ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

千葉県東金市、松之郷「本松寺の大榧」(市指定)です!!

2023-11-23 18:29:33 | 巨樹・大木
 松之郷地区は、東金市役所の北約3kmのところ

 東金市役所北側の市道を北東へ、約400mで丁字路を左(北西)へ、直ぐにJR東金線の踏切で県道214号線です

 約400mの「片貝県道入口」信号を右(北東)へ、県道119号線です

 約1.2kmの「千葉学芸高入口」信号を左(北西)へ、まだ県道119号線です

 約1.1km道成りに坂道を上って来ました道路脇に「八坂神社の銀杏」を見て

 約200mで「本松寺入口」の案内板を左(南西)へ入り道成りに進むと

 東向き参道の本松寺山門です

 松岸山 本松寺寺號標です

 山門南側を通って参道南側の本松寺駐車場に入りました

 長い参道を進みます

 参道右手に鐘楼です

 説明版です
   本松寺の鐘楼
 この鐘楼は木造、入母屋造、銅版瓦棒葺(もとは茅葺であった)袴腰つきで高さは基壇から9.08mである。
 第1層は基底面より3.08mの高さまで外側を腰板で囲み、入口は裏側(北)に設ける。最上部を長押打として高欄を付け、これを支持する持送りは和様の二手先斗栱を組んでいる。とくに中央の斗栱は雲形肘木としていることは注目されよう。
 第二層の基底部は幅70.5cmの回縁になっており、引目縁張りとし高欄には疑宝珠がつけられ、欄干の高さは37cmである。軒桁を支える斗栱は和様の三手先とし、蛇腹をつけ、四隅の柱の上の斗栱は3本の尾棰をつけ、軒は背返しの繁棰で二重に構成されている。
 内側は中心の通し柱2本と周囲の柱10本で組み立てられ、中心柱を梁で結び梵鐘が吊下げられている。いわゆる楼造りに基本型があるわけで下層の周囲に傾斜した板囲い、即ち袴腰の化粧をつけたもので、江戸時代に建造されたものは、千葉県内では八日市場市の飯高寺のほか少数ながら残存しているが、この鐘楼もすぐれた1棟であるといえる。
 本寺所蔵の過去帳によれば、1717(享保2)年12月に建立したと記述されている。
 江戸中期の地方棟梁のすぐれた技術が観られ年代的にも立証され、本県に於ける鐘楼建築の推移を知る上にも貴重な建造物であろう。
         東金市教育委員会指定第16号
         昭和59年6月1日 指定
 

 東向きに本堂です

 鐘楼脇の渡廊下の先に目的のカヤの樹冠が見えました

 渡廊下の下を潜り東側から見上げました

 説明版です
   本松寺の大榧
 東金市松之郷松岸山本松寺(ほんしょうじ)本堂右前にあるこの榧は、周囲4.25m、樹高約20m、樹齢300年と推定され、樹勢は今も旺盛で、多量の果実をつけ、市内随一の名木といわれている。
 本寺は明応元年(1490)に高僧日哲により創建された寺院として知られていたが、不幸にも江戸時代の初期に火災にあい、その後、本堂再建の折、その記念としてこの榧が植栽されたと伝えられている。
 以来、風雪に耐え、今も亭々として天空に聳え、本寺に一層の荘厳さを加えている貴重な天然記念物である。
     東金市教育委員会指定第23号
     昭和60年10月25日 指定


 南側から、根元に大きな洞が開いています

 北東側から、根元には利用されていない榧の実が沢山落ちています

 北側から見上げました

 では、次へ行きましょう
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千葉県東金市、松之郷「八坂神社の銀杏」(市指定)です!!

2023-11-23 06:30:04 | 巨樹・大木
 松之郷地区は、東金市役所の北約3kmのところ

 東金市役所北側の市道を北東へ、約400mで丁字路を左(北西)へ、直ぐにJR東金線の踏切で県道214号線です

 約400mの「片貝県道入口」信号を右(北東)へ、県道119号線です

 約1.2kmの「千葉学芸高入口」信号を左(北西)へ、まだ県道119号線です

 約1.1km道成りに坂道を上って来ました

 県道に張り出すように目的のイチョウです

 少し先へ進んで八坂神社境内に車を止める事が出来ました 

 八坂神社社號標です

 東南東側から

 説明版です
   八坂神社の銀杏
 八坂神社は、正応2年(1289)に久我城主北条久時の勧請と伝えられ、神仏習合時代は天王様と称された。
 指定の銀杏は、境内の西南、鳥居の左側にある神木で、目通り3.70m、高さ約20mを測る雌株で、高さ約5mのところから欅のやどり木が寄生する珍しい状態にある。
 銀杏は、イチョウ科の落葉高木で、雌雄異株であり、雌株は秋に結実する。公孫樹とも呼ばれる。
 以前は、指定の銀杏の西方に対をなして欅の高木があり、市の指定文化財であったが、平成14年に朽ち落ちてしまった。
 八坂神社の森は、九十九里浜庶民の帰途の目安であったという。
      東金市教育委員会指定第5号
      昭和53年11月8日 指定

