ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

福島県西会津町、如法寺のコウヤマキです!!

2017-05-17 09:12:15 | 巨樹・大木
如法寺は、西会津町役場の南南西約2kmのところ

鳥追観音で有名な如法寺です

観音堂の周りに駐車場が有ります


鳥追観音堂です

会津三十三観音めぐりの説明版です

観音堂の境内にコウヤマキはあります

北側から

福島県指定天然記念物 如法時のコウヤマキの標柱です

説明版です
   福島県指定天然記念物 
     如法時のコウヤマキ
       昭和30年12月27日指定
      所在地  耶麻郡西会津町野沢字如法寺乙3527
      所有者  如法寺
     コウヤマキは一科一属一種で、福島県を北限として生育する日本特産の常緑高木である。
     樹冠は細い円錐形となり、樹皮は繊維質で縦に長いさけめができ、長く厚い片と成っておち
    る。長枝には小さい鱗片葉があり、短枝は輪状に並んで二つの針葉の癒着したもんである。
     山門の東側にあるコウヤマキは、根回り6m、高さ30mで、地上7,5mのところから支
    枝が出て直立している。貞享2年(1685)の記録によると根回り4m、目通り幹周り2,
    6mとある。
     コウヤマキとしてはまれな巨樹である。
                             福島県教育委員会


南東側から見上げました

では、次へ行きましょう
(鳥追観音に関しては2011年10月27日のこのブログに紹介しています)    
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福島県西会津町、大久保の念仏杉です!!

2017-05-16 07:29:20 | 巨樹・大木
大久保地区は、西会津町役場の南西約4kmのところ

県道339号線を南へ進みます

鳥追い観音を過ぎて中野川を渡って間もなく大きな杉の木が見えて来ます

大山秪神社里宮の手前です


道路脇に大杉が見えて来ました

北側に太い枝が出ています

説明版です
   西会津町指定天然記念物
   福島県緑の文化財
     大久保の念仏杉
    指定年月日  昭和47年12月26日
    所 在 地  西会津町野沢字地蔵ヘツリ甲78番地4
    所 有 者  大久保自治区
    大 き さ  樹高約30,0m
           幹周約 6,5m
    推定樹齢   450年
    樹  種   スギ
     この杉はもともと慶長16年(1611)の会津大地震で崩壊した八勝山光照寺の参道に
    植えられていた杉並木の一本とされています。
     むかしの大久保街道は中野川の縁を渡り、ここから急な坂道を上がらなければなりません
    でした。杉の木の下には供養塔があり、一休みしながら念仏を唱えていたため「念仏杉」の
    名が付いたといわれています。 
                       西会津町教育委員会

根元の馬頭観音の石碑です

西側から

南側から

では、次へ行きましょう
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群馬県前橋市、赤城山南面のヤマザクラです!!

2017-05-15 09:20:53 | 
赤城山の中腹のヤマザクラが満開でした

前橋市内から県道4号前橋赤城線で

一機に高度を上げていくと季節の変化を感じます

前橋市内は新緑のシーズンですが

馬事公苑の八重桜の時季です

もう少し上がって、赤城国際カントリークラブ周辺がヤマザクラの時季です



ヤマザクラがあちこちに咲いていました


では、次へ行きましょう
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群馬県前橋市、八幡山古墳です!!

2017-05-14 20:20:24 | 遺跡・史跡
八幡山古墳は大きな前方後円墳です

前梅市役所の南東約4kmのところ

古墳の北側のドラッグストアに車を置かせていただきました




八幡山公園です

埴輪の馬がいました



西側の入り口です

後方部を見ます

説明石碑です
   八幡山古墳
     かつては、現在住宅地となている広瀬川右岸の台地上に百数十基におよぶ大小の古墳が
    あり、一大古墳群を形成していた。本古墳はこの古墳群を代表するものの一つで、古墳群
    中唯一の前方後方墳です。
     墳丘の規模は現状で全長130m、前方部幅59m、同高さ8m、後方部幅72m、同
    高さ12mで、前方後方墳の形もよくとどめている。また、墳丘周囲には幅25m~30
    mの堀がめぐっていたことが確認されている。
     埋葬主体部は、未調査のため明らかでないが、墳丘頂上部から埋葬した竪穴系のもので
    あったと推定される。なお、本古墳の南東には、県内最古の古墳とかんがえられる天神山
    古墳がある。


