塩原門前地区は、那須塩原市役所の西約24kmのところ塩原温泉街の中心部です
那須塩原市役所塩原支所前の塩原街道を東南東へ、国道400号線の一段下、箒川に沿う様に進みます
約1.3kmで箒川を渡ると間も無く左手に妙雲寺の山門です、更に約100mの左側に塩原温泉交流広場があります
奥の妙雲寺駐車場に入りました
駐車場の北西角に目的の実美桜が有ります
駐車場端から見上げました
説明版です
実美桜(さねとみざくら)
私たちのふるさと塩原温泉を東西に走る国道400号線は、私たちの生活道路として重要な役割をはたしています。この道路をほぼ現在の姿にしてくれたのが、第3代栃木県令(知事)三島庸です。
三島通庸は県令に就任すると、ただちに土木事業に力を入れます。栃木町(栃木市)から宇都宮町(宇都宮市)への県庁移転、陸羽街道(国道4号線)の改修整備、そしてこの塩原街道の開削整備は、三島通庸の3大土木事業といわれています。
明治17年10月22日栃木県庁落成式、翼23日には塩原街道開通式が盛大にとり行われました。この式典に際して明治政府を代表して来県されたのが、時の太政大臣三條実美です。
三條実美は、公家の出身で明治維新の功労者です。明治2年より内閣制度のはじまる同18年まで、太政官制度にあって太政大臣を務め、明治新政府の最高官となりました。
塩原街道開通式にのぞみ、三条実美をはじめ政府の高官たちは塩原温泉へ宿泊し。その夜塩原の村人たちは妙雲寺門前において祝賀会をもよおし、当時ではまだ珍しかった牛肉と海の魚ニシンを料理し、花火を打ち上げ、盛大に道路の開通を祝いました。
この時の塩原街道の開通と、三條太政大臣の来塩を記念して植樹されたのがこの「江戸彼岸桜」です。毎年春には、あわいピンクの花びらが私たちの目を楽しませてくれます。
平成13年5月吉日
塩原温泉観光協会節理地50周年を記念し実美桜整備事業といたします。
塩原温泉観光協会 会長 深尾賢一
西側から
西北西側から見ました
では、次へ行きましょう
那須塩原市役所塩原支所前の塩原街道を東南東へ、国道400号線の一段下、箒川に沿う様に進みます
約1.3kmで箒川を渡ると間も無く左手に妙雲寺の山門です、更に約100mの左側に塩原温泉交流広場があります
奥の妙雲寺駐車場に入りました
駐車場の北西角に目的の実美桜が有ります
駐車場端から見上げました
説明版です
実美桜(さねとみざくら)
私たちのふるさと塩原温泉を東西に走る国道400号線は、私たちの生活道路として重要な役割をはたしています。この道路をほぼ現在の姿にしてくれたのが、第3代栃木県令(知事)三島庸です。
三島通庸は県令に就任すると、ただちに土木事業に力を入れます。栃木町(栃木市)から宇都宮町(宇都宮市)への県庁移転、陸羽街道(国道4号線)の改修整備、そしてこの塩原街道の開削整備は、三島通庸の3大土木事業といわれています。
明治17年10月22日栃木県庁落成式、翼23日には塩原街道開通式が盛大にとり行われました。この式典に際して明治政府を代表して来県されたのが、時の太政大臣三條実美です。
三條実美は、公家の出身で明治維新の功労者です。明治2年より内閣制度のはじまる同18年まで、太政官制度にあって太政大臣を務め、明治新政府の最高官となりました。
塩原街道開通式にのぞみ、三条実美をはじめ政府の高官たちは塩原温泉へ宿泊し。その夜塩原の村人たちは妙雲寺門前において祝賀会をもよおし、当時ではまだ珍しかった牛肉と海の魚ニシンを料理し、花火を打ち上げ、盛大に道路の開通を祝いました。
この時の塩原街道の開通と、三條太政大臣の来塩を記念して植樹されたのがこの「江戸彼岸桜」です。毎年春には、あわいピンクの花びらが私たちの目を楽しませてくれます。
平成13年5月吉日
塩原温泉観光協会節理地50周年を記念し実美桜整備事業といたします。
塩原温泉観光協会 会長 深尾賢一
西側から
西北西側から見ました
では、次へ行きましょう