下高津地区は、土浦市役所の南西側すぐ、桜川を渡った南側です
比高の大きな丘の上に本堂が有りますが、参道は東側下に入り口が有ります
国道354号線を南西に進むと医療センター入口信号を戻るように
下りになった中程に参道入り口が有ります
参道入口の北側の道路を進むと
常福寺本堂前の駐車場を利用させて頂きました
参道入口です
鳥居です、市指定文化財だそうです
鳥居前の文化財案内板です
愛宕神社の文化財
愛宕神社は、旧土浦城下を臨む高津台にあり、寛文9(1669)年に
城主となった土屋数直が城の鬼門を守護するため奉斎し、社殿などを改築
したと伝えられる。現在、境内には市指定文化財となる社殿のほか、享保
5(1720)年銘の鳥居などが残る。
当神社の祭神は火の神である軻遇突智命であるが、御神体は本地仏であ
る勝軍地蔵であり、愛宕権現と習合して火伏の神として信仰されてきた。
市指定文化財 建造物 愛宕神社本拝殿
指定 平成13(2001)年3月1日
社殿は木造で、前方に拝殿、後方に本殿を接して配置する。屋根は茅葺
の入母屋造であり、丁字形の二棟を持つ。間取りは内・外陣形式で、平面
形が凸形で珍しい。垂木の配置はこの地方の民家に多く見られるものであ
る。これら社殿の特徴は、既存の神社建築様式とは異なるところが多く、
地方色が色濃いことを示している。茅葺屋根の社殿は、市内でも数少ない
ことから貴重である。
その他の特徴として、拝殿の柱間装置は、現在、板壁と引違い板戸とな
るが、当初は蔀戸であったことが確認できる。また拝殿内部の格天井は後
付けであるが、鏡板には極彩色の花鳥画が描かれている。
現在の社殿は文化8(1811)年の再建と伝えられ、それは構法等か
らも理解できる。大屋根には土屋家の家紋である三ツ石紋が配されている
。
平成25(2013)年3月 土浦市教育委員会
愛宕神社社殿です、大屋根の棟は金属版で三ツ石紋が並んでいます、後方には常福寺本堂が見えています
社殿右手の稲荷社の脇にはケヤキの大木が在ります
社殿脇南側から見上げました
では、次へ行きましょう
比高の大きな丘の上に本堂が有りますが、参道は東側下に入り口が有ります
国道354号線を南西に進むと医療センター入口信号を戻るように
下りになった中程に参道入り口が有ります
参道入口の北側の道路を進むと
常福寺本堂前の駐車場を利用させて頂きました
参道入口です
鳥居です、市指定文化財だそうです
鳥居前の文化財案内板です
愛宕神社の文化財
愛宕神社は、旧土浦城下を臨む高津台にあり、寛文9(1669)年に
城主となった土屋数直が城の鬼門を守護するため奉斎し、社殿などを改築
したと伝えられる。現在、境内には市指定文化財となる社殿のほか、享保
5(1720)年銘の鳥居などが残る。
当神社の祭神は火の神である軻遇突智命であるが、御神体は本地仏であ
る勝軍地蔵であり、愛宕権現と習合して火伏の神として信仰されてきた。
市指定文化財 建造物 愛宕神社本拝殿
指定 平成13(2001)年3月1日
社殿は木造で、前方に拝殿、後方に本殿を接して配置する。屋根は茅葺
の入母屋造であり、丁字形の二棟を持つ。間取りは内・外陣形式で、平面
形が凸形で珍しい。垂木の配置はこの地方の民家に多く見られるものであ
る。これら社殿の特徴は、既存の神社建築様式とは異なるところが多く、
地方色が色濃いことを示している。茅葺屋根の社殿は、市内でも数少ない
ことから貴重である。
その他の特徴として、拝殿の柱間装置は、現在、板壁と引違い板戸とな
るが、当初は蔀戸であったことが確認できる。また拝殿内部の格天井は後
付けであるが、鏡板には極彩色の花鳥画が描かれている。
現在の社殿は文化8(1811)年の再建と伝えられ、それは構法等か
らも理解できる。大屋根には土屋家の家紋である三ツ石紋が配されている
。
平成25(2013)年3月 土浦市教育委員会
愛宕神社社殿です、大屋根の棟は金属版で三ツ石紋が並んでいます、後方には常福寺本堂が見えています
社殿右手の稲荷社の脇にはケヤキの大木が在ります
社殿脇南側から見上げました
では、次へ行きましょう