中百舌鳥地区は、堺市役所の南東約3kmのところ
世界遺産百舌鳥・古市古墳群の西側の百舌鳥古墳群エリアです、最大の古墳、仁徳天皇陵を始めとする多数の古墳が見られます(南海電鉄高野線堺東駅西口の堺市役所の展望ロビーは新型コロナ対策で閉鎖中でした)、仁徳天皇陵は大きすぎて単なる森です、駅でもらったパンフレットでお腹いっぱいです
今回は電車移動です
南海電鉄高野線中百舌鳥駅南口を出て、前の通りを西に向かいます
T字路を左へ道路が下り坂になる所に「デイサービスくすのき」が有ります手前を右へ、間もなく左に古墳が有ります
御廟表塚古墳の東側住宅の門の前に目的のクスノキが在ります
中百舌鳥駅南口です
百舌鳥古墳群周遊コースの案内標柱です
目的のクスノキは御廟表塚古墳の前に在るようです
デイケアくすのき脇にもクスノキの大木が在ります
西高野街道の石柱です
すぐ脇の駐車場の奥(南側)に大きなクスノキが見えます
近付くと
こちらは堺市保存樹木のクスです
筒井邸の屋敷林案内板です
目的のクスノキはすぐ左に在りました
西側から
北西側から
説明版です
大阪府指定天然記念物
百舌鳥のくす
指定年月日 昭和45年2月20日
胸高径 2.7m
幹周 10.1m
樹高 13.0m
どっしりとした太い幹を大地に根ざし、広く空を覆った百舌鳥のくすは、この地が開墾された江戸時代のはじめ頃から、雨乞いの効験あらたかな霊木として祀られてきました。
くすの木は日本でも南部のあたたかい地方に多く生育する常緑樹で、市内ではしばしば社寺や旧家などでその大木を目にすることができます。なかでもこのくすは、樹齢が800年とも1000年ともいわれ堺屈指の巨木として知られています。
厚い樹皮に覆われ、洞の大きくあいた幹などのその神秘的な姿は、今なお人々に親しまれ、眼下に流れる歴史の移り変わりをいつまでも見守りつづけたいます。
平成4年3月
大阪府教育委員会
堺市教育委員会
北側(筒井邸門前)から
南側から見ると、大きな洞に合っています幹のほとんどが無く成ってしまっています
御廟表塚古墳です
史跡標柱です
説明版です
御廟表塚古墳
時代 5世紀後半
古墳の形 帆立貝形前方後円墳
古墳の規模 墳丘長84.8m、後円部径67.6m、後円部高8m、前方部幅32m
国史跡 2014年3月16日指定
史跡名称 百舌鳥古墳群
御廟表塚古墳は、百舌鳥古墳群の東部にあたる。百舌鳥川を見下ろす大地の辺縁部に築かれています。現状では前方部が失われているため円墳のようにも見えますが、本来は前方部を西に向けた帆立貝形の前方後円墳です。
これまでの発掘調査で、墳丘の周囲には濠が巡ること、墳丘の平坦面には礫が敷かれ小形の円筒埴輪が密に並ぶこと、斜面には葺石が施されていることがわかっています。埋葬施設や副葬品の内容は不明です。
南東側から見ました
では、次は百舌鳥八幡宮へ行きましょう
世界遺産百舌鳥・古市古墳群の西側の百舌鳥古墳群エリアです、最大の古墳、仁徳天皇陵を始めとする多数の古墳が見られます(南海電鉄高野線堺東駅西口の堺市役所の展望ロビーは新型コロナ対策で閉鎖中でした)、仁徳天皇陵は大きすぎて単なる森です、駅でもらったパンフレットでお腹いっぱいです
今回は電車移動です
南海電鉄高野線中百舌鳥駅南口を出て、前の通りを西に向かいます
T字路を左へ道路が下り坂になる所に「デイサービスくすのき」が有ります手前を右へ、間もなく左に古墳が有ります
御廟表塚古墳の東側住宅の門の前に目的のクスノキが在ります
中百舌鳥駅南口です
百舌鳥古墳群周遊コースの案内標柱です
目的のクスノキは御廟表塚古墳の前に在るようです
デイケアくすのき脇にもクスノキの大木が在ります
西高野街道の石柱です
すぐ脇の駐車場の奥(南側)に大きなクスノキが見えます
近付くと
こちらは堺市保存樹木のクスです
筒井邸の屋敷林案内板です
目的のクスノキはすぐ左に在りました
西側から
北西側から
説明版です
大阪府指定天然記念物
百舌鳥のくす
指定年月日 昭和45年2月20日
胸高径 2.7m
幹周 10.1m
樹高 13.0m
どっしりとした太い幹を大地に根ざし、広く空を覆った百舌鳥のくすは、この地が開墾された江戸時代のはじめ頃から、雨乞いの効験あらたかな霊木として祀られてきました。
くすの木は日本でも南部のあたたかい地方に多く生育する常緑樹で、市内ではしばしば社寺や旧家などでその大木を目にすることができます。なかでもこのくすは、樹齢が800年とも1000年ともいわれ堺屈指の巨木として知られています。
厚い樹皮に覆われ、洞の大きくあいた幹などのその神秘的な姿は、今なお人々に親しまれ、眼下に流れる歴史の移り変わりをいつまでも見守りつづけたいます。
平成4年3月
大阪府教育委員会
堺市教育委員会
北側(筒井邸門前)から
南側から見ると、大きな洞に合っています幹のほとんどが無く成ってしまっています
御廟表塚古墳です
史跡標柱です
説明版です
御廟表塚古墳
時代 5世紀後半
古墳の形 帆立貝形前方後円墳
古墳の規模 墳丘長84.8m、後円部径67.6m、後円部高8m、前方部幅32m
国史跡 2014年3月16日指定
史跡名称 百舌鳥古墳群
御廟表塚古墳は、百舌鳥古墳群の東部にあたる。百舌鳥川を見下ろす大地の辺縁部に築かれています。現状では前方部が失われているため円墳のようにも見えますが、本来は前方部を西に向けた帆立貝形の前方後円墳です。
これまでの発掘調査で、墳丘の周囲には濠が巡ること、墳丘の平坦面には礫が敷かれ小形の円筒埴輪が密に並ぶこと、斜面には葺石が施されていることがわかっています。埋葬施設や副葬品の内容は不明です。
南東側から見ました
では、次は百舌鳥八幡宮へ行きましょう