八幡山古墳の標柱です

後方部えの登路です

登路を上がります

後方部頂上から前方部をみます


後方部から前方部との接続部です

前方部から後方部を見ました

西側に出ましょう

西側の接続部です

前方部です

幅の広い堀跡です

では、次へ行きましょう
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群馬県前橋市、山王町亀塚山古墳です!!

2017-05-13 01:10:09 | Weblog
亀塚山古墳は、金冠塚古墳の直ぐ北側にあります

団地の北側を流れる川の縁に在ります

道路わきに車を止めさせて頂きました


円墳でしょうか

北側から見ました

市指定史跡 亀塚山古墳です

説明版です
   前橋市指定史跡 亀塚山古墳
     指定年月日 昭和54年3月26日
     所 在 地 前橋市山王町1丁目28-3
    この古墳は、全長60mほどの前方後円墳で、後円部は直径40m、高さ6,5m前方部は長さ
   20m、高さ1,5mと後円部に比べ小さく低いことから亀塚山の名前がつけられたものと考えら
   れます。その形状から、帆立貝式古墳との説がありますが、発掘調査が行われていないため不明で
   す。
    かつて140基を越える大古墳群があった朝倉・広瀬・山王地区に残された数少ない原型を保つ
   古墳の一つです。
                     前橋市教育委員会



墳丘に登ってみます

墳頂部です

前方部方向の様ですが良く解りませんでした

では、次へ行きましょう
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群馬県前橋市、山王町金冠塚古墳です!!

2017-05-12 09:13:17 | 遺跡・史跡
金冠塚古墳は、前橋市役所の南東約5kmのところ

広瀬団地の中の住宅地のなかにフェンスに囲まれています

北側説明版の前に車を止めさせて頂きました

北西側から古墳を見ました、全体が入っていませんね~



市指定史蹟 金冠塚古墳です

説明版が有ります
    前橋市指定史跡 金冠塚古墳
      指定年月日 昭和61年6月6日
      所 在 地 前橋市山王町1丁目13-3
     朝倉町から広瀬町・山王町にかけて、かつては、140基を越える古墳があったと
    言われています。その中で、昭和10年(1935)に行なわれた群馬県内一斉調査
    では上場村14号墳と記載されています。
     山王二子山古墳とも呼ばれていましたが、金銅製の冠が出土したことにより、名称
    を金冠塚古墳に統一しました。昭和56年(1981)発掘調査が行なわれ、全長5
    2,5m後円部の直径32,3mで、後円部に榛名山二ツ岳起源の軽石(角閃石安山
    岩)を加工して積み上げて造られた推定全長5,2m以上奥壁の幅2,5mの横穴式
    石室があったことがわかりました。
     大正4年(1915)出土した金銅製冠は、古代朝鮮半島三国時代の新羅や伽耶で
    作られていた「出の字」梨の冠に似ていることから、このころの朝鮮半島の文化の影
    響が日本にも強く現れていることがわかります。
                      前橋市教育委員会


後円部墳丘に上がりましょう

西側の斜面です

前方部を見ました

東側斜面です

では、次へ行きましょう
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群馬県伊勢崎市、国指定天然記念物 華蔵寺のキンモクセイです!!

