ここからは、2023年10月27日取材分です
四ツ谷高森地区は、柳津町役場の南約14kmのところですが、今回は会津美里町側から入りました
会津美里町役場の南西約10kmのところ、国道401号線を南へ昭和村方面へ進みます
約5.8kmの西本簡易郵便局先で大岩観音・明神ヶ岳登山道入り口の標識に従って右(西)へ坂道を上がって行きます
約2.2kmで左(南東)へ、柳津町と会津美里町の境の尾根通しの道路です
約400mで左手には会津盆地が広がりました
会津盆地の底には霧が出ています
北東側には会津磐梯山が霞んで見えます
手前には松岸の集落が見えました
道成りに約6kmで、町境の橋を渡ります
約1.8km道成りに下って行くと、道路右手に青いトタンの作業小屋が見えます(高森集落まではまだ約3kmあります)
道路左手に、説明版見えますので道路脇に車を止めさせて頂きました
柳津町側(道路下側)から、右手の大きな看板が「孫太郎マツ」の説明版です
説明版の脇が孫太郎マツへの入り口になっています
説明版です
町指定文化財
孫太郎マツ
指定年月日 昭和62年10月25日
指定番号 第5号指定
所有者 高森区
昔、この付近の大樹は軽井沢銀山の燃料となっていた。従ってこの松のように推定400年の大木が現存するのは極めて稀である。
この松は、旧越後街道の通称海老山峠の頂上にあって、会津と越後方面を往来する旅人の道標となり緑陰となっていたと想像できる。
また伝承では、名主「孫太郎」の見張りの松とも、伊勢詣りの記念に植えた松とも伝えられている。
永年の風雪に耐えたその勇姿は人々に生命の尊厳と生きる活力を与えてくれる名松である。
「県登録・緑の文化財第384号」
柳津町教育委員会
林に入ると、何やら大きな糞の様なものがあります、昨今のクマ出没のニュースが気になります
左へ折り返すと太い幹が見えました
目的の「孫太郎マツ」が見えました
西側から見上げました
北西側から、こちら側の幹は皮が剥がれてしまっています
南西側から一段上がって見ました
南西側から、幹の生きている部分は東側に一部だけになってしまったようです
南側から見ました
下側には県緑化推進委員会が建てた緑の文化財の看板が倒れていました
では、次へ行きましょう
四ツ谷高森地区は、柳津町役場の南約14kmのところですが、今回は会津美里町側から入りました
会津美里町役場の南西約10kmのところ、国道401号線を南へ昭和村方面へ進みます
約5.8kmの西本簡易郵便局先で大岩観音・明神ヶ岳登山道入り口の標識に従って右(西)へ坂道を上がって行きます
約2.2kmで左(南東)へ、柳津町と会津美里町の境の尾根通しの道路です
約400mで左手には会津盆地が広がりました
会津盆地の底には霧が出ています
北東側には会津磐梯山が霞んで見えます
手前には松岸の集落が見えました
道成りに約6kmで、町境の橋を渡ります
約1.8km道成りに下って行くと、道路右手に青いトタンの作業小屋が見えます(高森集落まではまだ約3kmあります)
道路左手に、説明版見えますので道路脇に車を止めさせて頂きました
柳津町側(道路下側)から、右手の大きな看板が「孫太郎マツ」の説明版です
説明版の脇が孫太郎マツへの入り口になっています
説明版です
町指定文化財
孫太郎マツ
指定年月日 昭和62年10月25日
指定番号 第5号指定
所有者 高森区
昔、この付近の大樹は軽井沢銀山の燃料となっていた。従ってこの松のように推定400年の大木が現存するのは極めて稀である。
この松は、旧越後街道の通称海老山峠の頂上にあって、会津と越後方面を往来する旅人の道標となり緑陰となっていたと想像できる。
また伝承では、名主「孫太郎」の見張りの松とも、伊勢詣りの記念に植えた松とも伝えられている。
永年の風雪に耐えたその勇姿は人々に生命の尊厳と生きる活力を与えてくれる名松である。
「県登録・緑の文化財第384号」
柳津町教育委員会
林に入ると、何やら大きな糞の様なものがあります、昨今のクマ出没のニュースが気になります
左へ折り返すと太い幹が見えました
目的の「孫太郎マツ」が見えました
西側から見上げました
北西側から、こちら側の幹は皮が剥がれてしまっています
南西側から一段上がって見ました
南西側から、幹の生きている部分は東側に一部だけになってしまったようです
南側から見ました
下側には県緑化推進委員会が建てた緑の文化財の看板が倒れていました
では、次へ行きましょう