木原地区は、佐賀市役所の南東約3kmのところ
県道30号線を南へ龍谷高東信号を東へ県道20号線を進みます
枝吉橋を渡って間もなくの枝吉バス停の手前を南へ入ります
住宅地の中を進むとT字路にぶつかりますが手前に
日枝神社が参道を東向きに開いて鎮座します
境内南側に駐車スペースが有ります
参道入口の鳥居です
説明版です
日枝神社山王宮
1、氏神様(産土神)
1、創設者
1、御祭神 大山咋神
合祀神 八王子神
1、創設年 大同元年(806年)
薄くなってしまって読めませんね~
こちらは由緒書きです
日枝神社(山王宮)由緒
氏神様(産土神)
私達や私達の生活するところをお護り下さっておら
れます。その土地を開かれて人々をお護りされますの
で氏神様(産土神)と申し我々は日夜その御神徳をい
ただいております。
由緒
桓武天皇延暦23年伝教大師詔を奉し求法入唐に當
り、風波の安寧求法の円誠お祈らんと江上の地に精舎
を建立す是今の長尾山福満寺なり、業を終えて帰朝し
比叡山を建設するや自から山王・八王子の神像を摸刻
し木原武藤の地を奉斎し福満寺鎮護の神とす。是即當
神社の起源にして大同元年なり。
其後戦乱の際社殿焼失せしを元亀年中龍造寺氏によ
り再興せられ慶長年中鍋直茂・勝茂・柳川陣の節祈願
を籠められ帰陣の上宝殿・拝殿・神門鳥居を造営せら
る以来藩主の尊崇累代変わることなかりき。
明治6年3月5日村社に列せられる。
明治43年寄せ宮に依り八王子・大物主・菅原道真
罔象女武𤭖槌の5神其他合祀す。
大正12年9月社務所起工同13年1月竣功
昭和7年4月本殿・幣殿・拝殿改築許可を得造に着
手同年10月1日竣功す(大御田祭)
昭和19年大御田祭に際し御神門造営する。
昭和20年8月5日太平洋戦争に於ける空襲により
焼失。
昭和55年大御田祭に際し正面鳥居建替え。
手水舎です
参道の右手に目的のクスです
佐賀市天然記念物 日枝神社の楠 一株 の石碑です
説明版です
佐賀市天然記念物
日枝神社の楠 1株
昭和58年3月1日指定
「肥前国風土記」の佐嘉郡の条に、「むかし、樟樹
一株この村に生いたりき。幹枝秀高く茎葉繁茂りて、
朝日の影には杵島郡の蒲川山をおおい、暮日の影には
養父郡の草横山をおおいき。日本武尊、巡り幸しし時、
樟の茂り栄えているのを御覧になって、此の国を栄の
国というべしとおおせられた。そこで栄郡といいき。
後に改めて佐嘉郡と号く。」とあって、佐嘉郡の地名
のおこりを伝えている。この風土記の記事によっても、
佐賀地方には古くから楠の巨木が栄えていたことを知
ることができる。
この日枝神社の楠は高さ24m、幹回り6m、枝張
り23mで、樹齢およそ700年と推定され、佐賀市
内の楠の中でも代表的な巨木である。
案内板は薄くなってしまっています
南側から
拝殿前から、目通り幹囲5,6mの巨木です
神楽殿前から見ました
拝殿です
本殿です
本殿脇にも立派な石鳥居があります
神楽殿(舞殿)です
境内社の祠が並びます
では、次へ行きましょう
県道30号線を南へ龍谷高東信号を東へ県道20号線を進みます
枝吉橋を渡って間もなくの枝吉バス停の手前を南へ入ります
住宅地の中を進むとT字路にぶつかりますが手前に
日枝神社が参道を東向きに開いて鎮座します
境内南側に駐車スペースが有ります
参道入口の鳥居です
説明版です
日枝神社山王宮
1、氏神様(産土神)
1、創設者
1、御祭神 大山咋神
合祀神 八王子神
1、創設年 大同元年(806年)
薄くなってしまって読めませんね~
こちらは由緒書きです
日枝神社(山王宮)由緒
氏神様(産土神)
私達や私達の生活するところをお護り下さっておら
れます。その土地を開かれて人々をお護りされますの
で氏神様(産土神)と申し我々は日夜その御神徳をい
ただいております。
由緒
桓武天皇延暦23年伝教大師詔を奉し求法入唐に當
り、風波の安寧求法の円誠お祈らんと江上の地に精舎
を建立す是今の長尾山福満寺なり、業を終えて帰朝し
比叡山を建設するや自から山王・八王子の神像を摸刻
し木原武藤の地を奉斎し福満寺鎮護の神とす。是即當
神社の起源にして大同元年なり。
其後戦乱の際社殿焼失せしを元亀年中龍造寺氏によ
り再興せられ慶長年中鍋直茂・勝茂・柳川陣の節祈願
を籠められ帰陣の上宝殿・拝殿・神門鳥居を造営せら
る以来藩主の尊崇累代変わることなかりき。
明治6年3月5日村社に列せられる。
明治43年寄せ宮に依り八王子・大物主・菅原道真
罔象女武𤭖槌の5神其他合祀す。
大正12年9月社務所起工同13年1月竣功
昭和7年4月本殿・幣殿・拝殿改築許可を得造に着
手同年10月1日竣功す(大御田祭)
昭和19年大御田祭に際し御神門造営する。
昭和20年8月5日太平洋戦争に於ける空襲により
焼失。
昭和55年大御田祭に際し正面鳥居建替え。
手水舎です
参道の右手に目的のクスです
佐賀市天然記念物 日枝神社の楠 一株 の石碑です
説明版です
佐賀市天然記念物
日枝神社の楠 1株
昭和58年3月1日指定
「肥前国風土記」の佐嘉郡の条に、「むかし、樟樹
一株この村に生いたりき。幹枝秀高く茎葉繁茂りて、
朝日の影には杵島郡の蒲川山をおおい、暮日の影には
養父郡の草横山をおおいき。日本武尊、巡り幸しし時、
樟の茂り栄えているのを御覧になって、此の国を栄の
国というべしとおおせられた。そこで栄郡といいき。
後に改めて佐嘉郡と号く。」とあって、佐嘉郡の地名
のおこりを伝えている。この風土記の記事によっても、
佐賀地方には古くから楠の巨木が栄えていたことを知
ることができる。
この日枝神社の楠は高さ24m、幹回り6m、枝張
り23mで、樹齢およそ700年と推定され、佐賀市
内の楠の中でも代表的な巨木である。
案内板は薄くなってしまっています
南側から
拝殿前から、目通り幹囲5,6mの巨木です
神楽殿前から見ました
拝殿です
本殿です
本殿脇にも立派な石鳥居があります
神楽殿(舞殿)です
境内社の祠が並びます
では、次へ行きましょう