2017-05-11 09:40:18 | 巨樹・大木
華蔵寺は、伊勢崎市役所の北約4kmのところ

県道73号線を北へ、華蔵寺公園の東端に在ります

参道入り口や、公園・運動場などの周りに駐車場が有ります


華蔵寺公園案内図です

参道入り口です

六地蔵様です

入り口です

手水です

本堂です

天台宗寺院です

右手に金木犀が有ります

天然記念物の石碑です

金木犀の説明石碑です
    国指定天然記念物
      華蔵寺のキンモクセイ
        昭和12年6月15日指定
       このキンモクセイは、以前は樹高10,6m、目通り周囲約2,0mの大樹であった。
       昭和41年の台風26号いより主幹が転倒し、さらに昭和57年の台風10号によって
       主幹が屈折した。このためそのつど回復の処置を講じたが、昭和62年夏に至って主幹
       の枯朽が進み、枯死寸前となった、そして昭和63年度に、保護増殖事業として腐朽部
       の切除・萌芽枝の切除などを行い、あわせて群馬県林業試験場が育苗した挿木(二代目
       )の苗木を譲り受け、この地に移植した。
       なお、親木である華蔵寺のキンモクセイは、樹齢約400年と伝えられ、往時、秋彼岸
       の開花時には4km四方にまでその芳香が満ちたと言われています。
      平成元年1月31日    華蔵寺・文部省・群馬県教育委員会・伊勢崎市教育委員会


南側から

東側から

東側に山門が復元されています

では、次へ行きましょう
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新潟県阿賀町、黒岩の夫婦桜です!!

2017-05-10 08:42:20 | 
黒岩地区は、嘗ての三川村役場の南南東約2kmのところ

国道49号線の揚川トンネルの南側に有ります

国道から県道17号線に入って旧道への道の先です

阿賀野川の河岸段丘の上、田圃の縁に並んで桜が有ります

東側道路端に車を止めさせて頂きました

夫婦桜です、日倉山844mが左手に見えます

雪の残る山肌を背景に二本の桜が並びます

西側道路から見上げました

満開です


磐越西線はなさき駅の西側で、阿賀野川対岸から「磐越物語号」を見ました信号待ちをしている間に行ってしまいました

では、次へ行きましょう
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栃木県佐野市、阿曽沼城跡です!!

2017-05-09 07:24:13 | 城跡・館跡・陣屋跡
阿曽沼城跡は、佐野市役所の南東約1kmのところ

県道9号線と県道16号線の浅沼交差点の南西側に郵便局が有ります

南側の道路を西に入ったところに浅沼八幡宮が有ります




浅沼町会所が有ります

阿曽沼城跡の標柱です

浅沼八幡宮です

手水舎です

拝殿です

正八幡大神の額です

八百年祭記念碑です

佐野市指定史跡阿曽沼城之跡の大きな石碑が有ります

裏面の碑文です
    鎌倉に源氏の幕府始められようとする12世紀末、阿曽沼城は阿曽沼民部四郎広綱によって
    この地に築かれ、以来、400年、戦国のおたけび山野を駆けるさなかまで、城の盛衰は阿
    曽沼氏歴代と共にあり、その哀歓は浅沼の地と人とともにあった。
    始祖広綱は秀郷流藤原氏にして唐沢山城佐野氏の同族、およそ寿永ののころ城館をこの地に
    構え、八幡宮を創建、地名をもって氏とし「阿曽沼」浅沼系諸氏の一祖となる。
    公の名の初めて史省に現れること、寿永2年2月、小山朝政の誚によって同族とともに志田
    三郎義広と合戦、下総古河のわたり、小手差ヶ原の大利根堤にこれを破る。
    これよりのち長子朝綱・次子観綱にいたる3代の間、寿永の源平争乱には平氏を追って遠く
    九州豊後に赴き、文治5年、平泉藤原氏を討っては東北の野を駆け、あるいは承久の乱に、
    尾張摩忍戸の渡りを先陣、また幕府営内にあっては、常に将軍の近くに座し、譜代の名門、
    一芸の達者、容儀神妙のほまれを受く地頭職としてその治める地は、阿曽沼郷本貫領のほか
    陸奥遠野保・安芸世能庄・備中諸郷村の散在領をわせ、城館は本城の辺に、大栗・畳岡・鐙
    塚の諸城を配し、さらに遠野横田城・世能鳥籠城の遠隔経営に及ぶ、城建ってよりここにお
    よそ800年、その間南北朝の動乱に っては悲愁の風狐城にただよい、戦国の秋、嫡宗地
    を散 るに及んで城ついに廃跡となる。
    今夕陽残光淡く、八幡 森と濠跡のみを照らすといえど広綱の後孫諸氏、ここ 霊の地に回
    帰の情を寄せ、所の人、この地を創業 地として敬慕の思いを託す。
    阿曽沼古城の跡今なお浅沼の地とともにあり・・・・

