松之郷地区は、東金市役所の北約3kmのところ
東金市役所北側の市道を北東へ、約400mで丁字路を左(北西)へ、直ぐにJR東金線の踏切で県道214号線です
約400mの「片貝県道入口」信号を右(北東)へ、県道119号線です
約1.2kmの「千葉学芸高入口」信号を左(北西)へ、まだ県道119号線です
約1.1km道成りに坂道を上って来ました道路脇に「八坂神社の銀杏」を見て
約200mで「本松寺入口」の案内板を左(南西)へ入り道成りに進むと
東向き参道の本松寺山門です
松岸山 本松寺寺號標です
山門南側を通って参道南側の本松寺駐車場に入りました
長い参道を進みます
参道右手に鐘楼です
説明版です
本松寺の鐘楼
この鐘楼は木造、入母屋造、銅版瓦棒葺(もとは茅葺であった)袴腰つきで高さは基壇から9.08mである。
第1層は基底面より3.08mの高さまで外側を腰板で囲み、入口は裏側(北)に設ける。最上部を長押打として高欄を付け、これを支持する持送りは和様の二手先斗栱を組んでいる。とくに中央の斗栱は雲形肘木としていることは注目されよう。
第二層の基底部は幅70.5cmの回縁になっており、引目縁張りとし高欄には疑宝珠がつけられ、欄干の高さは37cmである。軒桁を支える斗栱は和様の三手先とし、蛇腹をつけ、四隅の柱の上の斗栱は3本の尾棰をつけ、軒は背返しの繁棰で二重に構成されている。
内側は中心の通し柱2本と周囲の柱10本で組み立てられ、中心柱を梁で結び梵鐘が吊下げられている。いわゆる楼造りに基本型があるわけで下層の周囲に傾斜した板囲い、即ち袴腰の化粧をつけたもので、江戸時代に建造されたものは、千葉県内では八日市場市の飯高寺のほか少数ながら残存しているが、この鐘楼もすぐれた1棟であるといえる。
本寺所蔵の過去帳によれば、1717(享保2)年12月に建立したと記述されている。
江戸中期の地方棟梁のすぐれた技術が観られ年代的にも立証され、本県に於ける鐘楼建築の推移を知る上にも貴重な建造物であろう。
東金市教育委員会指定第16号
昭和59年6月1日 指定
東向きに本堂です
鐘楼脇の渡廊下の先に目的のカヤの樹冠が見えました
渡廊下の下を潜り東側から見上げました
説明版です
本松寺の大榧
東金市松之郷松岸山本松寺(ほんしょうじ)本堂右前にあるこの榧は、周囲4.25m、樹高約20m、樹齢300年と推定され、樹勢は今も旺盛で、多量の果実をつけ、市内随一の名木といわれている。
本寺は明応元年(1490)に高僧日哲により創建された寺院として知られていたが、不幸にも江戸時代の初期に火災にあい、その後、本堂再建の折、その記念としてこの榧が植栽されたと伝えられている。
以来、風雪に耐え、今も亭々として天空に聳え、本寺に一層の荘厳さを加えている貴重な天然記念物である。
東金市教育委員会指定第23号
昭和60年10月25日 指定
南側から、根元に大きな洞が開いています
北東側から、根元には利用されていない榧の実が沢山落ちています
北側から見上げました
では、次へ行きましょう
東金市役所北側の市道を北東へ、約400mで丁字路を左(北西)へ、直ぐにJR東金線の踏切で県道214号線です
約400mの「片貝県道入口」信号を右(北東)へ、県道119号線です
約1.2kmの「千葉学芸高入口」信号を左(北西)へ、まだ県道119号線です
約1.1km道成りに坂道を上って来ました道路脇に「八坂神社の銀杏」を見て
約200mで「本松寺入口」の案内板を左(南西)へ入り道成りに進むと
東向き参道の本松寺山門です
松岸山 本松寺寺號標です
山門南側を通って参道南側の本松寺駐車場に入りました
長い参道を進みます
参道右手に鐘楼です
説明版です
本松寺の鐘楼
この鐘楼は木造、入母屋造、銅版瓦棒葺(もとは茅葺であった)袴腰つきで高さは基壇から9.08mである。
第1層は基底面より3.08mの高さまで外側を腰板で囲み、入口は裏側(北)に設ける。最上部を長押打として高欄を付け、これを支持する持送りは和様の二手先斗栱を組んでいる。とくに中央の斗栱は雲形肘木としていることは注目されよう。
第二層の基底部は幅70.5cmの回縁になっており、引目縁張りとし高欄には疑宝珠がつけられ、欄干の高さは37cmである。軒桁を支える斗栱は和様の三手先とし、蛇腹をつけ、四隅の柱の上の斗栱は3本の尾棰をつけ、軒は背返しの繁棰で二重に構成されている。
内側は中心の通し柱2本と周囲の柱10本で組み立てられ、中心柱を梁で結び梵鐘が吊下げられている。いわゆる楼造りに基本型があるわけで下層の周囲に傾斜した板囲い、即ち袴腰の化粧をつけたもので、江戸時代に建造されたものは、千葉県内では八日市場市の飯高寺のほか少数ながら残存しているが、この鐘楼もすぐれた1棟であるといえる。
本寺所蔵の過去帳によれば、1717(享保2)年12月に建立したと記述されている。
江戸中期の地方棟梁のすぐれた技術が観られ年代的にも立証され、本県に於ける鐘楼建築の推移を知る上にも貴重な建造物であろう。
東金市教育委員会指定第16号
昭和59年6月1日 指定
東向きに本堂です
鐘楼脇の渡廊下の先に目的のカヤの樹冠が見えました
渡廊下の下を潜り東側から見上げました
説明版です
本松寺の大榧
東金市松之郷松岸山本松寺(ほんしょうじ)本堂右前にあるこの榧は、周囲4.25m、樹高約20m、樹齢300年と推定され、樹勢は今も旺盛で、多量の果実をつけ、市内随一の名木といわれている。
本寺は明応元年(1490)に高僧日哲により創建された寺院として知られていたが、不幸にも江戸時代の初期に火災にあい、その後、本堂再建の折、その記念としてこの榧が植栽されたと伝えられている。
以来、風雪に耐え、今も亭々として天空に聳え、本寺に一層の荘厳さを加えている貴重な天然記念物である。
東金市教育委員会指定第23号
昭和60年10月25日 指定
南側から、根元に大きな洞が開いています
北東側から、根元には利用されていない榧の実が沢山落ちています
北側から見上げました
では、次へ行きましょう