることが出来ました
参道です
熊野山 空禅寺 入口です
空禅寺の古い石碑です
本堂です
本堂落慶記念碑です
熊野山 阿弥陀院 空禅寺は正中2年(1325)8月、
覚阿上人この地に錫を留め一宇を建立したるお濫觴とし、今
日に至ると伝えられている。
斯らくして法灯実に670余年を数うれども、惜しむらく
は幾度かの災厄に逢い、記録・寺宝の多くは失われるものの
境内には、室町時代のものと推定される十数基の五輪塔及び
石幢一基、又、堂内には慶安4年(1652年)の火災によ
り損傷を受けたるものと思われる、大一尺二寸の銅仏阿弥陀
如来立像一体が残っている。
前本堂は、荒廃甚だしきため、新築の機運高まり、ここに
壇信徒相はかり心を一つにして財を募り工を起し、平成10
年3月吉日落慶をみるに至った。
数に於いて法燈燦として再び光輝を放ち、遍く衆生を倶に
安楽浄土を照らさんことを布う、更に、我寺が子々孫々報恩
感謝の志を具現し、永く先師先人の遺風と法燈を護り、寺壇
益々の隆盛を祈って、記念の碑を建立し、これを後世に伝え
るものである。
檀信徒一同建之
境内の墓地全面には五輪塔が並びます
市指定文化財 石造五輪塔群です
目的のイタジイは、墓地の先の丘の上に在ります
門前の道路を行きましょう
西側に近づきます
西側から
土浦市指定名木・古木の案内板です
名称 「空禅寺のイタジイ」
指定番号 土浦市名木・古木指定第46号
指定年月日 平成8年2月9日
所在地 土浦市手野町
所有者 空禅寺
住所 土浦市手野町
氏名 今泉明
樹種 イタジイ〔スダジイ〕(ブナ科)
樹木の形状
樹高 13,5m
胸高周 地上0,52 5,0+6,4m
葉張り 東西 20,2m
南北 14,9m
土浦市
根元から見上げました
北東側から
離れて見ました
東北東側
南東側
南南東側から
では、次へ行きましょう
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JR常磐線踏切りを越えて旧道に入ると
間も無く右に入ったところに
熊野山 阿弥陀院 空禅寺が有ります
境内に車を止めることが出来ました
参道です
熊野山 空禅寺 入口です
空禅寺の古い石碑です
本堂です
本堂落慶記念碑です
熊野山 阿弥陀院 空禅寺は正中2年(1325)8月、
覚阿上人この地に錫を留め一宇を建立したるお濫觴とし、今
日に至ると伝えられている。
斯らくして法灯実に670余年を数うれども、惜しむらく
は幾度かの災厄に逢い、記録・寺宝の多くは失われるものの
境内には、室町時代のものと推定される十数基の五輪塔及び
石幢一基、又、堂内には慶安4年(1652年)の火災によ
り損傷を受けたるものと思われる、大一尺二寸の銅仏阿弥陀
如来立像一体が残っている。
前本堂は、荒廃甚だしきため、新築の機運高まり、ここに
壇信徒相はかり心を一つにして財を募り工を起し、平成10
年3月吉日落慶をみるに至った。
数に於いて法燈燦として再び光輝を放ち、遍く衆生を倶に
安楽浄土を照らさんことを布う、更に、我寺が子々孫々報恩
感謝の志を具現し、永く先師先人の遺風と法燈を護り、寺壇
益々の隆盛を祈って、記念の碑を建立し、これを後世に伝え
るものである。
檀信徒一同建之
境内の墓地全面には五輪塔が並びます
市指定文化財 石造五輪塔群です
目的のイタジイは、墓地の先の丘の上に在ります
門前の道路を行きましょう
西側に近づきます
西側から
土浦市指定名木・古木の案内板です
名称 「空禅寺のイタジイ」
指定番号 土浦市名木・古木指定第46号
指定年月日 平成8年2月9日
所在地 土浦市手野町
所有者 空禅寺
住所 土浦市手野町
氏名 今泉明
樹種 イタジイ〔スダジイ〕(ブナ科)
樹木の形状
樹高 13,5m
胸高周 地上0,52 5,0+6,4m
葉張り 東西 20,2m
南北 14,9m
土浦市
根元から見上げました
北東側から
離れて見ました
東北東側
南東側
南南東側から
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