豊野町石地区は、長野市役所の北東約9kmのところ
国道18号線の北尾張部信号から県道372号三才大豆島中御所線です、長野電鉄長野線を越えて道なりに北東へ進みます、やがて道路は県道399号長野豊野線となります、田子川沿いを進んで田子川左岸へ、しなの線の踏切りを超えて更に県道399号線を道なりに進みます、芭蕉句碑長野豊野石碑群を右に見て、次の信号で県道は右(東)へ曲がりますが、真直ぐに坂道を緩く登ります、間もなく長秀院の入口が近づきます「長秀院のケヤキ」の前を通って長秀院の駐車場へ入りました
シダレイチョウが見えて来ました
長秀院駐車場前から見ました
殿屋敷入口から見上げました
天然記念物標柱です
説明版です
天然記念物 殿屋敷のシダレイチョウ
長野市指定 平成17年1月1日指定
樹齢 推定約350年 雌株
樹高 20.0m
枝張り 南北17.0m 東西17.0m
目通り周囲 3.2m
イチョウ科の落葉高木。このシダレイチョウは、北石の殿屋敷と呼ばれる中世の居館跡の角にあり、現在は個人の宅地入口になっている。
この木の枝下は短く、地上3mで太い枝が三つに分かれ、更に第二・第三の枝が斜上している。それから上の枝は数多く分岐し、細かい枝が密生している。多くの枝が地面に向って真っ直ぐに垂れ下がり、全体的に少し変わった樹形を見せている。近隣には類が少ないシダレイチョウである。この木は、元長野県天然記念物に指定されていたが、解除された。
根元には石仏や五輪塔が並んでいる。
殿屋敷という名前の由来は、鎌倉時代、大倉城の支城として、この裏山に石村城が築かれたといわれ、その後戦国時代に石村城主となった下村靭負(しもむらゆきえ)が、隣接する長秀院の開基(天文元年・1532)となり、この地に館を構えたと伝え、現在も殿屋敷と呼ばれている。
平成23年3月20日
長野市教育委員会
根元に石仏が見えています、枝の分かれ具合が分かります
殿屋敷跡の石碑が有りました
では、次へ行きましょう
国道18号線の北尾張部信号から県道372号三才大豆島中御所線です、長野電鉄長野線を越えて道なりに北東へ進みます、やがて道路は県道399号長野豊野線となります、田子川沿いを進んで田子川左岸へ、しなの線の踏切りを超えて更に県道399号線を道なりに進みます、芭蕉句碑長野豊野石碑群を右に見て、次の信号で県道は右(東)へ曲がりますが、真直ぐに坂道を緩く登ります、間もなく長秀院の入口が近づきます「長秀院のケヤキ」の前を通って長秀院の駐車場へ入りました
シダレイチョウが見えて来ました
長秀院駐車場前から見ました
殿屋敷入口から見上げました
天然記念物標柱です
説明版です
天然記念物 殿屋敷のシダレイチョウ
長野市指定 平成17年1月1日指定
樹齢 推定約350年 雌株
樹高 20.0m
枝張り 南北17.0m 東西17.0m
目通り周囲 3.2m
イチョウ科の落葉高木。このシダレイチョウは、北石の殿屋敷と呼ばれる中世の居館跡の角にあり、現在は個人の宅地入口になっている。
この木の枝下は短く、地上3mで太い枝が三つに分かれ、更に第二・第三の枝が斜上している。それから上の枝は数多く分岐し、細かい枝が密生している。多くの枝が地面に向って真っ直ぐに垂れ下がり、全体的に少し変わった樹形を見せている。近隣には類が少ないシダレイチョウである。この木は、元長野県天然記念物に指定されていたが、解除された。
根元には石仏や五輪塔が並んでいる。
殿屋敷という名前の由来は、鎌倉時代、大倉城の支城として、この裏山に石村城が築かれたといわれ、その後戦国時代に石村城主となった下村靭負(しもむらゆきえ)が、隣接する長秀院の開基(天文元年・1532)となり、この地に館を構えたと伝え、現在も殿屋敷と呼ばれている。
平成23年3月20日
長野市教育委員会
根元に石仏が見えています、枝の分かれ具合が分かります
殿屋敷跡の石碑が有りました
では、次へ行きましょう