 南側から、右後方に境内入口です

 西側から見ました

 参道を進みます

 説明版です
    八坂神社
 伏見天皇の御代、正応2年(1289年)に、久我台(現在県立東金商業高等学校校地)の城主、北条武蔵守平久時が居城鬼門鎮護のため、京都下京区祇園町に鎮座する、官幣大社八坂神社の祭神である素戔嗚尊の分身を請い、現地に奉祀されたと記録されている。
 本殿の建造年代はあきらかではないが、元禄2年9月(1689年)雨屋を再建したとの記録があるので、本殿の屋根のいたみの状態からみて、其の以前かなりの年月を経て居ると推定される。
              環境庁・千葉県

 本殿説明版です
    八坂神社本殿
 八坂神社の創建については、正応2年(1289)に北条久時の久我台城から移したとの伝えがある。
 元禄4年(1691)に一間社流造の本殿(内殿ー千葉県指定有形文化財)が建立され、明治27年には現在の本殿(覆い屋)が建立された。
 現在の本殿は、棟札によると明治27年4月12日再興とあって、棟梁は松之郷字西本郷の中村勝次郎、彫刻は東金の大木茂八であり、残されている鏑矢部分により同年3月7日に上棟式の行われたことが分かる。
 また、縮尺15分の1で正面と側面を描いた板図も残り、明治24年に計画されたことも知られる。
 その他、高欄親柱の擬宝珠には、明治33年の寄進銘がある。
 この本殿は、総欅造りで、向拝回りは彫刻で飾られており、質は良い。柱の太さや面取りを位置によって変えたり、垂木間隔を向拝部分のみ狭くしたりするなど芸の細かいところがある。
 建立年代は新しいが、覆屋的要素を持つ本殿という一つの傾向を示す遺例といえよう。
 地元の工匠によってこれだけの建物が造られたことは、東金市の歴史と文化を知る上で貴重である。
    東金市指定有形文化財第56号 東金市教育委員会

 内殿の説明版です
  千葉県指定有形文化財 八坂神社本殿内殿
    創建および沿革
 八坂神社の創立は、正応2年(1289)に久我台より現在地へ遷されたと伝えられている。
 現在の本殿内殿の建立年代については、蟇股の裏面に元禄4年(1691)の墨書があり、様式手法も江戸時代中期のものとみられるので、元禄4年の建立とみてよい。
 現状は、明治27年(1894)に建立された大規模な覆屋風本殿の床上に置かれているが、屋根のこけら葺が風雨にさらされた跡があることから、元来は独立して建っていた本殿であることがわかる。
 覆屋風本殿は再建されたものといわれているので、明治27年以前にも簡単な覆屋が建てられていたのかもしれない。
 この内殿は、彫刻を多用し、彩色を施した装飾性の豊かな社殿で、県下における社殿の流れを知るうえに指標ともなる遺例であろう。
    棟札及び墨書
 身舎東側面蟇股裏面
 「壱津まかへる満た 元禄4辛未極月」
 庇蟇股内側
 「武州 御影物師棟梁 高松直旨作(花押)」
    構造及び形式
 間口7尺の一間社流造本殿。庇正面に軒唐破風を付け、屋根はこけら葺である。
      平成15年3月指定
      千葉県教育委員会

 社務所側に注連縄を巻かれたスダジイです

 社殿です

 拝殿前には狛牛でしょうか

 説明版です
   八坂神社の神使(牛)
 古来、我国の神社には、その祭神に縁故の深い鳥獣虫魚をその神使とし、これを信仰する習俗があった。
 東金市内には日吉神社の猿。鹿渡(かのと)神社の鹿。八坂神社の牛等がその代表的なものである。
 八坂神社拝殿前の一対の牛は、その像長88cm、像高45cmの石造で、寛保3発亥(1743)6月7日、栗生村(九十九里町)飯高十郎右衛門他4名、の寄進によるものである。
 日本神話によれば、八坂神社の祭神素戔嗚尊は、牛に乘り天界より出雲国に降り、その地で農耕に牛を使役して大いに治績を挙げたという。
 当社はその故事に倣い、往古よりこれを神使及び絵馬と定め、以来氏子庶民の信仰を集め今日に至った貴重な文化財である。
       昭和59年3月27日指定
       東金市教育委員会

 社殿西側にも注連縄の巻かれたスギの大木です

 社殿の東側には立派な「小安神社」の社殿です

 子安神社前にもスギの大木です

 境内社が並びます

 では、次へ行きましょう
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