七二会守田乙地区は、長野市役所の西南西約10kmのところ
国道19号線を西へ(犬戻トンネルの西詰めが土砂崩れの為片側交互通行した),明治橋を渡って間もなく瀬脇信号を右(北)へ入ります、道なりに登って集落がまばらになったところを左斜めに下ると正面に守田神社が南向に鎮座します
参道入口の道路脇に車を止めさせて頂きました
参道入口です
延喜式内 縣社 守田神社です
手水舎です
説明石碑です
延喜式内元県社
守田神社
本社祭神守達神は建御名方命の御子神にして当水内県の開拓の祖神として奉斎せしに創り、既に天平巳年荘厳なる社殿を造営して神徳四国に遍照す。
貞観元年12月14日従五位下を授けられ其の后度々の奉授を得て従四位下に至る。
弘安元年社地崩壊のため現地に遷座。中葉以来国中武将の崇敬浅からず延徳3年春日大膳大夫惟久所領21ヶ村の総鎮守と定め社殿再建。
春日常陸守貞徳下祖山に神田を定め、上杉景勝名刀を献進。大久保石見守社領寄進。松代城主祈願社として社領、禁制、社参、代参等崇敬の誠を捧げられ、文化9年正一位に神階を進められ、明治6年郷社に、昭和9年県社に列す。
今茲に延喜式撰上壱千五十年を記念して建碑の企あり。其の由緒を記して千古に伝ふ。
昭和53年極月吉日 諏訪大社宮司 三輪磐根謹書
参道左にケヤキの大木です
参道奥側から
参道を進むと参道の両側に杉の大木が在ります
参道左側のスギです
右側のスギです
天然記念物標柱です
説明版です
七二会守田神社の神木(スギ二本)
長野市指定天然記念物 昭和60年2月9日指定
所在地 長野市七二会字守田乙2769-1番地
所有者 守田神社
この神木は、鳥居より北20mの参道両脇に、8.5mの間隔をおいて、並び立つスギで、その大きさは東側のもの目通り幹囲4.6m、西側のもの4.64mで、高さはいずれも約40mにおよんでいる。
西側のスギには、昭和32年に落雷があって、一条の傷あとがあるほかは二本共樹勢は盛んである。
当市において指定されたスギの箇木の中では、昭和47年に市指定天然記念物となった、芋井向台の皇足穂命神社の大スギに次ぐ巨樹で、古来から地域住民の信仰篤い神社の神木として、手厚く保護されてきた名木である。
境内にはスギが多くその純度は高いが、中でもこの二本hあきわだって大きなものである。
昭和62年3月 長野市教育委員会
右のスギを参道(西側)から
左のスギを参道上側から
境内参道から二本のスギを見ました、大きな注連縄が懸けられています
拝殿です
本殿です
拝殿前から二本のスギを見ました
境内南端の建物は舞殿ですね
境内西側の境内社です
では、次へ行きましょう
国道19号線を西へ(犬戻トンネルの西詰めが土砂崩れの為片側交互通行した),明治橋を渡って間もなく瀬脇信号を右(北)へ入ります、道なりに登って集落がまばらになったところを左斜めに下ると正面に守田神社が南向に鎮座します
参道入口の道路脇に車を止めさせて頂きました
参道入口です
延喜式内 縣社 守田神社です
手水舎です
説明石碑です
延喜式内元県社
守田神社
本社祭神守達神は建御名方命の御子神にして当水内県の開拓の祖神として奉斎せしに創り、既に天平巳年荘厳なる社殿を造営して神徳四国に遍照す。
貞観元年12月14日従五位下を授けられ其の后度々の奉授を得て従四位下に至る。
弘安元年社地崩壊のため現地に遷座。中葉以来国中武将の崇敬浅からず延徳3年春日大膳大夫惟久所領21ヶ村の総鎮守と定め社殿再建。
春日常陸守貞徳下祖山に神田を定め、上杉景勝名刀を献進。大久保石見守社領寄進。松代城主祈願社として社領、禁制、社参、代参等崇敬の誠を捧げられ、文化9年正一位に神階を進められ、明治6年郷社に、昭和9年県社に列す。
今茲に延喜式撰上壱千五十年を記念して建碑の企あり。其の由緒を記して千古に伝ふ。
昭和53年極月吉日 諏訪大社宮司 三輪磐根謹書
参道左にケヤキの大木です
参道奥側から
参道を進むと参道の両側に杉の大木が在ります
参道左側のスギです
右側のスギです
天然記念物標柱です
説明版です
七二会守田神社の神木(スギ二本)
長野市指定天然記念物 昭和60年2月9日指定
所在地 長野市七二会字守田乙2769-1番地
所有者 守田神社
この神木は、鳥居より北20mの参道両脇に、8.5mの間隔をおいて、並び立つスギで、その大きさは東側のもの目通り幹囲4.6m、西側のもの4.64mで、高さはいずれも約40mにおよんでいる。
西側のスギには、昭和32年に落雷があって、一条の傷あとがあるほかは二本共樹勢は盛んである。
当市において指定されたスギの箇木の中では、昭和47年に市指定天然記念物となった、芋井向台の皇足穂命神社の大スギに次ぐ巨樹で、古来から地域住民の信仰篤い神社の神木として、手厚く保護されてきた名木である。
境内にはスギが多くその純度は高いが、中でもこの二本hあきわだって大きなものである。
昭和62年3月 長野市教育委員会
右のスギを参道(西側)から
左のスギを参道上側から
境内参道から二本のスギを見ました、大きな注連縄が懸けられています
拝殿です
本殿です
拝殿前から二本のスギを見ました
境内南端の建物は舞殿ですね
境内西側の境内社です
では、次へ行きましょう