栗原中央4丁目は、座間市役所の南東約1.5kmmのところ
座間市役所の西側の道路を南東へ、間も無く県道42号線となって進みます
約1.2kmで、斜め左(南東)へ入って市道60号線に成ります
約200mの中栗原歩道橋の先で左(北)へ入ると東向きに鎮座する「栗原神社」前に出ました
前の道路脇に車を止めさせて頂きました
栗原神社の社號標です
掲示板に御神木伐採のお知らせです
御神木(シラカシ)伐採のお知らせ
この度、地元の皆様、氏子の皆様にお詫び申し上げます。
永く地元の皆様、氏子の皆様に、愛され、親しまれておりましたが神木(シラカシ)が昨年初めより急に樹勢が衰えて来ました。
市認定の樹木医(長澤利教様)に観て頂き、今年3月に枯れてしまったとの診断を受けました。
50年前に樹齢700年の初代御神木”大杉”が枯れてしまい2代目としてシラカシが御神木として、又、県指定の銘木100選、市の天然記念物として、皆様に愛されて参りました。
令和2年9月に枯れ病を起こしてしまうシノナガキクイムシが付いてしまっている事を安全安心推進会・小林会長にお知らせ頂き、今年2月迄いろいろ手を尽くしてまいりましたが、残念な結果となりました。
3月22日に座間神社平賀権禰宜様の祭祀により、御神木(シラカシ)の御霊抜き、お祓いを行い1mの高さを残して伐採いたしました。
謹んでお知らせ致します。
栗原神社 総代長 大矢一則・世話人一同
手水舎です
パワーストーン「千引の石(ちびきのいわ)」説明版です
道反大神が宿るとされる千引の石です。
黄泉の国で禁忌を犯し逃げ帰えようとする伊邪那岐命が、黄泉比良坂まで追いかけてきた伊邪那美を千引の石を坂に引き、道を遮断して追い返したその石に、道反大神と名付けました。
過去からの災いを断ち、再出発の力を道反大神から、頂いて下さい。
拝殿です
本殿です
すぐ南側にシラカシの切株です
(伐られてしまいましたが、2024年1月20日現在グーグルマップのストリートビューで2022年12月の姿を見ることが出来ました)
南東側から、注連縄が巻かれています
標柱です
シラカシ跡
昭和53年12月23日 市指定天然記念物指定
令和 5年 4月17日 市指定天然記念物指定解除
かつてこの場所にシラカシの大木があり、護王の大欅とともに市内最古のものでした。
昭和53年に市指定天然記念物に指定され、近隣に住む人々の手で大切に守られて来ましたが、令和5年に枯死したため、伐採されました。
現在は、残された切株が往時を偲ばせるものとなっています。
令和6年3月31日 座間市教育委員会
もう一面には、指定時データです
幹回り(目通し)3.6m、樹高 約20m、枝張り 約20~22m、推定樹齢 約500年
拝殿北側の初代御神木大杉の記念碑です
栗原神社御神木記念碑
謹んで按するに、当大杉は往昔山王大権現の御神木なりしが、明治6年栗原地内の(龍造社、若宮社、絹張社、握戝神、山王社)諸社を合祀し、栗原神社と改称せられ、栗原全域の総鎮守の御神木として諸人敬神の的とり、明治、大正、昭和の御代まで永々として存続して来ました。
偶々昭和17年当社神楽殿新築の議越こるや、此の由緒ある御神木を代採其の資に供せんとす、其の際、森田家非常に之を惜しみ、希特の行為により栗原神社に奉納せらる仇あい此の危を免れる事を得たり。
爾来益々枝葉繁茂し、社殿の荘厳を保持して来ました。
然るに昭和37年以降先端より枯れ始め順次下枝へ波及し、樹勢次第に衰え、仝40年以降第一枝のみ存続す。
翼41年春以来全枝枯れ、遂に尊き樹齢を終わる。據なく氏子全般に計りし処、伐採の協賛を得仍て、神奈川県神社庁に伐採の許可を申請。
翼42年6月19日此の由緒ある御神木も、愈々樹齢を全し遂に伐採される。誠に名残り惜しい極みなり。
斯く偉大なる御神木を偲び、後世に傳えん為氏子総意のもとに一基を建立して、永遠に記念する者也 謹白
昭和44年12月 建 氏子中 責任者 渋谷孫市
附記 樹齢約七百数十年・年代不詳・周囲目通り 13尺2寸(4m)・全長 90尺(27m)
では、今回の取材は終わりにして埼玉へ戻ります
また一日2回の投稿を開始したいと思います、今夜にも、次の投稿をしたいと考えておりますので宜しくお願いいたします