説明版です
     阿曽沼城跡
       阿曽沼城は、寿永元年(1182)に、佐野氏の一族である阿曽沼四郎広綱が築いた
      といわれている。
       城域と推定される浅沼八幡宮の東側に、土塁と堀跡が残存している。城域の範囲は、
      東西約180m、南北約230mになるものと思われる。
     おしどり塚歌碑
       自然石を使った碑面に
        「日くるればさそいしものを 安蘇沼のまこもがくれの ひとりねぞうき」とある
       本歌は、弘安6年(1283)、無住一円の著した仏教説話集「沙石集」の中に、物
       語りと共にのっている。
           平成10年3月         佐野市教育委員会

 
おしどり塚歌碑です

神社の東側に土塁と堀が残ります

堀を北側から見ました

外側はフェンスに覆われています

佐野市重要文化財の案内板です

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栃木県佐野市、堀田佐野城跡です!!

2017-05-08 07:21:10 | 城跡・館跡・陣屋跡
堀田佐野城跡は、佐野市役所の南約3kmのところ

国道50号線の北側台地に有ります

国道50号線植下町信号を北へ入ると直ぐに

堀田佐野城址公園の案内板が有ります

公園に駐車スペースが有ります

佐野城虚碑及び城郭図は手前の道路脇に在ります


案内板が有ります

城址碑のある公園です

佐野市指定文化財です

説明版です
   佐野城墟碑及び城郭図
     堀田佐野城跡は植下町大原地区の植野馬門街道両側一帯にあり、東西540m
     南北360m、周囲1,8kmである。
    
     文政11年(1828)に築城され、41年後明治2年堀田摂津守正つぐが藩
     籍奉還して廃城となった。城跡中央部に建てられた佐野城墟碑の碑文は、旧家
     老西村茂樹が書いたもので、旧藩士の心情を格調高い文で刻んでいる。

         平成7年12月          佐野市教育委員会


城郭図です

佐野城墟碑です

直ぐ東側には堀田佐野城趾公園が有ります

城郭南端の土塁跡の様です

堀田稲荷神社が在ります

南側を通る国道50号線が見えました

では、次へ行きましょう
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群馬県沼田市、山妻有のサクラです!!

2017-05-07 06:27:16 | 
追貝は沼田市役所の東北東約18kmのところ

国道120号線を片品村へ向かうと

吹き割の滝の在る地区です

国道から東側の家並みに入ると案内板が有ります

桜の前を通り道路脇に止めさせて頂きました

山妻有の桜です

南側から

南西側から

大明神社社殿です

説明版です
    沼田市指定天然記念物
       山妻有のサクラ
         指定年月日  平成19年2月2日
         所 在 地  沼田市利根町追貝826番地1
         所 有 者  沼田市 
         目通周囲   8,0m
         根元周囲   9,0m
         樹  高  11,5m
         枝 張り  東西約18,0m、南北約19,0m
        利根町追貝の山妻有(やまつまり)大明神社殿脇にある桜の巨木で、伝承によると、天平年間
       (1346~1370)に新田義宗の妻子が当地に滞在した形見の桜といわれている。
        中心部は空洞化しているものの、沼田市では特筆すべき桜の古樹で、市内の桜では最大級であ
       る。樹種はエドヒガン、樹勢は旺盛で毎年春には近隣のソメイヨシノのに先駆けて開花する。
            平成22年3月             沼田市教育委員会  
 
東側から見ました

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群馬県沼田市、発知のシダレザクラです!!

