坂北仁熊地区は、筑北村役場の西北西約4kmのところ
国道403号線を北へ、長野自動車道の高架をすぎ、麻績川を渡ってすぐ信号のないT字路交差点を西へ入ると県道55号大町麻績インター千曲線です、麻績川に沿うように下って行きます、右カーブの外側に仁王門と大日堂が見えて来ます、モミの巨木も境内に立っているのが確認できます
仁王門前の道路脇に車を止めさせて頂きました
仁王門です
正面に大日堂です
文化財標柱です
説明版です
大日堂と国指定重要文化財
木造大日如来坐像
由緒 沿革
大日堂は、岩殿寺塔頭(脇寺)中願寺の堂として嘉祥2年(894)比叡山延暦寺第3代座主慈覚大師円仁の開基と伝えられている。
本尊木造大日如来坐像(国指定重要文化財)は、智拳印を結ぶ金剛界大日如来で、等身大の坐像である。玉眼入りで丸味と張りのある面貌、台下の地髪に毛筋彫りをほどこし、髪際の波形からも、鎌倉時代前期の作の特徴が認められる。
本堂は、寛永3年(1626)、寛文3年(1663)、宝暦13年(1763)に再建されている。
仁王門は、伝承によれば寛延3年(1750)の建立(再興)という。
脇に安置する木像金剛力士像と同時に建立されたと伝えられ、もとは茅葺であったが、現在は、金属板葺となっている。
境内に立つモミの巨木は、胸高5.2m、樹齢800年余と推定され、以前は長野県の天然記念物に指定されていたが、度重なる落雷などの自然災害に遭い、樹高が下がり、平成8年に延命のため樹木手術(切り取りほか)を行った。
本尊木像大日如来坐像は、火災、盗難防止のため昭和53年に収蔵庫をつくり移している。
平成24年9月
筑北村教育委員会
手前右手に目的のモミです
境内南側から
大日堂前から、幹の上が無く成っています、樹木手術の為切り取られたのでしょうか
北側から、目通り幹囲5.2mの巨木です
東側道路から見ました
では、次へ行きましょう
国道403号線を北へ、長野自動車道の高架をすぎ、麻績川を渡ってすぐ信号のないT字路交差点を西へ入ると県道55号大町麻績インター千曲線です、麻績川に沿うように下って行きます、右カーブの外側に仁王門と大日堂が見えて来ます、モミの巨木も境内に立っているのが確認できます
仁王門前の道路脇に車を止めさせて頂きました
仁王門です
正面に大日堂です
文化財標柱です
説明版です
大日堂と国指定重要文化財
木造大日如来坐像
由緒 沿革
大日堂は、岩殿寺塔頭(脇寺)中願寺の堂として嘉祥2年(894)比叡山延暦寺第3代座主慈覚大師円仁の開基と伝えられている。
本尊木造大日如来坐像(国指定重要文化財)は、智拳印を結ぶ金剛界大日如来で、等身大の坐像である。玉眼入りで丸味と張りのある面貌、台下の地髪に毛筋彫りをほどこし、髪際の波形からも、鎌倉時代前期の作の特徴が認められる。
本堂は、寛永3年(1626)、寛文3年(1663)、宝暦13年(1763)に再建されている。
仁王門は、伝承によれば寛延3年(1750)の建立(再興)という。
脇に安置する木像金剛力士像と同時に建立されたと伝えられ、もとは茅葺であったが、現在は、金属板葺となっている。
境内に立つモミの巨木は、胸高5.2m、樹齢800年余と推定され、以前は長野県の天然記念物に指定されていたが、度重なる落雷などの自然災害に遭い、樹高が下がり、平成8年に延命のため樹木手術(切り取りほか)を行った。
本尊木像大日如来坐像は、火災、盗難防止のため昭和53年に収蔵庫をつくり移している。
平成24年9月
筑北村教育委員会
手前右手に目的のモミです
境内南側から
大日堂前から、幹の上が無く成っています、樹木手術の為切り取られたのでしょうか
北側から、目通り幹囲5.2mの巨木です
東側道路から見ました
では、次へ行きましょう