座間市役所の西側の道路を南東へ、間も無く県道42号線となって進みます
約1.2kmで、斜め左(南東)へ入って市道60号線に成ります
約200mの中栗原歩道橋の先で左(北)へ入ると東向きに鎮座する「栗原神社」前に出ました
前の道路脇に車を止めさせて頂きました
栗原神社の社號標です
掲示板に御神木伐採のお知らせです
御神木(シラカシ)伐採のお知らせ
この度、地元の皆様、氏子の皆様にお詫び申し上げます。
永く地元の皆様、氏子の皆様に、愛され、親しまれておりましたが神木(シラカシ)が昨年初めより急に樹勢が衰えて来ました。
市認定の樹木医(長澤利教様)に観て頂き、今年3月に枯れてしまったとの診断を受けました。
50年前に樹齢700年の初代御神木”大杉”が枯れてしまい2代目としてシラカシが御神木として、又、県指定の銘木100選、市の天然記念物として、皆様に愛されて参りました。
令和2年9月に枯れ病を起こしてしまうシノナガキクイムシが付いてしまっている事を安全安心推進会・小林会長にお知らせ頂き、今年2月迄いろいろ手を尽くしてまいりましたが、残念な結果となりました。
3月22日に座間神社平賀権禰宜様の祭祀により、御神木(シラカシ)の御霊抜き、お祓いを行い1mの高さを残して伐採いたしました。
謹んでお知らせ致します。
栗原神社 総代長 大矢一則・世話人一同
手水舎です
パワーストーン「千引の石(ちびきのいわ)」説明版です
道反大神が宿るとされる千引の石です。
黄泉の国で禁忌を犯し逃げ帰えようとする伊邪那岐命が、黄泉比良坂まで追いかけてきた伊邪那美を千引の石を坂に引き、道を遮断して追い返したその石に、道反大神と名付けました。
過去からの災いを断ち、再出発の力を道反大神から、頂いて下さい。
拝殿です
本殿です
すぐ南側にシラカシの切株です
(伐られてしまいましたが、2024年1月20日現在グーグルマップのストリートビューで2022年12月の姿を見ることが出来ました)
南東側から、注連縄が巻かれています
標柱です
シラカシ跡
昭和53年12月23日 市指定天然記念物指定
令和 5年 4月17日 市指定天然記念物指定解除
かつてこの場所にシラカシの大木があり、護王の大欅とともに市内最古のものでした。
昭和53年に市指定天然記念物に指定され、近隣に住む人々の手で大切に守られて来ましたが、令和5年に枯死したため、伐採されました。
現在は、残された切株が往時を偲ばせるものとなっています。
令和6年3月31日 座間市教育委員会
もう一面には、指定時データです
幹回り(目通し)3.6m、樹高 約20m、枝張り 約20~22m、推定樹齢 約500年
拝殿北側の初代御神木大杉の記念碑です
栗原神社御神木記念碑
謹んで按するに、当大杉は往昔山王大権現の御神木なりしが、明治6年栗原地内の(龍造社、若宮社、絹張社、握戝神、山王社)諸社を合祀し、栗原神社と改称せられ、栗原全域の総鎮守の御神木として諸人敬神の的とり、明治、大正、昭和の御代まで永々として存続して来ました。
偶々昭和17年当社神楽殿新築の議越こるや、此の由緒ある御神木を代採其の資に供せんとす、其の際、森田家非常に之を惜しみ、希特の行為により栗原神社に奉納せらる仇あい此の危を免れる事を得たり。
爾来益々枝葉繁茂し、社殿の荘厳を保持して来ました。
然るに昭和37年以降先端より枯れ始め順次下枝へ波及し、樹勢次第に衰え、仝40年以降第一枝のみ存続す。
翼41年春以来全枝枯れ、遂に尊き樹齢を終わる。據なく氏子全般に計りし処、伐採の協賛を得仍て、神奈川県神社庁に伐採の許可を申請。
翼42年6月19日此の由緒ある御神木も、愈々樹齢を全し遂に伐採される。誠に名残り惜しい極みなり。
斯く偉大なる御神木を偲び、後世に傳えん為氏子総意のもとに一基を建立して、永遠に記念する者也 謹白
昭和44年12月 建 氏子中 責任者 渋谷孫市
附記 樹齢約七百数十年・年代不詳・周囲目通り 13尺2寸(4m)・全長 90尺(27m)
では、今回の取材は終わりにして埼玉へ戻ります
また一日2回の投稿を開始したいと思います、今夜にも、次の投稿をしたいと考えておりますので宜しくお願いいたします
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