2017-05-06 05:35:14 | 
発知のシダレザクラは、沼田市役所の北約11kmのところ

上発知集落の手前、発知川の右岸(西側)の田圃の中の墓地の脇に立っています

発知川の左岸沿いに駐車スペースが有ります



東から農道を進むと正面にサクラが見えてきます

上の田圃の端の墓地に立っています

南東側田圃の畔から

南側から

お地蔵様です

沼田の名木百選、発知のシダレザクラ 目通周囲3,74m 樹高17mです

アップで

北側からでは空が入りませんね~

もう一本北の住宅地の南側にサクラが有ります

では、次へ行きましょう


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群馬県沼田市、発知城址のサクラです!!

2017-05-05 08:14:13 | 
発知城址のサクラは、沼田市役所の北約10kmのところ

発知のヒガンザクラから更に県道266号線を北へ進みます

道路左手に木の看板が立てかけられています

発知川に掛かる橋を渡って200mです

橋の上から民家の屋根の上にサクラが見えました



県道脇に木の案内板が出ています、車をここに置いて行きましょう

橋を渡った先の民家の屋根の上にサクラが見えます

神社の鳥居の脇に発知城址のサクラはあります

武尊宮八幡宮の二社が合祀されているのでしょうか

根元まで上がって来ました



南側から

南西側から

では、次へ行きましょう
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群馬県沼田市、発知のヒガンザクラです!!

2017-05-04 07:27:14 | 
中発知町は、沼田市役所の北約8kmのところ

県道266号線を北へ、発知川に沿って高度を上げていきます

サクラが在るのは、県道の西側に広がるリンゴ畑の中の道を進むと

案内板が見えてきます、案内板のそばと道路の東側に駐車スペースが有ります


案内板が有ります

発知のヒガンザクラです

群馬県指定天然記念物の標柱が、中腹に立っています

説明版です
    県指定天然記念物
      発知のヒガンザクラ
         指定年月日 昭和32年4月23日
         所 在 地 沼田市中発知町1234番地
         所 有 者 中発知町区
        目通り周囲   4,65m
        根元 廻り   5,85m
        樹   高  15,00m
        枝張り東西  17,20m
        枝張り南北  22,10m
       発知地区を見渡す高台にあり、苗代作りの頃に開花するので「発知の苗代桜」とも呼ばれる。
       葉より先に、薄紅色の美花をつけ、市内ヒガンザクラでは最も幹が太い。
           平成18年3月        群馬県養育委員会
                          沼田市教育委員会

今から59年前に県指定を受けていたのですね
       

南側から

南東側から

東側から

南東側に観音像があります

保護・樹勢回復のため根元には入らないようにしてくださいとのことでした

では、次へ行きましょう

(2017年4月18日このブログの弥勒寺の馬かくれ杉の取材に16日に寄った時には、

まだ、蕾が硬い様子でしたが、4月25日には、ほぼ満開になっていました)
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福島県二本松市、二本松城(霞ケ城)城跡、搦手口から本丸です!!

2017-05-03 22:20:19 | 城跡・館跡・陣屋跡

搦手入り口の案内板です

本丸への登り口です

石垣が見えて来ました

北側を見上げると本丸の石垣が見えます

搦手門です

搦手門の説明版です
    

本丸への階段です

階段上に本丸石垣が見えて来ます

奥州探題 畠山氏居城 霞ヶ城址の碑が有ります

本丸西面石垣です

説明版です

本丸南面の石垣です

本丸入口石段です

天守台下の供養塔があります

戊辰戦争による二本松城落城に際し城代と勘定奉行両名の自尽の地です

安達太良山は変わりませんね

では、次へ行きましょう

(4月23日日曜日はここまでにしました、高速道路の渋滞をみこして、早目に帰りましょう
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