永田地区は、大網白里市役所の南南西約2kmのところ
大網白里市役所北側の市道を北西へ進み、約300mで斜め左(西南西)へ、南町永田線です
約600mでJR外房線の高架を潜ると伊南房州通住環となって更に南へ
約1.2kmで押し釦信号機を鋭角に左(北東)へ入り道成りに東へ進むと

道路右手に目的のサイカチが見えて来ます
道路に
車を一時停止して写真だけ撮らせて頂きました、この先は行止まりだそうです

石渡家の入り口です


西側から

垣根に説明版です
大網白里市指定文化財
さいかちの木
所有 石渡家
さいかちは、マメ科の落葉樹で、本州以南の日本各地に自生する。
カブトムシをさいかちというが、この木の樹液を好んで集まるのでこの名があると言われている。
本樹は、目通り3.6m、高さ約10mの巨木。
家伝によれば、石渡家の先祖がここに土着した江戸時代初期に植えられたものと伝えられている。
石渡家は、代々庄屋で、徳川家康が土気城へ来たとき案内役をしたという。
位牌に「中興の祖道善(戒名)寛永10年(1633)5月23日没」とあり、その没年から推定して、樹齢は350年以上(昭和47年の指定時点)と思われる。
昭和47年5月1日指定
大網白里市教育委員会
令和4年度文化財看板修繕業務

北東側から見ました
*大網白里市は、昭和29年(1954)12月1日 に山武郡大網町・白里町・増穂村が新設合併し大網白里町が発足します。その後周辺市町村との境界変更を重ねて、平成25年(2013)1月1日に 単独市制を施行し、大網白里市となりました。
JR外房線と東金線の分岐点大網駅周辺は千葉市や東京都内への通勤に便利なベッドタウンとなっています。千葉県房総半島南部の過疎化が進む地区とは違って、過疎化は進んでいませんが、市制制定時より総人口は減っています。
では、次へ行きましょう
大網白里市役所北側の市道を北西へ進み、約300mで斜め左(西南西)へ、南町永田線です
約600mでJR外房線の高架を潜ると伊南房州通住環となって更に南へ
約1.2kmで押し釦信号機を鋭角に左(北東)へ入り道成りに東へ進むと

道路右手に目的のサイカチが見えて来ます

道路に


石渡家の入り口です



西側から


垣根に説明版です
大網白里市指定文化財
さいかちの木
所有 石渡家
さいかちは、マメ科の落葉樹で、本州以南の日本各地に自生する。
カブトムシをさいかちというが、この木の樹液を好んで集まるのでこの名があると言われている。
本樹は、目通り3.6m、高さ約10mの巨木。
家伝によれば、石渡家の先祖がここに土着した江戸時代初期に植えられたものと伝えられている。
石渡家は、代々庄屋で、徳川家康が土気城へ来たとき案内役をしたという。
位牌に「中興の祖道善(戒名)寛永10年(1633)5月23日没」とあり、その没年から推定して、樹齢は350年以上(昭和47年の指定時点)と思われる。
昭和47年5月1日指定
大網白里市教育委員会
令和4年度文化財看板修繕業務

北東側から見ました

*大網白里市は、昭和29年(1954)12月1日 に山武郡大網町・白里町・増穂村が新設合併し大網白里町が発足します。その後周辺市町村との境界変更を重ねて、平成25年(2013)1月1日に 単独市制を施行し、大網白里市となりました。
JR外房線と東金線の分岐点大網駅周辺は千葉市や東京都内への通勤に便利なベッドタウンとなっています。千葉県房総半島南部の過疎化が進む地区とは違って、過疎化は進んでいませんが、市制制定時より総人口は減っています。
では、次へ行きましょう

